伊藤野枝が眩しく見える『ケエツブロウよ』2024年06月02日

 紀伊国屋ホールで劇団青年座公演『ケエツブロウよ:伊藤野枝ただいま帰省中』(作:マキノノゾミ、演出:宮田慶子、出演:那須凛、横堀悦夫、松川真也、他)を観た。先日観た『飛龍伝』はマキノノゾミ演出、今回は脚本だ。

 青年座は30年前、今回と同じマキノノゾミと宮田慶子のコンビで『MOTHER:君わらひたまふことなかれ』を上演している。私は、その公演を観劇し、戯曲まで入手している。印象深い芝居だったのだ。今回の公演を知り、『MOTHER』の続編のような芝居だろうと直感し、観劇したくなり、チケットを手配した。

 与謝野晶子を描いた『MOTHER』には与謝野鉄幹、北原白秋、石川啄木、佐藤春夫などの文学者が登場する。印象に残っているのは平塚明子(らいてう)と大杉栄だった。伊藤野枝は出てこない。今回の『ケエツブロウよ:伊藤野枝ただいま帰省中』は伊藤野枝が主人公である。大杉栄も登場する。

 舞台は福岡県糸島郡今宿の海辺にある伊藤野枝の実家だ。開幕から終幕まで舞台は変わらない。この実家での十数年の時間を描いている。野枝が嫁ぎ先から8日で出奔して辻潤の元へ走る17歳のときから、大杉栄と共に28歳で虐殺された翌年のお盆に霊となって実家に帰ってくるまでの約10年である。時代も家族も変遷する。

 「ケエツブロウ」とは海鳥カイツブリの方言だそうだ。野枝は次のような詩を残している。

  ねえケエツブロウやいっそうの事に
  死んでおしまい! その岩の上で――
  お前が死ねば私も死ぬよ
  どうせ死ぬならケエツブロウよ
  かなしいお前とあの渦巻へ――

 野枝の実家を舞台にしたこの芝居の面白さは、やっかいな娘を抱えた両親、妹、祖母、叔父たちの姿の描写にある。ドタバタとまでは言えないが、野枝を叱責しつつも野枝に巻き込まれていき、共感さえ抱くに至る展開が見事だ。作劇の妙を感じた。

 パンフレットに掲載されているマキノノゾミの文章によれば「大杉の出てこない大杉の芝居」にする予定が「大杉も出てくる伊藤野枝の実家の話」になってしまったそうだ。人たらしの大杉栄が劇作家までたらしこんだみたいだ。

 この芝居を観ていると、明治から大正にかけての時代の青年たちの溌剌さや傲慢さが眩しく見えてくる。時代が暗い方向に進んでいく前夜だから、よけいにそう感じるのかもしれない。

 野枝の墓はバカでかい巨石だそうだ。木の墓標がたびたび倒されたり引き抜かれたりするので、叔父が巨石を運んできて墓標にしたという。終幕では、実家の居間に忽然と現れた巨石に照明が当たる。『天国への階段』が流れる。