小説に続いて胡桃沢耕史のシルクロード紀行記を読んだ ― 2025年06月12日
ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠を舞台にした胡桃沢耕史(清水正二郎)の小説『天山を越えて』と『肉の砂漠』に続けて、彼のシルクロード紀行記2冊を読んだ。
『天山・絲綢之路(シルクロード)行』(胡桃沢耕史、写真:正木信之/徳間文庫/1987.7)
『タクラマカン砂漠2500キロの旅』(胡桃沢耕史、写真:正木信之/光文社文庫/1989.6)
どちらもカラー写真をふんだんに載せた文庫オリジナルの紀行記である。
NHKの『シルクロード』が放映された1980年代初頭、一般の人がシルクロード地域を旅行するのは難しかった。しかし、中国は次第に限られた場所で観光客を受け入れるようになる。そんなシルクロード観光初期、胡桃沢耕史はシルクロードを踏破しようと考える。ある程度の人数がまとまらなければ受け入れてもらえないので、知人を集めたツアーを計画する。一度でシルクロードを踏破するのは無理である。何回かにわけた約2週間ずつの踏破計画を組む。その1回目と2回目の記録がこの2冊である。
1回目の参加者は15名。出発は1986年9月。旅程は、北京→西安→蘭州→酒泉→敦煌→トルファン→ウルムチである。酒泉までは飛行機を乗り継ぎ、その先はゴビ砂漠を車で行く。酒泉付近には万里の長城の終点・嘉峪関がある。
2回目の参加者は24名。出発は1988年9月。当初、ウルムチからカシュガルへのコースを予定していた。出発直前になってホータンが「解放都市」になり観光可能になるとの知らせがあり、当初とは逆回りに変更する。ホータンまで飛行機、その先はタクラマカン砂漠の外縁を車で時計回りに、ホータン→カシュガル→アクス→クチャ→ウルムチと巡る。
2年を経た2回のシルクロード紀行記を続けて読むと、ひとつの一連の旅を追体験した気分になる。私はこの地域に行ったことはないが、観光客を受け入れ始めたばかりの頃の中国の状況がいろいろわかって面白い。トイレ事情などもタイヘンだ。現在の敦煌は観光地化していて興ざめだと聞いたことがあるが、著者は40年近く前の敦煌を、すでに観光地化していると述べている。
この2冊で、著者は若い頃の自身のシルクロード体験を断片的に語っている。終戦2年前の1943年、18歳だった著者は蒙古人になりきって、パオトウ(包頭)経由で嘉峪関まで歩いたそうだ(千数百キロメートル)。また、ウルムチから天山の山中の天池へ徒歩往復8日で行ったとも語っている。旅の目的は軍事に関わるとしてボヤかしているが、盛世才に関連していると匂わしている。
1回目も2回目も、紀行の最終場面は天山の山中の天池である。そこは1943年に18歳の著者が訪れた場所であり、『天山を越えて』のラストシーンの場所でもある。著者によれば、18歳でこの地に来たとき、40年近く後に『天山を越えて』となる物語の大体の構想を得ていたそうだ。
著者はシルクロードの旅の目的を「ぼくが書いた『天山を越えて』という小説の後をなぞることにあった」と述べている。あの小説には、執筆時点では著者が訪れていないカシュガルやホータンなども登場する。著者にとっての2回の紀行は、自身の遠い記憶をなぞるとともに、自身が想像した情景ををなぞる旅でもあった。
この2冊の紀行記のどちらにも馬仲英への言及があるのも興味深い。著者にとっては砂漠の英雄だったのかもしれない。
『天山・絲綢之路(シルクロード)行』(胡桃沢耕史、写真:正木信之/徳間文庫/1987.7)
『タクラマカン砂漠2500キロの旅』(胡桃沢耕史、写真:正木信之/光文社文庫/1989.6)
どちらもカラー写真をふんだんに載せた文庫オリジナルの紀行記である。
NHKの『シルクロード』が放映された1980年代初頭、一般の人がシルクロード地域を旅行するのは難しかった。しかし、中国は次第に限られた場所で観光客を受け入れるようになる。そんなシルクロード観光初期、胡桃沢耕史はシルクロードを踏破しようと考える。ある程度の人数がまとまらなければ受け入れてもらえないので、知人を集めたツアーを計画する。一度でシルクロードを踏破するのは無理である。何回かにわけた約2週間ずつの踏破計画を組む。その1回目と2回目の記録がこの2冊である。
1回目の参加者は15名。出発は1986年9月。旅程は、北京→西安→蘭州→酒泉→敦煌→トルファン→ウルムチである。酒泉までは飛行機を乗り継ぎ、その先はゴビ砂漠を車で行く。酒泉付近には万里の長城の終点・嘉峪関がある。
2回目の参加者は24名。出発は1988年9月。当初、ウルムチからカシュガルへのコースを予定していた。出発直前になってホータンが「解放都市」になり観光可能になるとの知らせがあり、当初とは逆回りに変更する。ホータンまで飛行機、その先はタクラマカン砂漠の外縁を車で時計回りに、ホータン→カシュガル→アクス→クチャ→ウルムチと巡る。
2年を経た2回のシルクロード紀行記を続けて読むと、ひとつの一連の旅を追体験した気分になる。私はこの地域に行ったことはないが、観光客を受け入れ始めたばかりの頃の中国の状況がいろいろわかって面白い。トイレ事情などもタイヘンだ。現在の敦煌は観光地化していて興ざめだと聞いたことがあるが、著者は40年近く前の敦煌を、すでに観光地化していると述べている。
この2冊で、著者は若い頃の自身のシルクロード体験を断片的に語っている。終戦2年前の1943年、18歳だった著者は蒙古人になりきって、パオトウ(包頭)経由で嘉峪関まで歩いたそうだ(千数百キロメートル)。また、ウルムチから天山の山中の天池へ徒歩往復8日で行ったとも語っている。旅の目的は軍事に関わるとしてボヤかしているが、盛世才に関連していると匂わしている。
1回目も2回目も、紀行の最終場面は天山の山中の天池である。そこは1943年に18歳の著者が訪れた場所であり、『天山を越えて』のラストシーンの場所でもある。著者によれば、18歳でこの地に来たとき、40年近く後に『天山を越えて』となる物語の大体の構想を得ていたそうだ。
著者はシルクロードの旅の目的を「ぼくが書いた『天山を越えて』という小説の後をなぞることにあった」と述べている。あの小説には、執筆時点では著者が訪れていないカシュガルやホータンなども登場する。著者にとっての2回の紀行は、自身の遠い記憶をなぞるとともに、自身が想像した情景ををなぞる旅でもあった。
この2冊の紀行記のどちらにも馬仲英への言及があるのも興味深い。著者にとっては砂漠の英雄だったのかもしれない。

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