『三体Ⅱ 黒暗森林』は“大きなSF”2020年07月01日

『三体Ⅱ 黒暗森林(上)(下)』(劉慈欣/大森望、立原透耶・上原かおり・泊功訳/早川書房)
 話題の中国SF『三体』の第2部の翻訳が刊行された。第1部のブッ飛んだ内容に圧倒されたのは昨年12月だった。読み始めたときは完結した物語だと思っていたが、読了してから3部作の第1部だと知った。第1部を読んだ直後には『日経サイエンス』の「『三体』の科学」という特集記事を読んで小説世界を反芻したこともあり、第2部を待ち受ける気分になった。

 第2部刊行を知って本屋に行くと、店頭の最前列に山積みされた『三体Ⅱ』は上下2冊だった。そのボリュームにたじろぎつつ2冊セットで購入した。

 『三体Ⅱ 黒暗森林(上)(下)』(劉慈欣/大森望、立原透耶・上原かおり・泊功訳/早川書房)

 『三体Ⅱ 黒暗森林』には第1部ほどのインパクトは感じなかった。第1部では文化大革命と宇宙の彼方の文明が呼応する奇想とVRの夢幻世界に圧倒されて眩暈がしたが、第2部はいわば普通のSF小説だった。長さを感じさせない面白い展開で、センス・オブ・ワンダーを感じる場面もあるが、奇想に唖然とすることはなかった。第1部ほどにブッ飛んではいない。

 このSFの設定の面白さは、エイリアンが地球侵略・人類せん滅のために地球に向かっていることは明確に判明しているが到着は400年後という点にある。悲劇に見舞われるのは自分ではなく、子・孫・曾孫でもなく、その先の子孫である。それがわかっているとき、われわれはどう対応するのか、思考実験としても面白い。

 また、読了してわかるのだが、第2部のテーマは「フェルミのパラドックス」への回答になっている。「フェルミのパラドックス」とは、地球外文明が存在する可能性は高く、宇宙の年齢を考えれば文明同士が出会う可能性が高いにもかかわらず、なぜ地球に宇宙人がやって来ないのだろう、という話である。これは、私を含めて多くの人が子供時代に抱いた疑問だと思う。そんなマクロなテーマを扱っているのが本書の魅力のひとつだ。

 本書巻末の大森望氏の解説に次の一節があった。

 「《三体》三部作は、クラークやアシモフに代表される黄金時代の英米SFや、小松左京に代表される草創期の日本SFのエッセンスがたっぷり詰め込まれている。こうした古めかしいタイプの本格SFは、とうの昔に時代遅れになり、二一世紀の読者には、もっと洗練された現代的なSFでなければ受け入れられない――と、ぼく個人は勝手に思い込んでいたのだが、『三体』の大ヒットがそんな固定観念を木っ端微塵に吹き飛ばしてくれた。黄金時代のSFが持つある意味で野蛮な力は、現代の読者にも強烈なインパクトを与えうる。それを証明したのが『三体』であり(…)」

 これを読んで、SFといえばクラーク、アシモフ、小松左京が浮かぶ私が時代遅れ存在なのだと、あらためて気づいた。