日本最大の肖像彫刻を拝観した ― 2025年05月28日
深大寺はわが家から徒歩30分程だが、この数年は行ってない。知人から深大寺で開催中の「元三大師(がんざんだいし)大開帳」を薦められた。迫力のある大師像を拝んでおくべきだという。「開帳」の意味を調べると「寺社の秘仏を期間を限って公開すること」とある。
チラシには「本来五十年に一度のところを臨時」と謳っている。五十年に一度ならこの機会に見ておこうという気分になる。散歩がてら深大寺まで足を伸ばした。
山門を入り、本堂の脇にある元三大師堂に目をやるが、特に人だかりはない。すぐに入れるのかと思って近づくと、入口に「待ち時間60分」の貼り紙がある。不審に思いながら誘導の表示に従って裏手に回ると、人の列が裏山の階段に伸びていた。列に沿って階段を登って行くが、どこまでも列が続く。貼り紙の意味を了解した。引き返そうかとも思ったが、せっかく来たのだからと最後尾に並んだ。
で、60分並んで元三大師像を拝顔した。肖像彫刻としては日本最大の2メートルの座像である。鎌倉時代の彫像で、今回、大修理の完了を記念して開帳しているそうだ。何となく美術館の彫像を観る気分で来たのだが、入口で支払った1000円は入場料ではなく拝観料。美術展ではなく開帳である。順番に何人かずつが座像の前に並んで手を合わせ、1分ほどのお経を聞きながら祈祷する。お経をあげる僧侶も、交代制だろうが大変だなと思った。
1分程度でも座像の姿は十分に拝顔できた。かなりリアルな顔相で、確かに迫力がある。元三大師は平安時代に実在した僧侶である。かつて元三大師信仰が流行したそうだ。
実在の僧侶のリアルな肖像を拝むのに多少の違和感があるが、考えてみれば仏像だって実在した人物(釈迦)の肖像と言えなくもない。キリスト教もやたらと聖人をつくって祀っている。
チラシには「本来五十年に一度のところを臨時」と謳っている。五十年に一度ならこの機会に見ておこうという気分になる。散歩がてら深大寺まで足を伸ばした。
山門を入り、本堂の脇にある元三大師堂に目をやるが、特に人だかりはない。すぐに入れるのかと思って近づくと、入口に「待ち時間60分」の貼り紙がある。不審に思いながら誘導の表示に従って裏手に回ると、人の列が裏山の階段に伸びていた。列に沿って階段を登って行くが、どこまでも列が続く。貼り紙の意味を了解した。引き返そうかとも思ったが、せっかく来たのだからと最後尾に並んだ。
で、60分並んで元三大師像を拝顔した。肖像彫刻としては日本最大の2メートルの座像である。鎌倉時代の彫像で、今回、大修理の完了を記念して開帳しているそうだ。何となく美術館の彫像を観る気分で来たのだが、入口で支払った1000円は入場料ではなく拝観料。美術展ではなく開帳である。順番に何人かずつが座像の前に並んで手を合わせ、1分ほどのお経を聞きながら祈祷する。お経をあげる僧侶も、交代制だろうが大変だなと思った。
1分程度でも座像の姿は十分に拝顔できた。かなりリアルな顔相で、確かに迫力がある。元三大師は平安時代に実在した僧侶である。かつて元三大師信仰が流行したそうだ。
実在の僧侶のリアルな肖像を拝むのに多少の違和感があるが、考えてみれば仏像だって実在した人物(釈迦)の肖像と言えなくもない。キリスト教もやたらと聖人をつくって祀っている。
研究者の世界が垣間見える“モンゴル時代史鶏肋抄” ― 2025年05月31日
先々月の新聞広告で見た次の本が気になった。昨年Eテレで放映した『3か月でマスターする世界史』に出演していたモンゴル史研究者の新刊である。
『クビライ・カアンの驚異の帝国:モンゴル時代史鶏肋抄』(宮紀子/ミネルヴァ書房)
『モンゴル帝国の歴史』(デイヴィッド・モーガン)を読んで頭が少しモンゴル史モードになったので、この新刊を入手して読了した。
宮紀子氏は1972年生まれの京大人文科学研究所助教、現役の研究者である。本文の前に巻末の「おわりに」を読み、研究現場の日常に圧倒された。研究者は、漢文・ペルシア語・イタリア語などの基本史料(『元史』『モンゴル秘史』『集史』『東方見聞録』など)をほとんど暗記するぐらいに読み込むのがベースのようだ。著者は『元史』を少なくとも二百回以上は通読し、ペルシア語やイタリア語の原典もボロボロらしい。
本書は一般書である。ミネルヴァ書房のPR誌『究』に36回にわたって連載した記事をまとめたものである。私はこのPR誌を見たことはないが、PR誌連載記事なら読みやすそうだと思った。
本書のサブタイトル「モンゴル時代史鶏肋抄」は雑誌連載時の表題である。「鶏肋」を辞書で引くと「鶏のあばらぼね。大して役に立たないが捨てるに惜しいもの」とある。論文にとりあげるほどの価値はないが棄てるには勿体ない小ネタを表している。歴史こぼれ話のような気楽なエピソード集だろうと予感した。だが、そんな生やさしい書ではなかった。
36編の記事は確かに小ネタ集のようだが、想定以上に専門的で門外漢の私には歯が立たない記述が多い。原典史料の解説は研究入門者向けの雑談風講義のようでもあり、人名だか地名だが事項名だかよくわからないカタカナ単語に難儀した。読了したというよりは目を通しただけという気分である。でも、ハンコ偽造、ファッション、宴会料理、カラクリ時計など多岐にわたる興味深い話題が多く、十分に楽しめた。
モンゴル帝国の首都カラコルムを訪れた西欧の使節としては修道士のカルピニやルブルクが有名である。彼らはカアンへの献上物を携えた使節ということで、モンゴル帝国のジャムチ(駅伝)を利用した無料で安全な往来ができたらしい。ルブルクの場合、手土産として葡萄酒・ビスケット・果物しか用意していなかったので各地で怒りや不満を買ったそうだ。面白いエピソードだ。
本書の記事の何編かには、雑誌連載時の後に付加した「附記」がある。その一つに、ある研究者から記事の内容は自分の研究発表の剽窃とのクレームが来た話がある。著者は、記事の内容は研究者の間では以前からの共通認識であり、そんな初歩的なことがらを「発見」と自負する主張に驚いたと反論している。私には、このクレームや反論を評価・判断する能力はないが、研究者の世界の様子を垣間見ることができて面白かった。
『クビライ・カアンの驚異の帝国:モンゴル時代史鶏肋抄』(宮紀子/ミネルヴァ書房)
『モンゴル帝国の歴史』(デイヴィッド・モーガン)を読んで頭が少しモンゴル史モードになったので、この新刊を入手して読了した。
宮紀子氏は1972年生まれの京大人文科学研究所助教、現役の研究者である。本文の前に巻末の「おわりに」を読み、研究現場の日常に圧倒された。研究者は、漢文・ペルシア語・イタリア語などの基本史料(『元史』『モンゴル秘史』『集史』『東方見聞録』など)をほとんど暗記するぐらいに読み込むのがベースのようだ。著者は『元史』を少なくとも二百回以上は通読し、ペルシア語やイタリア語の原典もボロボロらしい。
本書は一般書である。ミネルヴァ書房のPR誌『究』に36回にわたって連載した記事をまとめたものである。私はこのPR誌を見たことはないが、PR誌連載記事なら読みやすそうだと思った。
本書のサブタイトル「モンゴル時代史鶏肋抄」は雑誌連載時の表題である。「鶏肋」を辞書で引くと「鶏のあばらぼね。大して役に立たないが捨てるに惜しいもの」とある。論文にとりあげるほどの価値はないが棄てるには勿体ない小ネタを表している。歴史こぼれ話のような気楽なエピソード集だろうと予感した。だが、そんな生やさしい書ではなかった。
36編の記事は確かに小ネタ集のようだが、想定以上に専門的で門外漢の私には歯が立たない記述が多い。原典史料の解説は研究入門者向けの雑談風講義のようでもあり、人名だか地名だが事項名だかよくわからないカタカナ単語に難儀した。読了したというよりは目を通しただけという気分である。でも、ハンコ偽造、ファッション、宴会料理、カラクリ時計など多岐にわたる興味深い話題が多く、十分に楽しめた。
モンゴル帝国の首都カラコルムを訪れた西欧の使節としては修道士のカルピニやルブルクが有名である。彼らはカアンへの献上物を携えた使節ということで、モンゴル帝国のジャムチ(駅伝)を利用した無料で安全な往来ができたらしい。ルブルクの場合、手土産として葡萄酒・ビスケット・果物しか用意していなかったので各地で怒りや不満を買ったそうだ。面白いエピソードだ。
本書の記事の何編かには、雑誌連載時の後に付加した「附記」がある。その一つに、ある研究者から記事の内容は自分の研究発表の剽窃とのクレームが来た話がある。著者は、記事の内容は研究者の間では以前からの共通認識であり、そんな初歩的なことがらを「発見」と自負する主張に驚いたと反論している。私には、このクレームや反論を評価・判断する能力はないが、研究者の世界の様子を垣間見ることができて面白かった。
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