『唐牛伝:敗者の戦後漂流』は面白いのだが……2016年10月27日

『唐牛伝:敗者の戦後漂流』(佐野眞一/小学館)、『ソシオエコノミクス』(西部邁/中央公論社)の献辞
◎なぜいま唐牛健太郎

 1960年安保の全学連委員長・唐牛健太郎という名に反応するのは私たち団塊の世代までだろう。新聞の書評で次の本を知り、遠い昔の人がふいに現れたような不思議な気がした。

 『唐牛伝:敗者の戦後漂流』(佐野眞一/小学館)

 なぜ今頃になって唐牛健太郎だ、なぜ佐野眞一氏が唐牛健太郎を書いたのだろうと訝しく思った。と言って、私は佐野眞一氏の著作をきちんと読んだことはない。中内功や孫正義の伝記や週刊朝日で物議をかもして連載中止になった橋下徹の伝記(?)などを雑誌で拾い読みしているだけだ。

 かすかな違和感を感じつつも唐牛健太郎という素材に惹かれて本書を購入し、一気に読んだ。唐牛健太郎は全学連委員長の後、田中清玄事務所、ヨット会社経営、居酒屋の親父、与論島の土方、紋別の漁師、オフコンのセールス、徳田虎雄の選挙参謀など職を転々とし、1984年に直腸がんで亡くなっている。享年47歳。本書はその生涯を追った記録である。読後感は複雑だ。爽快ではない。

◎カッコイイと思った

 唐牛健太郎が全学連委員長として華々しい活躍をしていたとき、私は小学6年生だった。委員長の名前は知らなかったと思うが、全学連という言葉は深く脳裏に刻印され、小学生なりに安保闘争への関心は高く、日々のニュースに興奮していた。当時の小学生の多くがそうだったと思う。

 唐牛健太郎(カロウジケンタロウ)という名を知ったのは中学か高校の頃だ。その字面と響きに、なんとカッコイイ名前だろうと思った。もちろん、その気持には彼の活躍が裏打ちされていた。彼ら全学連が右翼の田中清玄から資金援助を受けていたことは既に知っていたが、そのことはカッコよさを減殺するものではなく、むしろ唐牛健太郎という名に魔術的オーラを加えるものだった。

◎西部邁氏の処女作で遭遇してびっくり

 私たち団塊世代は1960年代末から70年代初頭にかけての狂騒の時代に突入し、その頃には私の頭の中で唐牛健太郎は遠い過去の伝説の人になっていた。

 その後、唐牛健太郎という名前に遭遇し、軽いショックを覚えたのは1975年、私が社会人になって2年目の時だった。その頃、学生時代にはほとんど勉強しなかった経済学を少しは勉強しなければと思い、ボチボチと経済書を読み始めていた。そして、本屋で『ソシオエコノミクス』(西部邁/中央公論社)という本を手にした。目新しそうな経済学の本だなと思いつつパラパラとめくり、異様な献辞にびっくりした。扉に「オホーツクの漁師、唐牛健太郎氏へ」とあったのだ。

 その異様な献辞に惹かれて、未知の少壮経済学者らしき人のハードカバーを購入してしまった。唐牛健太郎が漁師になっていることは、この1行で知った。

 その後、西部邁氏は東大教授から保守評論家に転身し、数多くの本を書いている。最初に処女作の献辞「オホーツクの漁師、唐牛健太郎氏へ」に惹かれた因縁で、その後の彼の著作の何冊かに手を出してしまうことになった。

◎まさにセンチメンタルジャーニー

 『ソシオエコノミクス』は献辞だけでなく「はしがき」でも唐牛健太郎に言及している。この献辞と「はしがき」に惹かれた人は少なくないようだ。『唐牛伝』の最後の方に次の記述がある。

 「この献辞とはしがきを読んだとき、沢木耕太郎が「未完の六月」の中で書いているように、私も胸をしめつけられる思いにかられた。」

 私は「未完の六月」を読んでいないので正確な所はわからないが、西部邁氏の1行が唐牛健太郎というシンボルを増幅させたのは確かだろう。

 そう考えるのは、私の頭の中にある唐牛健太郎像のかなりの部分は、西部邁氏の著述に負っているからだ。『六〇年安保:センチメンタルジャーニー』(西部邁/文藝春秋/1986.10)の第1章は「悲しき勇者―唐牛健太郎」というタイトルで、西部邁が親友であり信友だった唐牛健太郎について語っている。30年前に読んだ文章だが、その哀切で酒に酔って演歌を聴いているような印象はいまも残っている。

 『唐牛伝』を読むにあたって、この章を読み返してみた。西部邁氏は、うますぎるとも言える粘着質でかつ明晰な特有の文章でセンチメンタルジャーニーを哀切に詠いあげている。

◎ややシラけるセンチメンタルジャーニー

 佐野眞一氏の『唐牛伝』もセンチメンタルジャーニー風ではある。だが、西部邁氏の芸には及ばない。

 佐野眞一氏は1947年生まれ、私と学年二つ上のほぼ同世代で、唐牛健太郎との面識はないそうだ。唐牛健太郎という魅力的な人物に興味を抱く気持はわかる。しかし、いまあえて唐牛健太郎を語る切実な動機が何なのか、本書から伝わって来なかった。プロローグやあとがきにおいて動機や問題意識が述べれてはいるが、私にはピンと来なかった。

 唐牛健太郎は30年前に亡くなっていて、関係者にも鬼籍に入った人が多い。もちろん、生き延びているも多いが、唐牛健太郎について語りたがらない人もいる。そんな状況の中で、著者は関係者を訪ね歩きながら情報を拾い集めている。

 実は唐牛健太郎に関してはかなりの量の雑誌記事や新聞記事が残されているし、死後に関係者が編纂した『唐牛健太郎追想集』という大部の書籍もある。

 だから、著者は独自の取材結果と過去の記事などの資料を元に唐牛健太郎の伝記を紡いでいく。この方法自体は正しいと思うが、取材旅行の様子をセンチメンタルジャーニー風にベタに綴っているのにはついて行けない。取材対象・唐牛健太郎への思いが強いとしても、伝記の大部分は過去の資料に基づく内容なのに、自身の取材をフレームアップし、その取材を詠嘆的に語られるとシラけてしまう。

◎ゴシップ記事集成の面白さか

 唐牛健太郎という人物が興味深いのは確かで、本書の内容も面白い。ただ、その面白さの多くは週刊誌のゴシップ記事を集成した面白さのように思え、著者の感慨や見解はやや陳腐に感じられる。唐牛健太郎の生涯の概要を知ることはできたが、もっと踏み込んだ物語にできたのでは、との思いが残る。「敗者の戦後漂流」というサブタイトルも適切とは思えない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
ウサギとカメ、勝ったのどっち?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://dark.asablo.jp/blog/2016/10/27/8236961/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。