1964年のオリンピックを想起して『ずばり東京』再読2021年08月03日

『ずばり東京』(開高健/文春文庫)
 オリンピック開会式の日(2021年7月23日)の日経新聞『春秋』で開高健の『ずばり東京』に言及していた。私もオリンピック開会式と言えば57年前の『ずばり東京』を思い出す。オリンピックにちなんでこのルポを再読した。

  『ずばり東京』(開高健/文春文庫)

 開高健が週刊朝日に『ずばり東京』を連載したのは1963年10月からの約1年間で、最終回の二つ前が1964年10月の東京オリンピック開会式のルポ「超世の慶事でござる」だった。最終回は閉会式のルポ「サヨナラ・トウキョウ」で、その直後、開高健は朝日新聞社臨時海外特派員として戦火のヴェトナムへ飛び立って行く。

 当時、わが家は週刊朝日を定期購読していて、高校1年生だった私はこの連載ルポの多くを読んでいたはずだ。今でも印象に残っているのは、開会式の青空を「クヮラーンと晴れ渡った青空は気が遠くなるほどでございます。」と表現した箇所である。

 週刊朝日連載で読んだ『ずばり東京』は、開会式の回以外はほとんど憶えてなく、後年、文庫本を見つけて懐かしさで入手した。この文庫本(連載58回のうち38編を収録)は1990年6月刊行の6刷だから、読んだのは30年前だ。今回、この文庫本を読み返して、初読に近い読書体験をした。忘却力のおかげである。

 57年前の東京の姿に「隔世の感」と「相変わらずだなあ」が合い混ぜになる。そして意外に感じたのがルポ全体に流れるニヒリズムとも言える悲観的トーンである。昔読んだときは、諧謔的で痛快なルポと感じた気がする。このギャップは、読者である私の年齢のせいなのか、読書時間を過ごした時代の空気の影響なのか、よくわからない。

 『ずばり東京』を再読して、これは風土や風俗のルポではなく人間ルポだとあらためて気づいた。開高健はさまざまな人間に会って話を聞き出している。そして、最終回では自分の見聞録について、次のようにつぶやいている。

 「むなしいことだ、むなしいことだというつぶやきのほかに、いいかげんな知ったかぶりばかりおれは書いているのだと思うと、気持がわるくてわるくてならなかった」

 連載当時の開高健は30代前半、「銀座の裏方さん」の回で手相見に何歳ぐらいまで生きるのだと尋ねた回答は「まあまあ70歳でしょう」。実際には58歳で逝った。

 最終回の前の回(開会式の次の回)のタイトルは「祖国を捨てた若者たち」で、世界各地から東京へ流れてきたヒッチハイカーたちを取材している。「サヨナラ・トウキョウ」とヴェトナムへ旅立ち、その後も戦乱や釣果を追って世界各地をさすらい人のように旅することになる開高健の亡命者にも似た姿を予感しているように思えた。

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