売れている本『世界は経営でできている』を読んだ2024年04月25日

『世界は経営でできている』(岩尾俊兵/講談社現代新書)
 私は気ままに暮らしている後期高齢者である。世間の動向に流されることなく、自分の読みたいものだけをのんびり読みたいと思っている。にもかかわらず、新聞で紹介されているベストセラーが気になったりもする。で、朝日新聞・読書欄(2024.4.20)の「売れている本」で紹介していた次の新書を読んだ。

 『世界は経営でできている』(岩尾俊兵/講談社現代新書)

 気鋭の経営学者による「令和冷笑系文体」のエッセイである。このタイトルに違和感はない。世の中のあらゆることに対処するのにマネジメントのセンスは有効だと思う。だから、読む前から何となく内容を予感できた。だが、紹介にあった「令和冷笑系文体」なるものがどんなものかに興味をいだき、本書をひもといた。

 読み終えて、予感した以上に有益な本だと思った。「価値有限思考」を脱却して「価値無限思考」へ、という考え方がユニークだ。

 本書の半ばまでは、従来の人生訓・処世術の焼き直しのように感じることもあった。「手段にとらわれて目的を忘れてはダメ」「短期利益を重視して長期利益を逸してはダメ」「部分に気を取られて全体を見失ってはダメ」など、当たり前なのに忘れがちな事象を指摘している。

 経営思考の対象として「虚栄」「心労」「憤怒」などの心理的事象から「科学行政」や「歴史」までを取り上げているのが面白い。

 本書の要諦は「他者と自己を同時に幸せにする価値創造でしか、個人にも集団にも恒久的な幸せは訪れない」という主張である。この考え方を社会に実装する方法は容易でないと思えるが、興味深い考え方だ。

 「令和冷笑系文体」については、よくわからなかった。著者も認めているように昭和軽薄体を引きずっている。自虐ツッコミも多い。さほど冷笑的とは感じなかった。

 本書の各節(54節)の見出しはすべてパロディになっている。労作である。大いに笑える見出しもあるが、無理なこじつけも多い。さらにひねった芸を期待したい。

 本書を読んでいて、2年前に読んだ『絶対悲観主義』を想起した。あの本も気鋭の経営学者によるオモシロ・マジメ本だった。経営学者には芸達者でユニークな人が多いのだろうか。

売れている本『世界はラテン語でできている』を読んだ2024年04月27日

『世界はラテン語でできている』(ラテン語さん/SB新書/SBクリエイティブ)
 『世界は経営でできている』に続いて、似たタイトルの次の新書を読んだ。

 『世界はラテン語でできている』(ラテン語さん/SB新書/SBクリエイティブ)

 本書も朝日新聞・読書欄の「売れている本」(2024.2.10)で紹介されていた。『世界は経営でできている』『世界はラテン語でできている』は共に今年1月発売のベストセラーだ。ちょっと気になって、ネット書店で『世界は〇〇でできている』という書名を検索すると、20点以上のタイトルが出てきた。○○は「素数」「化学」から「愛」「尻尾」まで多様だ。

 閑話休題。私が本書を購入したのは、ラテン語の勉強に挑戦しようなどと思ったからではない。たまに目にするラテン語らしき表現が気になり、今でも引用されることの多いラテン語表現を手っ取り早く知ることができるのではと期待したからである。

 私が気になったラテン語表現とは「エッケ・ホモ ECCE HOMO この人を見よ」「メメント・モリ MEMENTO MORI 死を忘るなかれ」などである。こんなカッコイイ表現を多少でも収集できればと思った。だが、本書には ECCE HOMO も MEMENTO MORI も出てこない。身の回りのラテン語を多く紹介しているが、イージーな格言紹介ではなく、ラテン語学習への誘いの書だった。

 と言っても、さまざまな語源紹介や雑学的ラテン語知識が詰まっていて、興味深く読むことができた。

 ローマを現すSPQRが「Senatusu Populusque Romanusu ローマの元老院と人民」の略だとは何かの本で読んで知っていたが、本書によってPopulusqueのqueは「と」だと判明して「なあんだ」と思った。SPQRのQが気になっていたのだ。SPQRとはS&P Rという感じの表現のようだ。単なるSPRよりはSPQRの方がサマになる気がする。

 そんな小さな知識を得たからと言って、75歳の私は今さらラテン語の入門書を読もうという気にはならない。だが、意欲ある人にとっては、本書は学習意欲を喚起する刺激的な本だと思う。

宗教社会学で世界読み解く『世界は四大文明でできている』2024年04月29日

『世界は四大文明でできている』(橋爪大三郎/NHK出版新書)
 たわむれに『世界は〇〇でできている』という書名を検索して、山ほどの○○があるのに感嘆し、そのなかで気になった次の新書を入手して読んだ。

 『世界は四大文明でできている』(橋爪大三郎/NHK出版新書)

 私と同世代の社会学者・橋爪大三郎氏には多数の著作があり、その何冊かを読んでいる。宗教を扱った『ふしぎなキリスト教』『ゆかいな仏教』は面白くて刺激的だった。本書も宗教社会学視点の解説書と知り、興味がわいた。

 四大文明と言えば、私たちは子供の頃に「エジプト文明」「メソポタミア文明」「インダス文明」「中国文明」と習った。現在の教科書では四大文明とは言わないらしい。本書の四大文明は古代の四大文明ではなく「キリスト教文明」「イスラム文明」「ヒンドゥー文明」「中国・儒教文明」を指している。

 世界三大宗教はキリスト教、イスラム教、仏教だと思うが、現代社会の成り立ちを探求する社会学の視点からは「キリスト教文明」「イスラム文明」「ヒンドゥー文明」「中国・儒教文明」という区分けが有効なようだ。

 本書は、グローバルな場で通用する見識ある経営者育成を目的にした講義をまとめたもので、記述は講義の実況中継風だ。国際的なビジネスの現場で先方の考え方のバックボーンを理解するために必要な最小限の知見を解説した講義録である。

 各文明を解説した章は「一神教の世界」「ヒンドゥー文明」「中国・儒教文明」の三つになっている。キリスト教文明とイスラム文明は「一神教の世界」としてセットで解説していて、質量ともにこれが大きい。ビジネスの世界で欧米やイスラム圏との交流が重要だから、一神教の理解にウエイトを置くことになる。

 一般の日本人がイメージする神が、一神教における神といかに異なるかを興味深く解説している。一神教では、神様は主人で人間は家来以下の奴隷だそうだ。日本のような多神教の神様は人間の友達に近い。ちなみに、仏教や儒教は一神教でも多神教でもなく、神様はいないとしている。なるほどと思った。

 著者は文明と文化の違いも明解に解説している。文化とは、民族や言語など自然にできた人々の共通性もとづくものである。文明とは、さまざまな文化の多様性を統合して大きな人類共存のまとまりを人為的に作り出したものである。自然に生まれるのが文化、文化を超えて人為的に形成されるのが文明ということだ。宗教は多様性を統合する装置のひとつである。だから宗教ごとに文明が存在する、という考え方になる。

 宗教とはやっかいなものだ。宗教を超克した共同幻想を形成できれば世界は一つの文明になると思うのだが……。