星新一の膨大な作品を論じた『星新一の思想』2022年05月02日

『星新一の思想:予見・冷笑・賢慮の人』(浅羽通明/筑摩書房
 昨年秋に出た気がかりだった本を読んだ。

 『星新一の思想:予見・冷笑・賢慮の人』(浅羽通明/筑摩書房)

 星新一の名に「~の思想」と付すタイトルは大仰で異様に感じる。「思想」という言葉にはあまりそぐわない作家・星新一を論じる本を『星新一の思想』と名付けるのは二物衝撃だ。星新一のショートショートのような意外性のある秀逸なタイトルである。

 団塊世代のSFファンだった私にとって、1960年代後半(高校から大学の頃)は、星新一、小松左京、筒井康隆のSF御三家の活躍と並走する時代で、この時期の彼らの作品はほとんどリアルタイムで読んでいる。かなりの影響を受けたと思う。

 だから星新一には関心があり、十数年前に出た評伝『星新一:1001話をつくった人』(最相葉月)も興味深く読んだ。しかし、本格的な星新一論を待望する気持ちはなかった。だから、本書の出現は衝撃である。星新一という作家は好きだが、あえて作品論を展開するような類の作家ではないと勝手に思いこんでいた。

 かなり大部な本書は星新一の作品を論じている。星新一は1000編以上の作品を残しており、本書ではその約四分の一に言及している。つまり、二百数十編の作品名が登場する。

 そんな本書を読み進めるには、かなりの時間を要した。言及される作品の大半の内容を私は失念している(もしくは未読)。わが書架には数十冊の星新一の作品集があるので、本書を読み進めながら、気がかりな作品については、そのつど書架から探し出して読むようにした。ショートショートだから、こんな寄り道読書も可能なのである。

 星新一の作品はかなりの量を読んできたつもりだったが、その大半の内容を失念していることに、われながら情けなくなった。印象深く明確に記憶に残っているショートショートは10編に満たない。忘却する私が悪いのだが、ショートショート作家が気の毒にも思えてくる。

 本書は評伝ではなく作品論であり、作家論の部分もある。膨大な作品を読み込み、テーマごと、あるいは執筆時期ごとに分類・分析している。とても面白いが、論点が多岐にわたっているので、私の頭の中では全体像が混乱している。とりあげている作品の内容を自身で確認したうえで再読すれば、論点のイメージがもっと鮮明になるだろう。

 やはり、作品論より作家論の部分の方が興味深い。最相葉月の評伝への異論もいくつか提示していて、なるほどと思った。星新一がアスペルガー症候群で、その対人アバターが作品に結びついているという指摘が面白い。

 いつの日か、本書が言及した二百数十編と共に、最相葉月の評伝と本書をまとめて再読してみたいと思った。それは至福の読書時間になるような気がする。

P.S.
 この本の表紙に既視感があり、50年以上前に読んだ『ひとにぎりの未来』の真鍋博の装画と同じと判明。やはり、星新一には真鍋博だ。二人へのオマージュ表紙なのだ。

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