70歳になった渡辺えりの芝居2本を連続観劇 ― 2025年01月14日
本多劇場で上演中の「渡辺えり古稀記念2作連続公演」を観た。『りぼん』と『鯨よ!私の手に乗れ』の2作を、ほぼ交互に上演している。2作とも作・演出は渡辺えり。役者の大半は重複している。
『りぼん』は上演時間3時間(休憩15分を含む)、『鯨よ!私の手に乗れ』は上演時間2時間(休憩なし)である。昼と夜の公演を続けて観れば1日での観劇も可能だが、私は2日にわけて観た。
この芝居の登場人物は43人である。全員が舞台に立つ集団シーンもある。出演者が多いので役者名を挙げるのは省略する(チラシの周囲に載っている)。
『りぼん』の初演は2003年、『鯨よ!私の手に乗れ』の初演は2017年である。私は今回の公演が初見である。私が渡辺えり作の芝居を観たのは2022年上演の『私の恋人 beyond』が最初である。
2つの戯曲はいずれも「戯曲デジタルアーカイブ」で読むことができる。観劇前に読もうと思ったがはたせず、冒頭部分を読んだだけで劇場に足を運んだ。
『りぼん』の冒頭、大勢の修学旅行の中学生が登場する。山形から横浜に来た修学旅行生である。時代は1964年の東京オリンピックの直前のようだが、現代の目で見ると終戦直後のようにも感じられる。この騒々しい修学旅行生たちのフォークダンス・シーンが印象深い。アップテンポに編曲しているので、時間の奔流と懐かしさを同時に感じた。
中学生たちがあやしげな墓地を発見するところから、時代と空間が錯綜する壮大な舞台が展開する。終戦直後の娼婦、「浜のメリー」を連想させる男娼、青山の同潤会アパート、口からリボンを吐く男などなどが登場し、関東大震災から同潤会アパート取り壊しの現代までの時間が錯綜する。
やがて、冒頭の中学生の集団を含む登場人物の多くは、現代史の記憶の底から出てきた死者だと気づかされる。家族の歴史のなかに多様な事物を盛り込んだ舞台だ。
『鯨よ!私の手に乗れ』は地方の介護施設の老人たちを巡る追憶再生の物語である。渡辺えりの家族をモデルにしている。渡辺えりと思しき人物(演じるのは本人ではない)も活躍する。家族物語のようでありながら、次第に幻想の世界が広がり、舞台に巨大な鯨も登場する。渡辺えりワールドだ。
渡辺えり、70歳。まだまだ溌剌としていて元気だ。
『りぼん』は上演時間3時間(休憩15分を含む)、『鯨よ!私の手に乗れ』は上演時間2時間(休憩なし)である。昼と夜の公演を続けて観れば1日での観劇も可能だが、私は2日にわけて観た。
この芝居の登場人物は43人である。全員が舞台に立つ集団シーンもある。出演者が多いので役者名を挙げるのは省略する(チラシの周囲に載っている)。
『りぼん』の初演は2003年、『鯨よ!私の手に乗れ』の初演は2017年である。私は今回の公演が初見である。私が渡辺えり作の芝居を観たのは2022年上演の『私の恋人 beyond』が最初である。
2つの戯曲はいずれも「戯曲デジタルアーカイブ」で読むことができる。観劇前に読もうと思ったがはたせず、冒頭部分を読んだだけで劇場に足を運んだ。
『りぼん』の冒頭、大勢の修学旅行の中学生が登場する。山形から横浜に来た修学旅行生である。時代は1964年の東京オリンピックの直前のようだが、現代の目で見ると終戦直後のようにも感じられる。この騒々しい修学旅行生たちのフォークダンス・シーンが印象深い。アップテンポに編曲しているので、時間の奔流と懐かしさを同時に感じた。
中学生たちがあやしげな墓地を発見するところから、時代と空間が錯綜する壮大な舞台が展開する。終戦直後の娼婦、「浜のメリー」を連想させる男娼、青山の同潤会アパート、口からリボンを吐く男などなどが登場し、関東大震災から同潤会アパート取り壊しの現代までの時間が錯綜する。
やがて、冒頭の中学生の集団を含む登場人物の多くは、現代史の記憶の底から出てきた死者だと気づかされる。家族の歴史のなかに多様な事物を盛り込んだ舞台だ。
『鯨よ!私の手に乗れ』は地方の介護施設の老人たちを巡る追憶再生の物語である。渡辺えりの家族をモデルにしている。渡辺えりと思しき人物(演じるのは本人ではない)も活躍する。家族物語のようでありながら、次第に幻想の世界が広がり、舞台に巨大な鯨も登場する。渡辺えりワールドだ。
渡辺えり、70歳。まだまだ溌剌としていて元気だ。
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