『ハプスブルク帝国』の最終章「ハプスブルク神話」は面白い2017年10月08日

 『ハプスブルク帝国』(岩崎周一/講談社現代新書)は出色の新書だった。1974年生まれの若い研究者による教科書風に密度の濃い本で、従来の見解を見直す最近の学説紹介も多い。

 私がハプスブルク家に興味をもったのは6年前だ。ウィーン、プラハ、ブダペストなどのハプスブルク都市へ観光旅行に行くのを機にハプスブルクという言葉が表題にある一般書を10冊ばかりまとめて読んだ。それだけでは1000年に近いハプスブルクの歴史を理解した気分にはならず、長大なドラマの粗筋に触れただけに感じた。その記憶もすでにおぼろだ。

 そんな時に本屋の店頭で本書が目に入り、おぼろな記憶を再生させるのに手頃に思えた。読み始めてみると、かつて私が読んだハプスブルク本(その大半は新書本)とは趣が違うと感じた。サラサラと速読できないのだ。

 本書は圧縮記述された教科書に近いので、一つひとつの文章の意味を咀嚼しながら読み進めないと前後の脈略がわからなくなる。また、ハプスブルク周辺の歴史(フランス、プロイセン、ロシア、イギリスなどの歴史)の基本は読者が把握しているという前提で記述されているので、知識があやふやな私などはたびたび電子辞書を引きながら読み進めねばならない。

 と言って、本書は無味乾燥な教科書的記述に終始しているわけではない。各時代ごとの政治・経済・文化を目配りよく概説しながら、随所に先人の興味深い述懐が引用されていて、つい引き込まれてしまう。

 本書によって蒙を啓かれた事柄は多く、特に啓蒙君主と呼ばれる人たちについてはあらためて興味を抱き、そもそも蒙を啓くとは何を意味し、啓蒙の時代をどう評価するかをじっくり考えてみたくなった。

 本書の圧巻は最終章『ハプスブルク神話』である。この章では第一次世界大戦でハプスブルク君主国が消滅してから直近の2017年までを扱っている。ハプスブルク君主国の後継国家(オーストリア、ハンガリー、チェコ、ルーマニナなど)とハプスブルク家の末裔に関する話は、私の知らない事項にあふれていて、とても興味深かった。

 ハプスブルクの時代を懐かしく肯定的に語るツヴァイク、シュンペーター、ミラン・クンデラなどの言説も興味深いが、末裔のオットーの人物像もなかなかである。

 欧州議会の議員で「パン・ヨーロッパ」運動の総裁でもあったオットーは、国民国家を超えたハプスブルクの伝統精神を欧州統合に活かした人物だろうと勝手に認識していたが、そんなに単純に評価できる人物ではなかったようだ。

 また、ハプスブルクを否定したはずのオーストリアが今やハプスブルクを観光資源にしているという指摘にも得心した。中欧への観光旅行でエリザベート(シシー)が観光の目玉になっていることに共感と違和感の混じった不思議な感慨を抱いたことを思い出し、その源泉が多少なりともつかめた気がした。

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