『西域記:玄奘三蔵の旅』は推理小説のように面白い ― 2025年07月30日
玄奘の『大唐西域記』全3冊を読んでも消化不良だったので、次の解説&抄訳本を古書で入手して読んだ。30年前の本である。
『西域記:玄奘三蔵の旅』(原作:玄奘/著・訳:桑山正進/地球人ライブラリー/小学館)
東洋文庫版『大唐西域記』の解説で中野美代子氏が本書に言及していた。それを読んで本書への興味がわいた。本書の解説も中野美代子氏だ。
読みやすくて面白い本である。前半は『西域記』成立の経緯と玄奘の旅を考察した解説で非常に興味深い。後半の「『西域記』にはどんなことが書いてあるか」は『大唐西域記』の抄訳である。138カ国から26カ国を抽出して訳している。「訳にあたっては原文の意をくみつつ、自由な訳とした」とあり、かなり読みやすい。
本来は『大唐西域記』に取りかかる前に読むべき本かもしれないが、『大唐西域記』を読んで頭の中が朦朧としている私のような読者にとっては、頭の中の靄が晴れていく体験が得られる有益な本だった。
桑山氏は本書で、現在残っている『大唐西域記』は原本とかなり異なっていると推測している。西突厥への侵攻を考えていた太宗が国境地帯の情報を大幅に削除させたという推論である。直接的な証拠はないが状況証拠はあるようだ。納得できる説だと思った。
玄奘は17年に及ぶインドへの大旅行で大量の経典を持ち帰り、後半生はその翻訳に従事した。そんな訳経は知っていたが、その翻訳作業が国家的な大事業だったと本書で初めて知った。
経典の翻訳には皇帝の勅許が必要であり、勅許が得られれば、場所や膨大な紙をはじめとする文房具が提供され、多くの人材を投入する組織が作られるのだ。そして、翻訳した経典は公式のものとなる。翻訳に携わった玄奘は大きな組織を動かすプロジェクトリーダーでもあった。
太宗が玄奘に『大唐西域記』の提出を求めたとき、経典翻訳を優先させたい玄奘は、翻訳組織の若い僧・弁機に旅行中に得た情報資料を手わたして『大唐西域記』を編集させる。弁機は『大唐西域記』完成後、あるスキャンダル事件によって処刑される。
桑山氏は、弁機の処刑は『大唐西域記』の原本を知っているために消されたと推測している。
翻訳組織にいた慧立という僧は玄奘の伝記を書き上げるが、何故かそれを地中に埋めてしまう。桑山氏は、弁機の処刑が契機で地中に埋めたと推測している。この伝記は、約30年後の第三代高宗の時代になって掘り出され、日に目を見る。この頃、唐は中央アジアを制覇し、玄奘の時代の国境地帯に関する軍事機密は消滅していたようだ。堀り出された伝記は『大慈恩寺三蔵法師伝』として伝わっている。
本書の『大唐西域記』成立に関する考察は推理小説のように面白い。
『西域記:玄奘三蔵の旅』(原作:玄奘/著・訳:桑山正進/地球人ライブラリー/小学館)
東洋文庫版『大唐西域記』の解説で中野美代子氏が本書に言及していた。それを読んで本書への興味がわいた。本書の解説も中野美代子氏だ。
読みやすくて面白い本である。前半は『西域記』成立の経緯と玄奘の旅を考察した解説で非常に興味深い。後半の「『西域記』にはどんなことが書いてあるか」は『大唐西域記』の抄訳である。138カ国から26カ国を抽出して訳している。「訳にあたっては原文の意をくみつつ、自由な訳とした」とあり、かなり読みやすい。
本来は『大唐西域記』に取りかかる前に読むべき本かもしれないが、『大唐西域記』を読んで頭の中が朦朧としている私のような読者にとっては、頭の中の靄が晴れていく体験が得られる有益な本だった。
桑山氏は本書で、現在残っている『大唐西域記』は原本とかなり異なっていると推測している。西突厥への侵攻を考えていた太宗が国境地帯の情報を大幅に削除させたという推論である。直接的な証拠はないが状況証拠はあるようだ。納得できる説だと思った。
玄奘は17年に及ぶインドへの大旅行で大量の経典を持ち帰り、後半生はその翻訳に従事した。そんな訳経は知っていたが、その翻訳作業が国家的な大事業だったと本書で初めて知った。
経典の翻訳には皇帝の勅許が必要であり、勅許が得られれば、場所や膨大な紙をはじめとする文房具が提供され、多くの人材を投入する組織が作られるのだ。そして、翻訳した経典は公式のものとなる。翻訳に携わった玄奘は大きな組織を動かすプロジェクトリーダーでもあった。
太宗が玄奘に『大唐西域記』の提出を求めたとき、経典翻訳を優先させたい玄奘は、翻訳組織の若い僧・弁機に旅行中に得た情報資料を手わたして『大唐西域記』を編集させる。弁機は『大唐西域記』完成後、あるスキャンダル事件によって処刑される。
桑山氏は、弁機の処刑は『大唐西域記』の原本を知っているために消されたと推測している。
翻訳組織にいた慧立という僧は玄奘の伝記を書き上げるが、何故かそれを地中に埋めてしまう。桑山氏は、弁機の処刑が契機で地中に埋めたと推測している。この伝記は、約30年後の第三代高宗の時代になって掘り出され、日に目を見る。この頃、唐は中央アジアを制覇し、玄奘の時代の国境地帯に関する軍事機密は消滅していたようだ。堀り出された伝記は『大慈恩寺三蔵法師伝』として伝わっている。
本書の『大唐西域記』成立に関する考察は推理小説のように面白い。

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