辻村深月の小説を初めて読んだ。面白い。2025年10月25日

『島はぼくらと』(辻村深月/講談社文庫)、『傲慢と善良』(辻村深月/朝日文庫)
 同世代(70代後半)の友人との酒席で「辻村深月はいい。」と聞かされた。オススメは『傲慢と善良』『島はぼくらと』だという。飲んだ帰り、駅構内の書店の文庫本コーナーでこの2冊を見つけ、購入した。

 その友人は、『傲慢と善良』は『島はぼくらと』の続編と言ってたような気がしたので『島はぼくらと』から読むことにした。

 『島はぼくらと』(辻村深月/講談社文庫)

 2013年発表の青春小説である。高校生たちの旅立ち物語だが、高齢者の私でも十分に共感できた。人口3000人弱の瀬戸内海の島に住む男女二人ずつ計4人の高校生の物語である。島には中学校までしかなく、4人は本土の高校に片道20分の高速フェリーで通学している。意欲的な村長の方針で、島はシングルマザーなどの移住者を積極的に受け入れている。この設定は秀逸だ。さまざまな物語が生まれるタネがある。

 私は瀬戸内海沿岸の町に生まれ、高校1年の1学期までその地で暮らした。親の転勤で高校1年の2学期から東京の都立高校に転校した。1学期だけ通学した瀬戸内海沿岸の県立高校には島からフェリーで通学する連中がいた。彼らは霧でフェリーが遅延すると遅刻する。だから、誰がフェリー通学かはすぐわかる。この小説を読みながら、そんな半世紀以上昔の情景を懐かしく思い出し、この小説にリアリティを感じた。

 と言っても、この小説は現代の物語であり、地方と都会との現代的な関係を反映している。「地方再生」と言えば浅薄になるが、地域と世界を往還しながら未来を切り拓いていく若者たちの気持ちのいい成長物語だ。著者の読ませる力量を感じた。

 この小説に続いて『傲慢と善良』を読んだ。

   『傲慢と善良』(辻村深月/朝日文庫)

 この文庫本のオビには「超ロングセラー 累計110万突破」とある。単行本が出たのは2019年、文庫版が出たのが2022年、2025年現在も書店の店頭に平積みだ。

 緊迫したシーンから始まるこの小説は、ミステリーだと思った。小さな会社を経営する39歳の男の婚約者が、結婚式を前に忽然と姿を消す。婚約者はストーカー被害にあっていたが、警察は事件性はないと判断する。男は婚約者の行方探しに没頭する。

 読み進めるうちに、ミステリーではなく家族や個人の心理を探究する小説だと気づいた。タイトルの『傲慢と善良』はオースティンの『高慢と偏見』を意識している。登場人物が『高慢と偏見』を恋愛小説の名作として言及するシーンもある。オースティンをふまえつつ、恋愛心理のアレコレを考察する物語で、ややこしくて少々まどろっこしい展開に思えた。

 読み進めながら『島はぼくらと』とはかなりテイストが違う小説だと感じた。作者のレパートリーの広さに感心すると同時に、心理考察的な『傲慢と善良』が青春小説『島はぼくらと』の続編というのは私のカン違いだったのだろうと思った。

 だが、さらに読み進めると、自分の理解が浅薄だったと気づいた。とても面白い展開のミステリーであると同時に、婚活をめぐる人間の悲喜劇へと話が拡がっていく。『島はぼくらと』の登場人物の一人(谷川ヨシノ)がこの小説にも登場し、二つの物語がつながる。続編とは言えないが、バルザックの人間喜劇のような拡がりを感じる。

 『傲慢と善良』は、現代社会に生きる人々の考え方や感じ方のややこしさをあぶり出した傑作だと思う。高齢者の私は人々のそんな精神の面倒くささに少々辟易する。同時に、そんな面倒くささを丁寧に抽出する作家の筆力に感心する。登場人物が人間の鈍感さにも言及しているのは面白い。

 19世紀の『高慢と偏見』より21世紀『傲慢と善良』の方が複雑なのは確かだと思う。「傲慢と善良」は人の分類ではなく、ひとりの人物の中に「傲慢と善良」が共存している。当然だと思う。

 辻村深月は21世紀のバルザックなのかどうか、いまの私にはわからない。