映画を観る前に『敵』を再読2025年02月06日

『敵』(筒井康隆/純文学書き下ろし特別作品/新潮社/1998.1)
 先月(2025年1月)公開の映画『敵』(監督:吉田大八、主演:長塚京三)が話題になっている。筒井康隆氏が27年前に発表した長編『敵』の映画化である。

 筒井康隆ファンの私は、もちろん映画を観るつもりだ。原作は発表時に読んでいる。およその内容は憶えているが、細部は失念している。映画を機に原作を読み返そうと思った。観る前に再読か、観てから再読か、少しだけ悩み、前者にした。

 『敵』(筒井康隆/純文学書き下ろし特別作品/新潮社/1998.1)

 この小説は「老人小説」である。主人公の渡辺儀助は75歳の元大学教授である。専門はフランス近代演劇史だ。妻に先立たれた一人暮らしの元教授の生活と心理を、端整な掌編(全45編)を坦々と積み上げながら進行する長編である。

 「老人小説=晩年小説」との感得は初読でも再読でも変わらない。変わったのは読者である私の年齢だ。初読のときの私は49歳。儀助より26歳若かった。再読した現在の私は76歳。儀助より年長のリッパな老人だ。にもかかわらず、主人公を「老人だなあ」と見なす気分が初読のときと変わらないのが不思議だ。いま読んでも、儀助を自分より年長のジイサンに感じてしまうのだ。

 この小説を発表したときの筒井氏は63歳だった。儀助を自身より12歳上に設定したのだ。現在、筒井氏は90歳の現役作家である。作家のイメージは、いまだに儀助より若い。

 初読と再読で印象が少し違ったのは後半の展開である。この小説の中盤にパソコン通信が登場し、そこには「敵が来る」という意味不明のメッセージが書き込まれる。やがて、儀助の周辺に正体不明の敵が迫ってきて、穏やかな日常は不可思議な戦闘に巻き込まれていく。

 初読のとき、その展開をドタバタ劇への変調・破調のように感じた。再読では、そのような変調・破調を感じなかった。平穏な日常に脳内世界が徐々に侵入してくる坦々とした物語に思えた。脳内世界の異様な展開は夢に近い光景だ。この小説な、老人のおだやかな午睡の世界を、そのまま描いた物語だと思った。

 この三人称小説には、主人公である儀助の晩年生活を彩る人物が何人か登場する。世話を焼いてくれる友人二人、教え子だった女性、近所のクラブのマスターの姪の女子大生などだ。再読してあらためて気づいた。これら多様な人物は儀助の記憶や空想のなかに登場するだけである。彼らの実場面はない。パソコン通信のなかの人物とさほど変わりがない。

 映画では、この「老人小説」をどのように映像化しているか、楽しみである。