旅の経緯を描いた『玄奘三蔵:西域・インド紀行』は面白い2025年08月02日

『玄奘三蔵:西域・インド紀行』(慧立・彦悰/長澤和俊訳/講談社学芸文庫)
 玄奘の『大唐西域記』に目を通し、その消化不良を補うために『西域記:玄奘三蔵の旅』を読み、『大慈恩寺三蔵法師伝』への興味がわいた。玄奘の弟子が同時代に書いた伝記である。

 『西域記:玄奘三蔵の旅』の著者・桑山正進氏は、この伝記(『大慈恩寺…』)が世に出る経緯を興味深く推理していた。『大唐西域記』の訳者・水谷真成氏は解説で「もし玄奘法師の行実の躍如たるを求むるならば、本書(『大唐西域記』)よりはむしろ『大慈恩寺三蔵法師伝』十巻をこそ選ぶべきであろう」と語っている。

 そんな記述に誘われて『大慈恩寺三蔵法師伝』の日本語訳である次の本を読んだ。

 『玄奘三蔵:西域・インド紀行』(慧立・彦悰/長澤和俊訳/講談社学芸文庫)

 シルクロード関連の著書が多い長澤和俊氏は若い頃、『大慈恩寺三蔵法師伝』全十巻の全訳を上梓している。その前半五巻を改訳したのが講談社学芸文庫版の本書である。前半五巻は玄奘が西域へ旅立ってから帰国するまで、後半五巻は帰国後の経典翻訳の話だそうだ。私にとっては前半だけで十分である。

 本書は『大唐西域記』より読みやすい。出国時や帰国時の経緯もいろいろ書いてあって興味深い。仏教に関する討論試合などの記述も、単に勝敗だけでなく討論の内容にまで立ち入って記述している。だが、仏教思想に無知な私は哲学的談義について行けない。残念である。玄奘が巡った国々の地誌や故事に関する記述には『大唐西域記』との重複を感じる箇所もある。

 玄奘は求法のためにインドに行きたいと上奏するが、国外旅行はダメとの詔が下る。よって、密出国することになる。苦労のうえ玉門関を突破する場面は面白い。その後の砂漠の旅については「空には飛ぶ鳥もなく、地上には走る獣もなく、また水草もない。あたりをみまわしても、ただ一つ自分の影があるのみである」と表現している。過酷な旅だったようだ。

 だが、砂漠を抜けて伊吾(ハミ)に到達して以降は、おとぎ話のようなトントン拍子で、大名行列に近い旅になる。懇意になった高昌国王は玄奘のために、さまざまな物資と共に少年僧4人、手力(クーリー)25人、馬30匹、道案内などを提供、先々の国への封書や贈物も持たせてくれる。

 とは言っても、天山山脈を越える山旅は大変だったようだ。「キャラバンのうち、凍病死した者が十人のうち三、四人もあり、牛馬はそれ以上だった」と記述している。玄奘の旅に巻き込まれて落命した人は少なくない。

 帰国の旅も、北インドを支配するハルシャヴァルダナ王(戒日王)の支援を受けて象に乗った大行列になる。大量の経典や仏像を持ち帰るには象が必須だ。しかし、途中で象が溺死してかなりの経典を失う。クスタナ(ホータン)まで帰ってきた玄奘は皇帝に上奏文を送り、皇帝からは歓迎の返書が届く。沿道の諸国には、玄奘に人夫や馬を提供するようにとの勅令も出る。密出国したにもかかわらず、大歓迎を受けるのだ。

 この伝記を読むと、玄奘という人物の大きさが伝わってくる。探究心や向学心が旺盛な優れた学者であると同時に現場に赴くことを重視する行動の人であり、並外れた政治力やコミュニケーション力をそなえた人物だったと思える。

 本書で面白く思ったのは、ソグド商人に関する記述である。さほどソグド商人が登場するわけではないが、その多くが悪人だ。たまたまなのか、そんなイメージが一般的だったのか、よくわからない。