江戸の遺産のうえに成立した『「明治」という国家』 ― 2015年09月01日
『明治維新という過ち』(原田伊織/毎日ワンズ)という武士道精神をベースにしたややエキセントリックな反薩長本を読んだのをきっかけに、同書で言及していた『「明治」という国家(上)(下)』(司馬遼太郎/NHKブックス)を読んだ。
原田伊織氏の『明治維新という過ち』には「吉田松陰と司馬史観の罪」という章があり、司馬遼太郎氏の明治維新評価を否定している。坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟を高く評価し、桜田門外ノ変を肯定的にとらえ、日露戦争以降から太平洋戦争までの歴史を「不連続」と見る司馬史観に大きな疑義を呈している。にもかかわらず、著者は司馬遼太郎氏の知性を高く評価し「心から尊敬し、大きな影響を受けてきた」と述べている。この屈折が不思議で、『明治維新という過ち』を読んでみたくなった。
司馬遼太郎という「国民作家」は、日本の多くの人の歴史観にかなりの影響を及ぼしていると思われる。私自身はさほどいい読者ではない。いくつかの作品を面白く読んできたが未読の作品も多い。幕末維新モノでは『翔ぶがごとく』『花神』『胡蝶の夢』などは未読だ。だが、巷間言われる「司馬史観」なるものを確認したいとは思っている。
『「明治」という国家』はテレビ番組でしゃべった内容をまとめたものだ。余談の多い講義調で、読みやすくて面白い。具体的な事例をいろいろ披露しながら、ざっくりと鳥瞰的に「国家」の姿を示す手法はあざやかだ。該博な知識にも圧倒される。
本書の冒頭で、これまで幕末から明治にかけての小説をずいぶん書いてきたが、今後はもう書かないだろうから、自分が得た「明治国家」の像を話すことにしたという趣旨のことを述べている。司馬遼太郎氏の小説にはエッセイの趣きもあるので、語りたいことがある限りは小説を書けるのではないかとも思えるが、歴史小説の作者にとって「小説」と「エッセイ」の間には大きな隔たりがあるらしい。そこを興味深く感じた。
本書全体の印象は『坂の上の雲』に似ている。明治を希望に満ちた青少年のようにとらえている点だ。こういう肯定的で優しいとらえ方は「正しい」とか「間違っている」と評価できるものではなく、多様な視角のひとつだと思える。本書を読んでいて、その視角が好ましく思えてくるのは、私が単純だからか。
近代化、進歩をどう見るかは実は簡単なことではないが、それを否定するのは難しい。司馬遼太郎氏も近代化や進歩を是とする考えをベースにしているように思える。だから、江戸幕府を倒して新たな時代になったことを評価し、「明治維新はおこらざるをえない革命だった」と述べている。ただし、その革命の内実や過程についての話は少なく、革命の必然性が説得的に語られているわけではない。
むしろ、本書で印象深いのは「明治という国家」が江戸時代のさまざまな遺産のうえに成立しているという指摘だ。幕臣だった勝海舟、小栗忠順、福沢諭吉らを「明治の父」「新時代の設計者」とし、西郷隆盛たちが作った新たな国家には青写真がなかったと指摘している。青写真がない故に無垢で初々しい魅力があったと言えるかもしれないが、おかしな話ではある。
また、江戸日本がプロテスタンティズムに似ていたという指摘には驚いた。武士道、農民の勤勉さ、大商人の家訓、町人の心学などによる倫理的風土が明治期の近代化を進めるバックボーンになっていたというのだ。
本書では勝海舟を高く評価していて、次のような記述もある。
「勝海舟は、日本史上、異常な存在でした。異様とは、みずからを架空の存在にしたことです。架空の存在とは、みずからを“国民”にしてしまったことです。“国民”がたれひとり日本に存在しない時代においてです。」
その勝海舟が真の国民1号として育てようとしたのが坂本龍馬で、幕末の志士の中で革命後の青写真、設計図をもった人は坂本龍馬だけだったとの考えも述べている。『竜馬がゆく』の作家のひいき目に感じられる。
明治維新の最大の功労者は、西郷隆盛や木戸孝允などではなく、徳川慶喜と勝海舟であるという逆説的な見解は興味深い。
このように勝海舟を高く評価している司馬遼太郎氏だが、勝海舟のもっていた「えぐさ」がにがてだと述べているのが面白い。勝海舟を主人公にした長編小説を書かなかった理由かもしれない。
本書で高く評価している徳川慶喜、勝海舟、小栗忠順、福沢諭吉らはいずれも幕府側の人物で、それぞれがかなり的確な世界認識と将来見通しをもった優秀な人材だった。しかし、この4人の関係はあまりよくない。彼らが協働してひとつの目標に邁進するということはなかった。優秀な人材がまとまるのが難しいのは常のことだが、長く続いた幕藩体制の制度疲労が協働を阻んだようだ。
司馬遼太郎氏は、日露戦争までの明治と太平洋戦争に突き進んだ昭和の間に不連続があるとしているが、『「明治」という国家』は、江戸日本と「革命」後の明治日本の不連続ではなく連続性を述べた本だ。
原田伊織氏の『明治維新という過ち』には「吉田松陰と司馬史観の罪」という章があり、司馬遼太郎氏の明治維新評価を否定している。坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟を高く評価し、桜田門外ノ変を肯定的にとらえ、日露戦争以降から太平洋戦争までの歴史を「不連続」と見る司馬史観に大きな疑義を呈している。にもかかわらず、著者は司馬遼太郎氏の知性を高く評価し「心から尊敬し、大きな影響を受けてきた」と述べている。この屈折が不思議で、『明治維新という過ち』を読んでみたくなった。
司馬遼太郎という「国民作家」は、日本の多くの人の歴史観にかなりの影響を及ぼしていると思われる。私自身はさほどいい読者ではない。いくつかの作品を面白く読んできたが未読の作品も多い。幕末維新モノでは『翔ぶがごとく』『花神』『胡蝶の夢』などは未読だ。だが、巷間言われる「司馬史観」なるものを確認したいとは思っている。
『「明治」という国家』はテレビ番組でしゃべった内容をまとめたものだ。余談の多い講義調で、読みやすくて面白い。具体的な事例をいろいろ披露しながら、ざっくりと鳥瞰的に「国家」の姿を示す手法はあざやかだ。該博な知識にも圧倒される。
本書の冒頭で、これまで幕末から明治にかけての小説をずいぶん書いてきたが、今後はもう書かないだろうから、自分が得た「明治国家」の像を話すことにしたという趣旨のことを述べている。司馬遼太郎氏の小説にはエッセイの趣きもあるので、語りたいことがある限りは小説を書けるのではないかとも思えるが、歴史小説の作者にとって「小説」と「エッセイ」の間には大きな隔たりがあるらしい。そこを興味深く感じた。
本書全体の印象は『坂の上の雲』に似ている。明治を希望に満ちた青少年のようにとらえている点だ。こういう肯定的で優しいとらえ方は「正しい」とか「間違っている」と評価できるものではなく、多様な視角のひとつだと思える。本書を読んでいて、その視角が好ましく思えてくるのは、私が単純だからか。
近代化、進歩をどう見るかは実は簡単なことではないが、それを否定するのは難しい。司馬遼太郎氏も近代化や進歩を是とする考えをベースにしているように思える。だから、江戸幕府を倒して新たな時代になったことを評価し、「明治維新はおこらざるをえない革命だった」と述べている。ただし、その革命の内実や過程についての話は少なく、革命の必然性が説得的に語られているわけではない。
むしろ、本書で印象深いのは「明治という国家」が江戸時代のさまざまな遺産のうえに成立しているという指摘だ。幕臣だった勝海舟、小栗忠順、福沢諭吉らを「明治の父」「新時代の設計者」とし、西郷隆盛たちが作った新たな国家には青写真がなかったと指摘している。青写真がない故に無垢で初々しい魅力があったと言えるかもしれないが、おかしな話ではある。
また、江戸日本がプロテスタンティズムに似ていたという指摘には驚いた。武士道、農民の勤勉さ、大商人の家訓、町人の心学などによる倫理的風土が明治期の近代化を進めるバックボーンになっていたというのだ。
本書では勝海舟を高く評価していて、次のような記述もある。
「勝海舟は、日本史上、異常な存在でした。異様とは、みずからを架空の存在にしたことです。架空の存在とは、みずからを“国民”にしてしまったことです。“国民”がたれひとり日本に存在しない時代においてです。」
その勝海舟が真の国民1号として育てようとしたのが坂本龍馬で、幕末の志士の中で革命後の青写真、設計図をもった人は坂本龍馬だけだったとの考えも述べている。『竜馬がゆく』の作家のひいき目に感じられる。
明治維新の最大の功労者は、西郷隆盛や木戸孝允などではなく、徳川慶喜と勝海舟であるという逆説的な見解は興味深い。
このように勝海舟を高く評価している司馬遼太郎氏だが、勝海舟のもっていた「えぐさ」がにがてだと述べているのが面白い。勝海舟を主人公にした長編小説を書かなかった理由かもしれない。
本書で高く評価している徳川慶喜、勝海舟、小栗忠順、福沢諭吉らはいずれも幕府側の人物で、それぞれがかなり的確な世界認識と将来見通しをもった優秀な人材だった。しかし、この4人の関係はあまりよくない。彼らが協働してひとつの目標に邁進するということはなかった。優秀な人材がまとまるのが難しいのは常のことだが、長く続いた幕藩体制の制度疲労が協働を阻んだようだ。
司馬遼太郎氏は、日露戦争までの明治と太平洋戦争に突き進んだ昭和の間に不連続があるとしているが、『「明治」という国家』は、江戸日本と「革命」後の明治日本の不連続ではなく連続性を述べた本だ。
井上ひさし『もとの黙阿弥』『國語元年』で明治時代へ…… ― 2015年09月04日
先月と今月、井上ひさしの芝居を2本続けて観た。8月に新橋演舞場で上演された『もとの黙阿弥』と9月から紀伊国屋サザンシアターで上演中の『國語元年』である。井上ひさしが亡くなって5年になるが、現在もその芝居が継続して上演されているのに感心した。こまつ座の尽力もあるだろうが、やはり希有の劇作家だったのだろう。
作者の生前に私が観たのは『表裏源内蛙合戦』『天保十二年のシェイクスピア』『頭痛肩こり樋口一葉』の三本だけだと思う。だから、たて続けて井上作品を観るのは私にとっては異例の体験であり、その2本ともが明治時代を舞台にしているのに不思議な巡り合わせを感じた。
というのは、このところ幕末維新関係の本を何冊か続けて読んでいて、頭の中が幕末維新モードになっているからだ。少し気になっていた井上作品の上演を知ってチケットの手配したのは1カ月以上前で、そのときは作品の舞台が明治時代であることは意識していなかった。
『もとの黙阿弥』は片岡愛之助・貫地谷しほり主演、『國語元年』は八嶋智人主演で、二つとも演出は栗山民也だ。回り舞台や花道を活用する新橋演舞場と中規模のサザンシアターでは芝居の趣きは少し異なるかもしれないが、どちらも賑やかで華やかな中に哀感も潜んでいる井上ひさしワールドという点では同じだ。
『もとの黙阿弥』の設定は明治20年、華族の青年と実業家の娘が鹿鳴館デビューの準備に浅草の小さな芝居小屋で舞踏を習うことから始まるドタバタだ。『國語元年』の設定は明治7年、全国統一の話し言葉の制定を命じられた文部省の下級官吏とその家族たちの話だ。明治7年は西南戦争以前の新政府の胎動期、明治20年は鹿鳴館時代だから、明治といっても二つの芝居の時代背景は少し異なる。
しかし、この二つの芝居に共通して明治という時代のさまざまな様相が反映されていると感じた。2作品とも現実をデフォルメしたフィクションであり、基本的にはコメディなのだが、苦いものが仕込まれている。どちらの芝居も最後に登場人物の一人が狂人になってしまう。狂人になったまま現実の世界に戻って来ないというのは、喜劇ではなく悲劇というべきかもしれない。あえて、そのような結末にしたことに、劇作家の批判精神を感じないわけにはいかない。その批判対象は「明治という時代」ではなく、もっと大きなものかもしれないが。
二つの芝居で二人の人物が発狂する原因は何か。ひとつは貧富の差が大きい社会の格差の認識である。もう一つは、言葉を人為的に統一しようという不可能性の認識であり、官僚機構の不条理(有司専制?)である。このようにまとめると二つの芝居が明治という時代の暗部を抉っているようにも見えるかもしれないが、もちろん、芝居はそんなに簡単に整理できるような平板なものではない。
ただ、私にとっては、明治時代を眺める視点のひとつを得たような気がした。
作者の生前に私が観たのは『表裏源内蛙合戦』『天保十二年のシェイクスピア』『頭痛肩こり樋口一葉』の三本だけだと思う。だから、たて続けて井上作品を観るのは私にとっては異例の体験であり、その2本ともが明治時代を舞台にしているのに不思議な巡り合わせを感じた。
というのは、このところ幕末維新関係の本を何冊か続けて読んでいて、頭の中が幕末維新モードになっているからだ。少し気になっていた井上作品の上演を知ってチケットの手配したのは1カ月以上前で、そのときは作品の舞台が明治時代であることは意識していなかった。
『もとの黙阿弥』は片岡愛之助・貫地谷しほり主演、『國語元年』は八嶋智人主演で、二つとも演出は栗山民也だ。回り舞台や花道を活用する新橋演舞場と中規模のサザンシアターでは芝居の趣きは少し異なるかもしれないが、どちらも賑やかで華やかな中に哀感も潜んでいる井上ひさしワールドという点では同じだ。
『もとの黙阿弥』の設定は明治20年、華族の青年と実業家の娘が鹿鳴館デビューの準備に浅草の小さな芝居小屋で舞踏を習うことから始まるドタバタだ。『國語元年』の設定は明治7年、全国統一の話し言葉の制定を命じられた文部省の下級官吏とその家族たちの話だ。明治7年は西南戦争以前の新政府の胎動期、明治20年は鹿鳴館時代だから、明治といっても二つの芝居の時代背景は少し異なる。
しかし、この二つの芝居に共通して明治という時代のさまざまな様相が反映されていると感じた。2作品とも現実をデフォルメしたフィクションであり、基本的にはコメディなのだが、苦いものが仕込まれている。どちらの芝居も最後に登場人物の一人が狂人になってしまう。狂人になったまま現実の世界に戻って来ないというのは、喜劇ではなく悲劇というべきかもしれない。あえて、そのような結末にしたことに、劇作家の批判精神を感じないわけにはいかない。その批判対象は「明治という時代」ではなく、もっと大きなものかもしれないが。
二つの芝居で二人の人物が発狂する原因は何か。ひとつは貧富の差が大きい社会の格差の認識である。もう一つは、言葉を人為的に統一しようという不可能性の認識であり、官僚機構の不条理(有司専制?)である。このようにまとめると二つの芝居が明治という時代の暗部を抉っているようにも見えるかもしれないが、もちろん、芝居はそんなに簡単に整理できるような平板なものではない。
ただ、私にとっては、明治時代を眺める視点のひとつを得たような気がした。
勘九郎・七之助の『赤坂大歌舞伎』は楽しい ― 2015年09月08日
中村勘九郎、中村七之助の赤坂大歌舞伎の初日公演を観た。赤坂ACTシアターに行くのは初めてで、中村勘三郎が7年前に始めた赤坂大歌舞伎の観劇は初体験だ。
サービス精神のある楽しい舞台で、あらためて歌舞伎は現代にも通用するエンターテインメントだと思った。
演目は『操り三番叟』と『お染めの七役』、私にはどちらも初見だ。『操り三番叟』の操り人形の舞踏はユーモラスであり、一人七役の早替わりが趣向の『お染めの七役』には圧倒された。
かつて、猿之助サーカスという言葉を聞いたことがあるが、『お染めの七役』は、さながら七之助マジックショーである。
勘九郎、七之助には勘三郎の遺児というイメージがある。歌舞伎界にとって中村勘三郎という特異なスターを喪った穴は大きいだろが、二人の息子がその穴を埋めつつあると感じた。勘九郎の貫録と七之助の美しさには見ごたえがある。遺児というイメージは薄まりつつあるようだ。
世の中、どの世界にも「余人をもって代えがたい」と見なされている人がいて、その人を喪ったときには先行きが危ぶまれるものだ。しかし、存外なんとかなるもので、この世の時の流れには喪われた人の穴を埋めつくしてしまう大きな力あるようだ。赤坂大歌舞伎を観ながらそんなことを感じた。
サービス精神のある楽しい舞台で、あらためて歌舞伎は現代にも通用するエンターテインメントだと思った。
演目は『操り三番叟』と『お染めの七役』、私にはどちらも初見だ。『操り三番叟』の操り人形の舞踏はユーモラスであり、一人七役の早替わりが趣向の『お染めの七役』には圧倒された。
かつて、猿之助サーカスという言葉を聞いたことがあるが、『お染めの七役』は、さながら七之助マジックショーである。
勘九郎、七之助には勘三郎の遺児というイメージがある。歌舞伎界にとって中村勘三郎という特異なスターを喪った穴は大きいだろが、二人の息子がその穴を埋めつつあると感じた。勘九郎の貫録と七之助の美しさには見ごたえがある。遺児というイメージは薄まりつつあるようだ。
世の中、どの世界にも「余人をもって代えがたい」と見なされている人がいて、その人を喪ったときには先行きが危ぶまれるものだ。しかし、存外なんとかなるもので、この世の時の流れには喪われた人の穴を埋めつくしてしまう大きな力あるようだ。赤坂大歌舞伎を観ながらそんなことを感じた。
筒井康隆さんの新作『モナドの領域』は眩暈がしそうな怪作 ― 2015年09月09日
『新潮 2015年10月号』に筒井康隆さんの新作長編『モナドの領域』が掲載されている。この小説の執筆途中にブログ『偽文士日碌』で「もうこれ以上の作品は一生書けまいと思う。何しろ最終的テーマなのだから」と語られていた作品だ。ファンの一人として発表を待ち望んでいた。
雑誌発売日(9月7日)の朝、駅前の本屋に行くと『新潮 10月号』は平積みになっていた。まず、表紙に驚く。著者名・作品名がドーンと大きい。まるで単行本の表紙だ。「最高傑作にして、おそらくは最後の長編」という惹句もすごい。
読み始めると、すぐに作品世界に引き込まれ、一挙掲載の330枚を一挙に読んでしまった。本来はもう少しゆっくり味読するべきだったと反省した。読みやすいとは言え、わかりやすい作品ではないのだ。
冒頭に登場するのは五十歳になる美男子の警部で、場面は女性の片腕が遺棄されている河川敷。この犯罪現場シーンでやや場違いに谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』や川端康成の『片腕』への言及があり、江戸川乱歩的舞台でのメタフィジカルな世界が予感される。
この美男子警部が主人公だろうと思って読み進めると、まったく違った展開で、当初の予感は裏切られた。主人公は時間と空間のすべてを見通している遍在的な「存在」であり、いわゆる「神様」なのだ。彼は自身のことを「神以上の存在」と語っている。
度肝を抜かれる設定だ。「神」が登場するSFは少なくないし、「神」を扱う文学は数多いが、はっきり言って私は「神」が苦手である。取り扱いがやっかいな代物だから、かかわり合いたくないのだ。
「神以上の存在」が現代の日常世界に出現し、美男子警部や女子大生と絡んでくる話が、コントやショートショートではなく現代の長編小説として果たして成り立つだろうか。非常に困難だと思う。しかし、筒井康隆さんはその力業を『モナドの領域』においてやっけのけている。
「モナド」という言葉を知らなかったので、小説を読む前に辞書で調べた。辞書の説明を抜粋すると「ライプニッツの実体概念。部分をもたない単純な実態で、物質的ではなく霊的。生成消滅することなく、表象によって全世界と全歴史を表現する」ということである。よく理解できない。また、本書に登場するトマス・アクィナスなどの著作にも不案内だ。そもそもまともに哲学に踏み込んだことはなく、敬遠してきた。だが、哲学的部分もあるこの小説を十分に楽しむことができた。
『モナドの領域』には宇宙の姿や多元宇宙への言及はあるが、小松左京さんの思弁的大風呂敷宇宙小説とはベクトルが異なる。探究の対象が異なるように思える。アウタースペースとインナースペースの違いとも言えず、うまく表現できない。この小説の主人公「神以上の存在」は世界のすべてを知っているが、この主人公の視点で小説を書くのはかなり難しいだろう。いま注目されている人間原理の多次元宇宙を描くには便利な視点だが、それでは単なる宇宙論になってしまう。
「神以上の存在」が主人公の『モナドの領域』という小説の視点は、作者という神の視点であり、主人公の視点ではない。作者という神が「神以上の存在」を描くという眩暈がしそうな構成なのだ。この小説には「大審問官」を彷彿させる法廷シーンがあり、そこでは『カラマーゾフの兄弟』への言及もある。また、『時をかける少女』に言及した箇所もある。先人や自身の著作を換骨奪胎・微分積分したパロディ的、メタフィクション的、パラフィクション的、哲学的、神学的、超人的な前代未聞の摩訶不思議な小説だ。
雑誌発売日(9月7日)の朝、駅前の本屋に行くと『新潮 10月号』は平積みになっていた。まず、表紙に驚く。著者名・作品名がドーンと大きい。まるで単行本の表紙だ。「最高傑作にして、おそらくは最後の長編」という惹句もすごい。
読み始めると、すぐに作品世界に引き込まれ、一挙掲載の330枚を一挙に読んでしまった。本来はもう少しゆっくり味読するべきだったと反省した。読みやすいとは言え、わかりやすい作品ではないのだ。
冒頭に登場するのは五十歳になる美男子の警部で、場面は女性の片腕が遺棄されている河川敷。この犯罪現場シーンでやや場違いに谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』や川端康成の『片腕』への言及があり、江戸川乱歩的舞台でのメタフィジカルな世界が予感される。
この美男子警部が主人公だろうと思って読み進めると、まったく違った展開で、当初の予感は裏切られた。主人公は時間と空間のすべてを見通している遍在的な「存在」であり、いわゆる「神様」なのだ。彼は自身のことを「神以上の存在」と語っている。
度肝を抜かれる設定だ。「神」が登場するSFは少なくないし、「神」を扱う文学は数多いが、はっきり言って私は「神」が苦手である。取り扱いがやっかいな代物だから、かかわり合いたくないのだ。
「神以上の存在」が現代の日常世界に出現し、美男子警部や女子大生と絡んでくる話が、コントやショートショートではなく現代の長編小説として果たして成り立つだろうか。非常に困難だと思う。しかし、筒井康隆さんはその力業を『モナドの領域』においてやっけのけている。
「モナド」という言葉を知らなかったので、小説を読む前に辞書で調べた。辞書の説明を抜粋すると「ライプニッツの実体概念。部分をもたない単純な実態で、物質的ではなく霊的。生成消滅することなく、表象によって全世界と全歴史を表現する」ということである。よく理解できない。また、本書に登場するトマス・アクィナスなどの著作にも不案内だ。そもそもまともに哲学に踏み込んだことはなく、敬遠してきた。だが、哲学的部分もあるこの小説を十分に楽しむことができた。
『モナドの領域』には宇宙の姿や多元宇宙への言及はあるが、小松左京さんの思弁的大風呂敷宇宙小説とはベクトルが異なる。探究の対象が異なるように思える。アウタースペースとインナースペースの違いとも言えず、うまく表現できない。この小説の主人公「神以上の存在」は世界のすべてを知っているが、この主人公の視点で小説を書くのはかなり難しいだろう。いま注目されている人間原理の多次元宇宙を描くには便利な視点だが、それでは単なる宇宙論になってしまう。
「神以上の存在」が主人公の『モナドの領域』という小説の視点は、作者という神の視点であり、主人公の視点ではない。作者という神が「神以上の存在」を描くという眩暈がしそうな構成なのだ。この小説には「大審問官」を彷彿させる法廷シーンがあり、そこでは『カラマーゾフの兄弟』への言及もある。また、『時をかける少女』に言及した箇所もある。先人や自身の著作を換骨奪胎・微分積分したパロディ的、メタフィクション的、パラフィクション的、哲学的、神学的、超人的な前代未聞の摩訶不思議な小説だ。
中央公論社版『日本の歴史』で幕末維新を読む ― 2015年09月12日
◎『日本の歴史』はなつかしいベストセラー
中央公論社版『日本の歴史』が出版されたのは半世紀前、私が高校生の頃だった。あの頃、全巻そろえたいなどとは思ってもみなかった。受験のための日本史の教科書と参考書だけでフーフー言っていたのだ。だが、私と同様に理系志望で日本史を受験科目に選択している友人の一人が「受験対策に中央公論の『日本の歴史』を全巻読む」と宣言したので、びっくりした記憶がある。彼が本当に全巻読んだかどうかは知らないが、名門国立大学の工学部に現役合格した。
当時『日本の歴史』は、工学部志望の高校生も手に取るほどの話題のベストセラーだった。執筆者の歴史学者たちが思いがけぬ高額の印税収入に喜んでいるという内容の週刊誌の記事を目にしたこともある。
半世紀前に出た『日本の歴史』は現在も中公文庫で出版されている。その息の長さにはおどろかされる。何冊かはバラで買ったこともあるが、最近、『日本の歴史』全31冊を一括入手した。1960年代に出版されたハードカバー版全31冊五千円という古本屋の価格を見て、置き場所も考えずに購入してしまったのだ。
◎羽仁五郎を師とする二人の学者の著作
そんなわけで、わが書斎の床には『日本の歴史』31冊が積まれている。その中から幕末維新の次の2冊を読んでみた。反薩長モノを理解するには、フツーの概説書にどう書かれているかを知らねば、という当然のことに思い至ったからだ。
『日本の歴史19 開国と攘夷』(小西四郎/中央公論社)
『日本の歴史 20 明治維新』(井上清/中央公論社)
この2冊が半世紀前のベストセラーなのは確かだが、フツーの概説書かどうかは定かではない。小西四郎氏は東大教授(当時)、井上清氏は京大教授(当時)で、ともに師はあの羽仁五郎先生だ。私たちが学生時代に『都市の論理』がベストセラーになった老歴史学者・羽仁五郎は、羽仁進の父親、自由学園創立者・羽仁もと子の娘・羽仁説子の亭主で、怪気炎をあげる左翼老人タレント学者というイメージがある。
その意味で、井上清氏も当時は全共闘支持を表明するちょっと変わった有名左翼学者だった。数年前、井上清氏の『西郷隆盛(上)(下)』(中央公論)を読んだが、著者の個性が感じられる奇書のイメージがある。
いずれにしても、この2冊がマルクス主義的な史観をベースに書かれていることは容易に予想できる。それ自体はいいとも悪いとも言えない。1960年代には、その史観こそがスタンダードだったのかもしれないし、史観に固執するだけで歴史を概説できるわけでもない。
◎『開国と攘夷』(小西四郎)
小西四郎氏の『開国と攘夷』は、1840年(天保11年)のアヘン戦争から1867年12月の王政復古のクーデター開始までを描いているが、ペリー来航まではプロローグで、ペリー来航の1853年(嘉永6年)から1867年(慶応3年)の大政奉還、王政復古クーデターまでの15年間がメインだ。
この15年で世の中は大きく変わり、徳川幕府は瓦解する。何と濃密で慌ただしい15年間だったのだろうと思う。すでに人生を66年やってきた私の感覚では15年はアッという間である。そのわずか15年の間に頻発する出来事・事件の集成によって歴史が大きく変動する。それは、おそらくその時代を生きた当事者たちの予見を超えた変動だったと思う。
小西四郎氏はこの15年を小説のように面白く活写している。随所に著者の「好み」が語られているのも愛嬌だ。著者は坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、久坂玄瑞などが好みだそうだ。何ともポピュラーな幕末の志士ファンに見えるが、幕府側の勝海舟と小栗忠順を傑出した人物と持ち上げ、近藤勇にも一定の評価を与えている。人物評価に関しては全般的に目配りのいいメリハリのある公平さが感じられた。
本書には「民衆」という言葉がかなり出てくる。著者は歴史における民衆の役割、民衆のエネルギーを重視し「歴史における進歩とは、民衆の立場に立つものと、わたしは理解している」と述べている。師・羽仁五郎の「人民史観」に基づくスタンスである。「歴史とは進歩するものだ。その原動力は民衆だ」という考えだ。
私は、そうあってほしいとは思うが、それが正しいかどうかはわからない。過去の歴史を眺めると進歩してきたようには思えるが、そうでない要素があるのも確かだ。まして、この先の歴史がどう進歩するのか、あるいは進歩しないのか、何とも言えない。
もちろん本書は、ペリー来航から王政復古までの15年間の歴史変動の主役が民衆だったという内容ではない。尊王攘夷が民衆と密着していたわけではないし、民衆が幕府を倒したわけでもない。しかし、著者は、幕末の歴史事象の背景で民衆のエネルギーが果たした役割を拾いあげ、尊王攘夷から倒幕にいたる流れを「進歩」ととらえている。
この時代に活躍した人々は、それぞれが自分が正しいと思う理念を抱いていたとは思うが「歴史を進歩させる」といったマクロな方向感覚をもった人はいなかっただろうと私は思う。
安政の大獄における井伊大老の措置を著者が「そう苛酷なものとは思わない」と述べているのが面白い。もちろん、井伊大老を是としているのではなく、徳川幕府は独裁権力で成り立っているとの認識に基づき、その独裁権力を維持するためには当然の措置だという見解である。
著者は幕閣の中にいた開明的で優秀な人々に言及しつつも、大雑把に単純化してしまえば「幕府=悪者=倒されるべき者」という見方に立っているようだ。安政の大獄で弾圧処刑された尊攘志士たちは倒幕論者ではなく幕政改革論者だったとするくだりでは、その時点では「倒幕に到達していなかった」と述べている。
倒幕の立役者である西郷隆盛が倒幕という思想に到達したのは1865年(慶応元年)だそうだ。著者は、その背景には民衆のエネルギーがあったとし、次のように解説している。
西郷隆盛たちは民衆の動向に深い関心を寄せていて、現状のままでは民衆の蜂起によって幕府や藩による支配体制が危うくなるとおそれ、現状を打開するには新たな統一国家を樹立しなければならないと考え、倒幕を進める決意をした、というのだ。薩摩藩主が朝廷に提出した長州再征に反対する書面にもとづく見解である。
この見方が一般的かどうかは知らないが、私にとっては意外で、すこし驚かされた。
◎『明治維新』(井上清)
井上清氏の『明治維新』の冒頭は歴史小説のような書き出しだ。鯨海酔侯と自他ともにゆるす山内容堂が、王政復古のクーデター当日の朝、即刻参朝せよとの命令を捨て置いて、憤懣やるかたなく酒を飲んでいるシーンから始まる。
結局、その日の夕方になって山内容堂は参内し王政復古の朝議が始まる。鯨海酔侯・容堂は徳川慶喜も朝議に参加させるべきだと弁ずるも、不退転の決意をもった西郷隆盛の脅し(ぐずぐず言うと暗殺するぞという示唆)に屈し、深夜2時には慶喜に辞官・納地を命ずることを決めた朝議は終わり、王政復古のクーデターは成功する。
井上清氏は、このテロまがいのクーデターを是認し、次のように述べている。
「容堂のような、徳川幕府の名だけを捨てて、実権を温存し、その下に一種の諸藩連立政府を立てるというコースに対決して、徳川家の領地までも奪い、幕府を名実ともに倒すというコースは、この段階において歴史の進歩にそうものであった」
本書では、「倒幕=歴史の進歩」という認識が、前巻以上に色濃く述べられている。井上清氏が王政復古のクーデターを評価するのは、「倒幕派は在郷の豪農商層を通じて、この段階では、まだ一般民衆のエネルギーを利用しようとしていた」と見ているからである。
薩長などの新政府が民衆のエネルギーに沿っている限りにおいては新政府を評価し、民衆のエネルギーを排除したり対峙するシーンでは新政府を批判する、というのが本書のスタンスだ。わかりやすいと言えるが、民衆のエネルギーなるものをどのように見いだすかは多様で、容易ではないと思える。
王政復古のクーデターの後、慶喜のまきかえしなどの面白いシーンが続くが、最終的には西郷隆盛の挑発に幕府が乗せられ、戊申戦争に突入する。この戦争において、幕府側は民衆の支持を得られず、朝廷側は民衆に支持されていた、というのが著者の見解だ。朝廷側の軍事力が下級武士や奇兵隊のような武士でない人々に支えられていたのは確かだが、それが本当に広範な農工商の人たちの支持を集めていたのだろうか。素直には納得できない。少し調べてみたくなる。
戊申戦争までは本書の前段であって、廃藩置県、徴兵令、地租改正、秩禄処分、殖産興業、文明開化などの「ご一新」の解説を経て、征韓論、明治六年十月の政変、民撰議院論などの対立から明治十年の西南戦争に至って本書は終わる。
ノープランのような状態でスタートした新政府は、最初の十年でいろいろなことに手をつけていて、面白い十年だったと思う。この間に一揆も頻発しているが、本書の記述の中心はやはり新政府の動向である。大久保と西郷の確執、木戸の鬱屈が興味深い。
西郷らの征韓論がくつがえされるくだりの記述に面白い箇所がある。すでに採決した征韓論の上奏を待ってくれと三条が西郷に哀願する場面である。
「西郷らもついに明日までのゆうよをみとめた。ああ、この一日がどんなに重大であったことか」
著者の西郷への感情移入が「ああ」から伝わってくる。そんな著者は西郷のライバル大久保も次のように評価している。
「難局に当たってみじんも責任を回避しようとせず、いつでもみずから進んで全責任を負う大久保の政治的責任の強さは、かれの政策に共鳴すると否とを問わず、またかれの人がらに親しむと反撥するとにかかわらず、何人もみとめないわけにはいかないであろう」
そして、大久保、西郷、木戸、板垣、副島らの維新の政治家たちを「自分の主義・主張に忠実で、自分のしたこと、言ったことに最後まで責任をもつという点では、さすがに新国家建設の指導者であった」と高く評価したうえで次のように述べている。
「こういう原則性と責任感が、二代目の伊藤や山縣らにはすでに弱くなり、三代目の昭和の軍人・官僚政治家やいわゆる重臣や政党政治家にいたっては、ほとんどまったくなくなってしまったことろに、日本の悲劇があった」
歴史が進歩せずに退化したような印象を受ける感慨だが、もちろん、井上清氏は、歴史の進歩が明治維新で停止したと見ているわけではない。歴史の進歩が表舞台で顕在化したよう見える明治維新が好きなのだと思う。
中央公論社版『日本の歴史』が出版されたのは半世紀前、私が高校生の頃だった。あの頃、全巻そろえたいなどとは思ってもみなかった。受験のための日本史の教科書と参考書だけでフーフー言っていたのだ。だが、私と同様に理系志望で日本史を受験科目に選択している友人の一人が「受験対策に中央公論の『日本の歴史』を全巻読む」と宣言したので、びっくりした記憶がある。彼が本当に全巻読んだかどうかは知らないが、名門国立大学の工学部に現役合格した。
当時『日本の歴史』は、工学部志望の高校生も手に取るほどの話題のベストセラーだった。執筆者の歴史学者たちが思いがけぬ高額の印税収入に喜んでいるという内容の週刊誌の記事を目にしたこともある。
半世紀前に出た『日本の歴史』は現在も中公文庫で出版されている。その息の長さにはおどろかされる。何冊かはバラで買ったこともあるが、最近、『日本の歴史』全31冊を一括入手した。1960年代に出版されたハードカバー版全31冊五千円という古本屋の価格を見て、置き場所も考えずに購入してしまったのだ。
◎羽仁五郎を師とする二人の学者の著作
そんなわけで、わが書斎の床には『日本の歴史』31冊が積まれている。その中から幕末維新の次の2冊を読んでみた。反薩長モノを理解するには、フツーの概説書にどう書かれているかを知らねば、という当然のことに思い至ったからだ。
『日本の歴史19 開国と攘夷』(小西四郎/中央公論社)
『日本の歴史 20 明治維新』(井上清/中央公論社)
この2冊が半世紀前のベストセラーなのは確かだが、フツーの概説書かどうかは定かではない。小西四郎氏は東大教授(当時)、井上清氏は京大教授(当時)で、ともに師はあの羽仁五郎先生だ。私たちが学生時代に『都市の論理』がベストセラーになった老歴史学者・羽仁五郎は、羽仁進の父親、自由学園創立者・羽仁もと子の娘・羽仁説子の亭主で、怪気炎をあげる左翼老人タレント学者というイメージがある。
その意味で、井上清氏も当時は全共闘支持を表明するちょっと変わった有名左翼学者だった。数年前、井上清氏の『西郷隆盛(上)(下)』(中央公論)を読んだが、著者の個性が感じられる奇書のイメージがある。
いずれにしても、この2冊がマルクス主義的な史観をベースに書かれていることは容易に予想できる。それ自体はいいとも悪いとも言えない。1960年代には、その史観こそがスタンダードだったのかもしれないし、史観に固執するだけで歴史を概説できるわけでもない。
◎『開国と攘夷』(小西四郎)
小西四郎氏の『開国と攘夷』は、1840年(天保11年)のアヘン戦争から1867年12月の王政復古のクーデター開始までを描いているが、ペリー来航まではプロローグで、ペリー来航の1853年(嘉永6年)から1867年(慶応3年)の大政奉還、王政復古クーデターまでの15年間がメインだ。
この15年で世の中は大きく変わり、徳川幕府は瓦解する。何と濃密で慌ただしい15年間だったのだろうと思う。すでに人生を66年やってきた私の感覚では15年はアッという間である。そのわずか15年の間に頻発する出来事・事件の集成によって歴史が大きく変動する。それは、おそらくその時代を生きた当事者たちの予見を超えた変動だったと思う。
小西四郎氏はこの15年を小説のように面白く活写している。随所に著者の「好み」が語られているのも愛嬌だ。著者は坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、久坂玄瑞などが好みだそうだ。何ともポピュラーな幕末の志士ファンに見えるが、幕府側の勝海舟と小栗忠順を傑出した人物と持ち上げ、近藤勇にも一定の評価を与えている。人物評価に関しては全般的に目配りのいいメリハリのある公平さが感じられた。
本書には「民衆」という言葉がかなり出てくる。著者は歴史における民衆の役割、民衆のエネルギーを重視し「歴史における進歩とは、民衆の立場に立つものと、わたしは理解している」と述べている。師・羽仁五郎の「人民史観」に基づくスタンスである。「歴史とは進歩するものだ。その原動力は民衆だ」という考えだ。
私は、そうあってほしいとは思うが、それが正しいかどうかはわからない。過去の歴史を眺めると進歩してきたようには思えるが、そうでない要素があるのも確かだ。まして、この先の歴史がどう進歩するのか、あるいは進歩しないのか、何とも言えない。
もちろん本書は、ペリー来航から王政復古までの15年間の歴史変動の主役が民衆だったという内容ではない。尊王攘夷が民衆と密着していたわけではないし、民衆が幕府を倒したわけでもない。しかし、著者は、幕末の歴史事象の背景で民衆のエネルギーが果たした役割を拾いあげ、尊王攘夷から倒幕にいたる流れを「進歩」ととらえている。
この時代に活躍した人々は、それぞれが自分が正しいと思う理念を抱いていたとは思うが「歴史を進歩させる」といったマクロな方向感覚をもった人はいなかっただろうと私は思う。
安政の大獄における井伊大老の措置を著者が「そう苛酷なものとは思わない」と述べているのが面白い。もちろん、井伊大老を是としているのではなく、徳川幕府は独裁権力で成り立っているとの認識に基づき、その独裁権力を維持するためには当然の措置だという見解である。
著者は幕閣の中にいた開明的で優秀な人々に言及しつつも、大雑把に単純化してしまえば「幕府=悪者=倒されるべき者」という見方に立っているようだ。安政の大獄で弾圧処刑された尊攘志士たちは倒幕論者ではなく幕政改革論者だったとするくだりでは、その時点では「倒幕に到達していなかった」と述べている。
倒幕の立役者である西郷隆盛が倒幕という思想に到達したのは1865年(慶応元年)だそうだ。著者は、その背景には民衆のエネルギーがあったとし、次のように解説している。
西郷隆盛たちは民衆の動向に深い関心を寄せていて、現状のままでは民衆の蜂起によって幕府や藩による支配体制が危うくなるとおそれ、現状を打開するには新たな統一国家を樹立しなければならないと考え、倒幕を進める決意をした、というのだ。薩摩藩主が朝廷に提出した長州再征に反対する書面にもとづく見解である。
この見方が一般的かどうかは知らないが、私にとっては意外で、すこし驚かされた。
◎『明治維新』(井上清)
井上清氏の『明治維新』の冒頭は歴史小説のような書き出しだ。鯨海酔侯と自他ともにゆるす山内容堂が、王政復古のクーデター当日の朝、即刻参朝せよとの命令を捨て置いて、憤懣やるかたなく酒を飲んでいるシーンから始まる。
結局、その日の夕方になって山内容堂は参内し王政復古の朝議が始まる。鯨海酔侯・容堂は徳川慶喜も朝議に参加させるべきだと弁ずるも、不退転の決意をもった西郷隆盛の脅し(ぐずぐず言うと暗殺するぞという示唆)に屈し、深夜2時には慶喜に辞官・納地を命ずることを決めた朝議は終わり、王政復古のクーデターは成功する。
井上清氏は、このテロまがいのクーデターを是認し、次のように述べている。
「容堂のような、徳川幕府の名だけを捨てて、実権を温存し、その下に一種の諸藩連立政府を立てるというコースに対決して、徳川家の領地までも奪い、幕府を名実ともに倒すというコースは、この段階において歴史の進歩にそうものであった」
本書では、「倒幕=歴史の進歩」という認識が、前巻以上に色濃く述べられている。井上清氏が王政復古のクーデターを評価するのは、「倒幕派は在郷の豪農商層を通じて、この段階では、まだ一般民衆のエネルギーを利用しようとしていた」と見ているからである。
薩長などの新政府が民衆のエネルギーに沿っている限りにおいては新政府を評価し、民衆のエネルギーを排除したり対峙するシーンでは新政府を批判する、というのが本書のスタンスだ。わかりやすいと言えるが、民衆のエネルギーなるものをどのように見いだすかは多様で、容易ではないと思える。
王政復古のクーデターの後、慶喜のまきかえしなどの面白いシーンが続くが、最終的には西郷隆盛の挑発に幕府が乗せられ、戊申戦争に突入する。この戦争において、幕府側は民衆の支持を得られず、朝廷側は民衆に支持されていた、というのが著者の見解だ。朝廷側の軍事力が下級武士や奇兵隊のような武士でない人々に支えられていたのは確かだが、それが本当に広範な農工商の人たちの支持を集めていたのだろうか。素直には納得できない。少し調べてみたくなる。
戊申戦争までは本書の前段であって、廃藩置県、徴兵令、地租改正、秩禄処分、殖産興業、文明開化などの「ご一新」の解説を経て、征韓論、明治六年十月の政変、民撰議院論などの対立から明治十年の西南戦争に至って本書は終わる。
ノープランのような状態でスタートした新政府は、最初の十年でいろいろなことに手をつけていて、面白い十年だったと思う。この間に一揆も頻発しているが、本書の記述の中心はやはり新政府の動向である。大久保と西郷の確執、木戸の鬱屈が興味深い。
西郷らの征韓論がくつがえされるくだりの記述に面白い箇所がある。すでに採決した征韓論の上奏を待ってくれと三条が西郷に哀願する場面である。
「西郷らもついに明日までのゆうよをみとめた。ああ、この一日がどんなに重大であったことか」
著者の西郷への感情移入が「ああ」から伝わってくる。そんな著者は西郷のライバル大久保も次のように評価している。
「難局に当たってみじんも責任を回避しようとせず、いつでもみずから進んで全責任を負う大久保の政治的責任の強さは、かれの政策に共鳴すると否とを問わず、またかれの人がらに親しむと反撥するとにかかわらず、何人もみとめないわけにはいかないであろう」
そして、大久保、西郷、木戸、板垣、副島らの維新の政治家たちを「自分の主義・主張に忠実で、自分のしたこと、言ったことに最後まで責任をもつという点では、さすがに新国家建設の指導者であった」と高く評価したうえで次のように述べている。
「こういう原則性と責任感が、二代目の伊藤や山縣らにはすでに弱くなり、三代目の昭和の軍人・官僚政治家やいわゆる重臣や政党政治家にいたっては、ほとんどまったくなくなってしまったことろに、日本の悲劇があった」
歴史が進歩せずに退化したような印象を受ける感慨だが、もちろん、井上清氏は、歴史の進歩が明治維新で停止したと見ているわけではない。歴史の進歩が表舞台で顕在化したよう見える明治維新が好きなのだと思う。
「畑遊び」のソーカツ ― 2015年09月16日
先週、八ヶ岳南麓の山小屋に行った。夏も終わり、野菜の収穫も終息しつつある。この先、収穫できるのは、ジャガイモやトウモロコシの後地に時期をずらして種をまいたダイコンとカブだけだ。ナスがまだ収穫できるか否かはよくわからない。
今年は、カボチャを初めて植えた。畑の小さなすきまに苗を3本植えたところ、ツルがどこまでも伸び続けるのに驚いた。教本には人工授粉しろと書いてあるが、そんな手間をかけなくても何とか収穫できた。戦中・戦後の食糧難の時代に、庭にカボチャを植える家が多かったと聞いたことがあるが、自分で栽培してみて何となく合点がいった。
収穫を終えて、ソーカツすべきことがある。トウモロコシとインゲンで、「割り肥」と「全面施肥」の実験をしたのだった。厳密に管理した実験ではないので何とも言えないが、「割り肥」と「全面施肥」の差はほとんど感じられなかった。どちらも、ほどほどに収穫できた。
昨年にくらべてキュウリが不作だったのは謎だ。私の栽培方法に問題があったのか自然環境が原因なのか、よくわからない。
ある程度の対策をしておきながら、ジャガイモとトウモロコシが動物被害にあったことも反省しなければならない。想定できるリスクへの対応がおざなりなのはよくない。
トウモロコシを齧ったのはハクビシンだろうと想定し、生育した実を新聞紙で巻いたところ、その後の被害はまぬかれた。来年もトウモトシを作るとすれば、どの段階で新聞紙を巻くべきかを判断しなければならない。もう少し調べる必要がある。
私の野菜作りについて、友人の一人が「ああ、畑遊びね」と言った。その通りだとは思う。どんな遊びも、ある程度勉強しなければ面白くならない。、
今年は、カボチャを初めて植えた。畑の小さなすきまに苗を3本植えたところ、ツルがどこまでも伸び続けるのに驚いた。教本には人工授粉しろと書いてあるが、そんな手間をかけなくても何とか収穫できた。戦中・戦後の食糧難の時代に、庭にカボチャを植える家が多かったと聞いたことがあるが、自分で栽培してみて何となく合点がいった。
収穫を終えて、ソーカツすべきことがある。トウモロコシとインゲンで、「割り肥」と「全面施肥」の実験をしたのだった。厳密に管理した実験ではないので何とも言えないが、「割り肥」と「全面施肥」の差はほとんど感じられなかった。どちらも、ほどほどに収穫できた。
昨年にくらべてキュウリが不作だったのは謎だ。私の栽培方法に問題があったのか自然環境が原因なのか、よくわからない。
ある程度の対策をしておきながら、ジャガイモとトウモロコシが動物被害にあったことも反省しなければならない。想定できるリスクへの対応がおざなりなのはよくない。
トウモロコシを齧ったのはハクビシンだろうと想定し、生育した実を新聞紙で巻いたところ、その後の被害はまぬかれた。来年もトウモトシを作るとすれば、どの段階で新聞紙を巻くべきかを判断しなければならない。もう少し調べる必要がある。
私の野菜作りについて、友人の一人が「ああ、畑遊びね」と言った。その通りだとは思う。どんな遊びも、ある程度勉強しなければ面白くならない。、
清水邦夫の『タンゴ・冬の終わりに』はタンゴだ ― 2015年09月19日
新聞の劇評にいざなわれて『タンゴ・冬の終わりに』(作・清水邦夫)をパルコ劇場で観た。1984年に演出・蜷川幸雄、主演・平幹二郎でパルコ劇場で初演、その後も蜷川幸雄の演出で何度か再演されてきた芝居が、新たに行定勲の演出で上演されている。三上博史が主演、倉科カナ、神野美鈴、ユースケ・サンタマリアらが出演している。
劇評(朝日新聞2015年9月10日夕刊)で『「政治の季節」の残照の中でとらえがちだった清水の戯曲に、広い普遍性があることに改めて気づかせてくれた。』とあるのが気にかかり、それを確かめたくなったのだ。
私は過去にこの芝居を観ていないし、戯曲も読んでいない。白紙の状態で観た、と言いたいが、清水・蜷川コンビの芝居には一定のイメージがあるし、劇評による予断もある。また、数十年ぶり行くパルコ劇場というバイアス的思い入れも少しある。西武劇場という名で1973年にオープンしたこの劇場のこけら落としは、安部公房が立ちあげた「安部スタジオ」の第1回公演『愛の眼鏡は色ガラス』だったと思う。その公演を観た私の印象はビミョーだった。清水邦夫には、アングラ嫌いの安部公房に高く評価されてデビューした劇作家というイメージもある。
そんなこんなが入り交った心で観た『タンゴ・冬の終わりに』を、私は十分に楽しめた。人間はみんな芝居をしている、人は演ずる動物であり、人生において演じている部分とそうでない部分の境界は不分明だ、という「普遍的」なことを認識させられる芝居だった。
主人公は全盛期に引退を「演じた」俳優であり、カムバックの要請を拒否する「演技」に自分自身を見出している。この設定は巧みだ。十分に普遍性がある。芝居を観ながら私が連想したのは三島由紀夫と山口百恵だった。二人ともみごとに全盛期での引退を「演じて」成功したが、それは例外に近い。世の大半の人は全盛期引退の演技を完遂できず、失敗するのだと思う。
この芝居には「孔雀」というメタファが登場する。とってつけたような「孔雀」には違和感をおぼえた。しかし、パンフレットに掲載されていた清水邦夫の初演時の文章から、これが三島由紀夫の短篇『孔雀』から採ったことを知り、なるほどと思った。老人がかつての美少年になって孔雀を殺戮するというイメージをこの芝居に重ねると、確かに普遍性が深まる。
この芝居のラストは不思議である。クライマックスで終わらず、その先がある。緞帳を使っていないので、芝居が終わった瞬間がわからず、拍手のタイミングがない。カーテンコールになって初めて終幕を確認しての拍手になる。
ラストシーンは登場人物が立ち去った無人の舞台装置であり、暗転して終幕になる。このラストシーンは三島由紀夫の『豊饒の海』のラストに似ていると、後から思った。「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……」というラストだ。小説としては秀逸だが、芝居には難しい。
この芝居のラストは無人の舞台だが、季節な夏ではなく「冬の終わり」だ。清水邦夫の昔の連続テレビドラマ『冬物語』と「春は近い、春は近い…」というそのテーマソングを連想させる。メロドラマの普遍性を取りこんだタイトルにも思える。
そして、何よりも「なぜ、タンゴか」である。観劇後しばらく経って気づいた。この芝居そのものの印象がタンゴだと。ロックでもジャズでもフォークでも演歌でもクラシックでもなく、近代古典のようなレトロ感があるタンゴなのだ。切り離された音でリズムを刻むタンゴの軽快で強迫的な魅力は、シェイクスピアの朗々たる科白に通ずるし、ムード音楽的な懐かしさはカサブランカのように苦くて甘くてカッコいい芝居の世界を際立たせる。『タンゴ・冬の終わりに』は、タンゴのように「普遍的」な芝居だった。
劇評(朝日新聞2015年9月10日夕刊)で『「政治の季節」の残照の中でとらえがちだった清水の戯曲に、広い普遍性があることに改めて気づかせてくれた。』とあるのが気にかかり、それを確かめたくなったのだ。
私は過去にこの芝居を観ていないし、戯曲も読んでいない。白紙の状態で観た、と言いたいが、清水・蜷川コンビの芝居には一定のイメージがあるし、劇評による予断もある。また、数十年ぶり行くパルコ劇場というバイアス的思い入れも少しある。西武劇場という名で1973年にオープンしたこの劇場のこけら落としは、安部公房が立ちあげた「安部スタジオ」の第1回公演『愛の眼鏡は色ガラス』だったと思う。その公演を観た私の印象はビミョーだった。清水邦夫には、アングラ嫌いの安部公房に高く評価されてデビューした劇作家というイメージもある。
そんなこんなが入り交った心で観た『タンゴ・冬の終わりに』を、私は十分に楽しめた。人間はみんな芝居をしている、人は演ずる動物であり、人生において演じている部分とそうでない部分の境界は不分明だ、という「普遍的」なことを認識させられる芝居だった。
主人公は全盛期に引退を「演じた」俳優であり、カムバックの要請を拒否する「演技」に自分自身を見出している。この設定は巧みだ。十分に普遍性がある。芝居を観ながら私が連想したのは三島由紀夫と山口百恵だった。二人ともみごとに全盛期での引退を「演じて」成功したが、それは例外に近い。世の大半の人は全盛期引退の演技を完遂できず、失敗するのだと思う。
この芝居には「孔雀」というメタファが登場する。とってつけたような「孔雀」には違和感をおぼえた。しかし、パンフレットに掲載されていた清水邦夫の初演時の文章から、これが三島由紀夫の短篇『孔雀』から採ったことを知り、なるほどと思った。老人がかつての美少年になって孔雀を殺戮するというイメージをこの芝居に重ねると、確かに普遍性が深まる。
この芝居のラストは不思議である。クライマックスで終わらず、その先がある。緞帳を使っていないので、芝居が終わった瞬間がわからず、拍手のタイミングがない。カーテンコールになって初めて終幕を確認しての拍手になる。
ラストシーンは登場人物が立ち去った無人の舞台装置であり、暗転して終幕になる。このラストシーンは三島由紀夫の『豊饒の海』のラストに似ていると、後から思った。「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……」というラストだ。小説としては秀逸だが、芝居には難しい。
この芝居のラストは無人の舞台だが、季節な夏ではなく「冬の終わり」だ。清水邦夫の昔の連続テレビドラマ『冬物語』と「春は近い、春は近い…」というそのテーマソングを連想させる。メロドラマの普遍性を取りこんだタイトルにも思える。
そして、何よりも「なぜ、タンゴか」である。観劇後しばらく経って気づいた。この芝居そのものの印象がタンゴだと。ロックでもジャズでもフォークでも演歌でもクラシックでもなく、近代古典のようなレトロ感があるタンゴなのだ。切り離された音でリズムを刻むタンゴの軽快で強迫的な魅力は、シェイクスピアの朗々たる科白に通ずるし、ムード音楽的な懐かしさはカサブランカのように苦くて甘くてカッコいい芝居の世界を際立たせる。『タンゴ・冬の終わりに』は、タンゴのように「普遍的」な芝居だった。
小学館版『日本の歴史』で幕末維新を読む ― 2015年09月27日
◎1970年代刊行の『日本の歴史』
中央公論社版『日本の歴史』の『19 開国と攘夷』(小西四郎)、『20 明治維新』(井上清)を読み終えると、他の概説書では幕末維新をどう述べているかが気になり、小学館版『日本の歴史』の次の2冊を読んだ。
『日本の歴史23 開国』(芝原拓自/小学館/1975.12)
『日本の歴史24 明治維新』(田中彰/小学館/1976.2)
このシリーズは全巻持っているわけではない。古本屋でバラで入手したのが数冊あるだけだ。中央公論社版『日本の歴史』(全26巻・別巻5巻)は1960年代の刊行で、小学館版『日本の歴史』(全32巻)は約10年後の1970年代に刊行されている。いずれも古い本に違いはないが、上記2巻の執筆者(芝原拓自/名古屋市立大教授:当時、田中彰/北大教授:当時)は中央公論社版の執筆者二人より10歳以上若い。
芝原拓自氏は『開国』の冒頭部分で本書のねらいを「縦軸にアジア・世界の中の日本をおき、横軸に民衆の世直しの脈動をおいて立体的にとらえること」と述べている。この視点は田中彰氏の『明治維新』においても明確に踏襲されている。「世界の中の日本」「民衆の世直し運動」は、この2巻に共通した通奏低音になっている。
民衆を重視するという点で、小学館版の2巻のトーンは中央公論社版の2巻と似ているが、やはりニュアンスの異なるところもあり、興味深く読み進めることができた。
◎『開国』(芝原拓自)で幕藩体制は自壊したと思えた
芝原拓自氏の『開国』は、ペリー来航から大政奉還までを描いている。王政復古のクーデターや戊申戦争の前で巻を終えたのは、幕府は薩長に倒されたというよりも自壊したという認識が強いからのように思われる。
本書を読んであらためて感じたのは、幕末とは尊王攘夷の志士たちが暴れまくった時代であると同時に、農民などの一般民衆が一揆や打ちこわしで暴れていた騒然たる時代だったということだ。開国による外国との交易拡大がもたらす国内経済の環境変化も甚大で、そこには「世直し」を渇望する空気が充満していた。
民衆の動向にかなりのページを費やしている本書には「歴史の進歩」といった言葉は出てこない。しかし「不可逆の法則性」という言葉が次のように使われている。
「この時期は(…)近代日本が誕生する陣痛の苦しみを味わう時期でもある。さらにそれは、アジア東端の島国日本が、不可逆の法則性をもってブルジョア文明とパワー=ポリティックスが支配する有機的な世界史に包摂され、そこに編入せしめられてゆく画期をもなしている」
この「不可逆の法則性」のなかで、尊王攘夷の志士、薩長などの雄藩、幕府などがアレコレ動きまわるのが幕末だ。著者は、この三つの勢力(志士、雄藩、幕府)のいずれにも批判的である。歴史変動の中で民衆のエネルギーを一時的に利用することはあっても、民衆の意志や要望に応えることはなかったからである。
志士たちを批判的に論じる部分も面白いが、幕府側の動向を批判的に分析している点が興味深かった。幕府内に開明的で優秀な人材は少なくなかったが、彼らの動きはチグハグで、幕府はそれを結集できる組織形態ではなかったようだ。
著者は、幕府内の対立を「公共の政(まつりごと)」を追究するグループと「幕威幕権」を固守するグループの対立と見ている。「公共の政」とは、横井小楠をブレーンにした松平慶永らの考えで、軍事・内政・外交・交易のすべてを朝廷・幕府・藩の合体で推進するという理念である。このグループは、幕府が覇権にこだわるのは私益であるとし否定しているが、幕府の官僚たちが容易に受け容れることができる考え方ではない。
この対立は改革派と守旧派の対立とは言えない。海外情勢を知り軍備の近代化や幕藩体制の見直しを志向している「開明的」な人材が「幕威幕権」を追究しているというケースもある。徳川慶喜は慶永と対立する「幕威幕権」派のようでありながら、「幕威幕権」に執着する幕閣からは疑いの目で見られたりしている。また、攘夷や開国に関する彼らの見解がいろいろな局面でコロコロと政治的思惑で入れ替わったりするのでややこしい。
当事者たちが幕府の実力をどう自己評価しているかで考え方が異なるという点もあっただろう。文久3年8月18日のクーデターも長州征伐も幕府単独の事業ではない。結果的には、幕府はその内部のベクトルを統一できず、潜在力を活かす求心力をもてなかったので、自壊するしかなかった。本書を読むと、そう思えてくる。
◎『明治維新』(田中彰)は視野が広い
田中彰氏の『明治維新』は、中央公論社社版の井上清氏の『明治維新』より視野が広く、面白く読めた。
井上清氏の『明治維新』は明治10年の西南戦争までの記述だったが、田中彰氏の『明治維新』は西南戦争をあっさり片付け、明治12年の琉球処分までを記述している。著者は本書冒頭で明治維新の終わりをいつと見るかについて七つの説を紹介したうえで、自分は沖縄における廃藩置県だった琉球処分を明治維新終期と見なすとしている。
中央公論社版『明治維新』が刊行された時期、沖縄は米国の占領下だったが、小学館版『明治維新』の刊行は沖縄返還(1972年)の数年後である。そんな事情も二著の違いの背景にあるかもしれない。田中彰氏の『明治維新』で明らかにされている琉球処分の話は興味深い。私は数年前に『小説 琉球処分』(大城立裕/講談社文庫)などを読んでいて、ある程度知っているつもりだったが、本書であらためて認識を深くした。
田中彰氏は、琉球藩が沖縄県になった直後、前アメリカ大統領グラントの仲介で日清が取り交わした「分島・改約」案に着目している。日本が宮古・八重山を清にゆずり、かわりに清国内陸部の通商を含む列強なみの権利を得るという案である。この案は日清間で妥結していたが清とロシアの国境問題で調印がのびのびになり、廃案になったそうだ。もし、廃案になっていなければ、日本人の住む宮古島、石垣島などは今は中国領だったかもしれない。
上記の事実をふまえ、著者は次のように述べている。
『この「琉球処分」は(…)民族の一部を切りすて、犠牲にすることによって国土を画定し、日本の主権の確立をはかろうとするものであった。この「琉球処分」の意味をつつみこまない維新史は、その意図いかんにかかわらず、当時の明治政府同様、民族の一部を切り捨てて恥じることのない維新史観となりかねないのである。』
この記述からも読みとれるように、本書は民衆のエネルギーを利用して成立した明治新政府が民衆を切り捨てていくさまを批判的に描いている。
幕末から明治に時代が移っても百姓一揆などが減少したわけではない。一揆に加えて士族反乱なども発生し、政府はこれらの合流をおそれていた。そういう視点に立つと、征韓論をめぐる明治6年の政変など政府の動向のあれこれが、より明解に見えてくる。
地租をめぐる農民の闘争などもその内実は単純ではない。闘争する側にも階層があるからだ。著者は、この農民闘争に関与した福沢諭吉を、次のように手厳しく非難している。
『わずか数年まえ、四民平等・一身独立を声高らかにとなえたあの『文明開化』の旗手福沢のおもかげはもはやない。彼はいまや国権論への傾斜をしめし、官民調和論へとその主張をうつしつつあったとはいえ、これではていのよい政府の代理人、もしくは手さきになりさがったとしかいいようがない。』
明治維新とよばれる時代は、そういう混乱の時代だったのだと思えてくる。
また、本書で私が注目したのは、明治国家と幕藩体制の連続性を指摘している点である。明治国家は、革新的は倒幕勢力が固陋な幕府を倒して成立した国家ではなく、幕藩体制の遺産のうえに築かれたことが、次のように明快に述べられている。
『大久保体制は、幕藩色を濃厚にもちながらも、機構そのもをささえる中・下官僚は、意外に旧幕臣層に依拠するところが大きく、それゆえにまた列強の先進的な技術を受容、継受する能力をもっていたのである。つまり、幕藩体制内部に形成され、蓄積された技術的、実務的ひいては文化的能力をうけつぐことによって、はじめて明治国家はその創出の基礎をつくりえたのである。』
この時期の天皇に関する記述も面白い。「天皇という座の粉飾」という章では、江戸時代を通じて一般民衆にはなじみがなかった「天皇」を、いかにして国家のシンボルに仕立てあげていったかを述べていて興味深い。「近代」に突入した日本が天皇を現人神にしてしまった過程をあらためてふりかえってみると、現代の「イスラム国」が遠い国の他人事ではないと思える。歴史は進歩するのかという疑念も湧く。
中央公論社版『日本の歴史』の『19 開国と攘夷』(小西四郎)、『20 明治維新』(井上清)を読み終えると、他の概説書では幕末維新をどう述べているかが気になり、小学館版『日本の歴史』の次の2冊を読んだ。
『日本の歴史23 開国』(芝原拓自/小学館/1975.12)
『日本の歴史24 明治維新』(田中彰/小学館/1976.2)
このシリーズは全巻持っているわけではない。古本屋でバラで入手したのが数冊あるだけだ。中央公論社版『日本の歴史』(全26巻・別巻5巻)は1960年代の刊行で、小学館版『日本の歴史』(全32巻)は約10年後の1970年代に刊行されている。いずれも古い本に違いはないが、上記2巻の執筆者(芝原拓自/名古屋市立大教授:当時、田中彰/北大教授:当時)は中央公論社版の執筆者二人より10歳以上若い。
芝原拓自氏は『開国』の冒頭部分で本書のねらいを「縦軸にアジア・世界の中の日本をおき、横軸に民衆の世直しの脈動をおいて立体的にとらえること」と述べている。この視点は田中彰氏の『明治維新』においても明確に踏襲されている。「世界の中の日本」「民衆の世直し運動」は、この2巻に共通した通奏低音になっている。
民衆を重視するという点で、小学館版の2巻のトーンは中央公論社版の2巻と似ているが、やはりニュアンスの異なるところもあり、興味深く読み進めることができた。
◎『開国』(芝原拓自)で幕藩体制は自壊したと思えた
芝原拓自氏の『開国』は、ペリー来航から大政奉還までを描いている。王政復古のクーデターや戊申戦争の前で巻を終えたのは、幕府は薩長に倒されたというよりも自壊したという認識が強いからのように思われる。
本書を読んであらためて感じたのは、幕末とは尊王攘夷の志士たちが暴れまくった時代であると同時に、農民などの一般民衆が一揆や打ちこわしで暴れていた騒然たる時代だったということだ。開国による外国との交易拡大がもたらす国内経済の環境変化も甚大で、そこには「世直し」を渇望する空気が充満していた。
民衆の動向にかなりのページを費やしている本書には「歴史の進歩」といった言葉は出てこない。しかし「不可逆の法則性」という言葉が次のように使われている。
「この時期は(…)近代日本が誕生する陣痛の苦しみを味わう時期でもある。さらにそれは、アジア東端の島国日本が、不可逆の法則性をもってブルジョア文明とパワー=ポリティックスが支配する有機的な世界史に包摂され、そこに編入せしめられてゆく画期をもなしている」
この「不可逆の法則性」のなかで、尊王攘夷の志士、薩長などの雄藩、幕府などがアレコレ動きまわるのが幕末だ。著者は、この三つの勢力(志士、雄藩、幕府)のいずれにも批判的である。歴史変動の中で民衆のエネルギーを一時的に利用することはあっても、民衆の意志や要望に応えることはなかったからである。
志士たちを批判的に論じる部分も面白いが、幕府側の動向を批判的に分析している点が興味深かった。幕府内に開明的で優秀な人材は少なくなかったが、彼らの動きはチグハグで、幕府はそれを結集できる組織形態ではなかったようだ。
著者は、幕府内の対立を「公共の政(まつりごと)」を追究するグループと「幕威幕権」を固守するグループの対立と見ている。「公共の政」とは、横井小楠をブレーンにした松平慶永らの考えで、軍事・内政・外交・交易のすべてを朝廷・幕府・藩の合体で推進するという理念である。このグループは、幕府が覇権にこだわるのは私益であるとし否定しているが、幕府の官僚たちが容易に受け容れることができる考え方ではない。
この対立は改革派と守旧派の対立とは言えない。海外情勢を知り軍備の近代化や幕藩体制の見直しを志向している「開明的」な人材が「幕威幕権」を追究しているというケースもある。徳川慶喜は慶永と対立する「幕威幕権」派のようでありながら、「幕威幕権」に執着する幕閣からは疑いの目で見られたりしている。また、攘夷や開国に関する彼らの見解がいろいろな局面でコロコロと政治的思惑で入れ替わったりするのでややこしい。
当事者たちが幕府の実力をどう自己評価しているかで考え方が異なるという点もあっただろう。文久3年8月18日のクーデターも長州征伐も幕府単独の事業ではない。結果的には、幕府はその内部のベクトルを統一できず、潜在力を活かす求心力をもてなかったので、自壊するしかなかった。本書を読むと、そう思えてくる。
◎『明治維新』(田中彰)は視野が広い
田中彰氏の『明治維新』は、中央公論社社版の井上清氏の『明治維新』より視野が広く、面白く読めた。
井上清氏の『明治維新』は明治10年の西南戦争までの記述だったが、田中彰氏の『明治維新』は西南戦争をあっさり片付け、明治12年の琉球処分までを記述している。著者は本書冒頭で明治維新の終わりをいつと見るかについて七つの説を紹介したうえで、自分は沖縄における廃藩置県だった琉球処分を明治維新終期と見なすとしている。
中央公論社版『明治維新』が刊行された時期、沖縄は米国の占領下だったが、小学館版『明治維新』の刊行は沖縄返還(1972年)の数年後である。そんな事情も二著の違いの背景にあるかもしれない。田中彰氏の『明治維新』で明らかにされている琉球処分の話は興味深い。私は数年前に『小説 琉球処分』(大城立裕/講談社文庫)などを読んでいて、ある程度知っているつもりだったが、本書であらためて認識を深くした。
田中彰氏は、琉球藩が沖縄県になった直後、前アメリカ大統領グラントの仲介で日清が取り交わした「分島・改約」案に着目している。日本が宮古・八重山を清にゆずり、かわりに清国内陸部の通商を含む列強なみの権利を得るという案である。この案は日清間で妥結していたが清とロシアの国境問題で調印がのびのびになり、廃案になったそうだ。もし、廃案になっていなければ、日本人の住む宮古島、石垣島などは今は中国領だったかもしれない。
上記の事実をふまえ、著者は次のように述べている。
『この「琉球処分」は(…)民族の一部を切りすて、犠牲にすることによって国土を画定し、日本の主権の確立をはかろうとするものであった。この「琉球処分」の意味をつつみこまない維新史は、その意図いかんにかかわらず、当時の明治政府同様、民族の一部を切り捨てて恥じることのない維新史観となりかねないのである。』
この記述からも読みとれるように、本書は民衆のエネルギーを利用して成立した明治新政府が民衆を切り捨てていくさまを批判的に描いている。
幕末から明治に時代が移っても百姓一揆などが減少したわけではない。一揆に加えて士族反乱なども発生し、政府はこれらの合流をおそれていた。そういう視点に立つと、征韓論をめぐる明治6年の政変など政府の動向のあれこれが、より明解に見えてくる。
地租をめぐる農民の闘争などもその内実は単純ではない。闘争する側にも階層があるからだ。著者は、この農民闘争に関与した福沢諭吉を、次のように手厳しく非難している。
『わずか数年まえ、四民平等・一身独立を声高らかにとなえたあの『文明開化』の旗手福沢のおもかげはもはやない。彼はいまや国権論への傾斜をしめし、官民調和論へとその主張をうつしつつあったとはいえ、これではていのよい政府の代理人、もしくは手さきになりさがったとしかいいようがない。』
明治維新とよばれる時代は、そういう混乱の時代だったのだと思えてくる。
また、本書で私が注目したのは、明治国家と幕藩体制の連続性を指摘している点である。明治国家は、革新的は倒幕勢力が固陋な幕府を倒して成立した国家ではなく、幕藩体制の遺産のうえに築かれたことが、次のように明快に述べられている。
『大久保体制は、幕藩色を濃厚にもちながらも、機構そのもをささえる中・下官僚は、意外に旧幕臣層に依拠するところが大きく、それゆえにまた列強の先進的な技術を受容、継受する能力をもっていたのである。つまり、幕藩体制内部に形成され、蓄積された技術的、実務的ひいては文化的能力をうけつぐことによって、はじめて明治国家はその創出の基礎をつくりえたのである。』
この時期の天皇に関する記述も面白い。「天皇という座の粉飾」という章では、江戸時代を通じて一般民衆にはなじみがなかった「天皇」を、いかにして国家のシンボルに仕立てあげていったかを述べていて興味深い。「近代」に突入した日本が天皇を現人神にしてしまった過程をあらためてふりかえってみると、現代の「イスラム国」が遠い国の他人事ではないと思える。歴史は進歩するのかという疑念も湧く。








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