『カエサルを撃て』(佐藤賢一)のカエサルは薄毛を気にする中年男2016年10月07日

『カエサルを撃て』(佐藤賢一/中公文庫)
 『王妃の離婚』で直木賞を受賞した佐藤賢一氏はフランス中世を舞台にした小説を書く人だと思っていたが、古代ローマを題材にした作品を三つも書いていると知った。まずは次の小説を読んだ。

 『カエサルを撃て』(佐藤賢一/中公文庫)

 私は以前に『王妃の離婚』を読んだだけで、この作家の小説を読むのは本書ガ2作目だ。主人公は『ガリア戦記』の最後の方に登場する蛮族の指導者ウェルキンゲトリクスである。普通の日本人にはあまり馴染みのない人物に思えるが、フランスでは有名人らしい。第三共和国の教科書の冒頭にフランスの歴史上最初の英雄として登場するそうだ。フランス史に詳しい佐藤賢一氏らしい目のつけ所だ。

 私はこの人物を塩野七生氏の『ローマ人の物語』で初めて知った。その後、カエサルの『ガリア戦記』も読んだので、多少の印象は残っている。その印象とは、バラバラなガリア諸民族を束ねて決起し強大なローマ軍に立ち向かい、最後は破れるにしてもカエサルを追い詰めて苦しめた「敵ながらアッパレな奴」といったものだ。

 ローマに協力する蛮族を味方、反抗する蛮族を敵とみなすのはカエサルやローマという文明に感情移入しているせいだが、『ローマ人の物語』や『ガリア戦記』を読んでいると、どうしてもそんな気分になってしまう。

 だが本書はその裏返しで、ガリア側視点の『ガリア戦記』である。当事者であるカエサルが書いた『ガリア戦記』を読んでいても、ガリア地域に文明と平和をもたらすためにローマが進出するというのは、部族割拠のガリアの人々にとっては大きなお世話であり、ローマの侵略に見えてくる。だから、ガリア側から抵抗運動を描いた方が痛快で説得力がある物語になるように思える。

 ところが、『カエサルを撃て』は痛快なレジスタンス小説とは言えない。カエサルは十分に悪役だが、対峙するウェルキンゲトリクスもなかなかに野蛮で感情移入しにくく、エンタメ英雄譚にはなっていない。猥雑でややえげつない古代世界を生々しく描いた小説で、著者がウェルキンゲトリクスに惚れ込んで描いたわけではないように思える。

 興味深いのは、この小説におけるカエサル像だ。薄毛を気にする小心な中年男、陽気で優しくて思いやりにも長けたお人好の二流の男、大成するには何かが足りない男として描かれている。

 そんな男が何故その後、ローマ帝国の創始者とも呼ばれる大人物になったのか。それは、若きウェルキンゲトリクスと対峙したからである…というのが本書の歴史解釈のミソである。何とかウェルキンゲトリクスを破りガリア総決起を抑えることができたとき、カエサルは別人への変貌を遂げたというのである。本書の末尾近くに次のような記述がある。

 「(カエサルは)確かに別人になっていた。ガリアの若き野生に魅せられ、もうローマの醜い中年男はいなかった。やはり、カエサルは撃たれたのだ。」

 ユニークで面白い見方だ。だが、本書全編を費やしても、この回心を説得的に展開しているとは言いにくい。もちろん、人間が別人に変貌を遂げることはあるだろうが、そんなに容易に変われるわけではなく、人間の回心を説得的に描くのは容易ではない。

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