フェデリコ2世の八角形の城に行った……南イタリア旅行記(1) ― 2024年08月31日
南イタリアを巡るツアーに参加した。参加者は8人(夫婦3組、私のような1人参加2人)と意外に少人数。落ち着いて観光できた。南イタリアまで足を伸ばす人は意外に少ないようだ。
ツアーで巡るのはアルベルベッロ、レッチェ、マテーラ洞窟住居群、カステル・デル・モンテ、アマルフィ海岸、ポンペイ遺跡、プロチダ島などである。私の目当ての第一はカステル・デル・モンテ、第二がポンペイ遺跡である。
添乗員にツアー参加の動機を訊かれ「カステル・デル・モンテ」と答えると驚かれた。世界遺産に指定されていて、それなりに人気のある場所だと思っていたが、この城を目当ての参加者は少ないそうだ。
私は神聖ローマ皇帝フェデリコ(フリードリヒ)2世に関心があり、旅行の前にはパルコ劇場で『破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~』を観劇し、フェデリコ2世関連本の復習もした。フェデリコ2世が建てた用途不明の八角形の城がカステル・デル・モンテである。
私は6年前に読んだ『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(塩野七生)でこの城を知り、いつか行きたいと思っていた。その念願がついにかなったのである。
オリーブ畑やブドウ畑が点在する平原の道を走っていると、前方の小高い丘の上に城が見えてくる。バスは丘のふもとまでしか行けない。ふもとの売店からは乗合マイクロバスに乗り換えて城まで行く。
丘の上に立つこの城からの360度の眺望は気持ちいい。畑や平原ばかりで町や村は見えない。ここは軍事上の要所ではない。ただの田舎だ。城には防衛や攻撃のための仕掛けもない。
写真ではかなりの大きさに見えるが、城としては小さいらしい。八角形の城の各角が八角形の塔になった八角づくしで、城の中央には八角形の中庭がある。中庭から見上げる空は八角形に切り取られている。面白い眺めだ。
この城は2フロアしかない。意外である。1階と2階にそれぞれ8つの台形の部屋がある。この台形の部屋を巡っていると、自分がどの部屋にいるのかわからなくなる。中庭に面した窓からの眺めはどこも同じだし、外側の窓の景色も変わりばえがしない。迷子になりそうな構造は使い勝手がいいとは思えない。だが、方向感覚の狂いを楽しめる場所ではある。
現場に立ってあらためて認識したのは、内部が荒涼としていることだ。タイルやモザイクなどの内装はほとんど剝ぎ取られている。壁画などもない。まさに、往時を想像力で偲ぶしかない「遺跡」なのである。
この城の用途は、城塞か、鷹狩りのための別荘か、神殿か、天体観測所か、いまも議論が続いている。『フリードリヒ2世』の著者・藤澤房俊氏は「カステル・デル・モンテはフリードリヒ2世の神聖な自己表現である」と述べ、塩野七生氏は「フリードリッヒも傍(はた)迷惑な人である。八百年後の研究者たちにまで、御手上げという気分にさせてしまうのだから」と述べている。
そんなカステル・デル・モンテの現場に立ち、フリードリヒは、八角づくしのこの造形を自身の眼で眺め、自身の身体で体感したかったのだろうと思った。謎多き皇帝である。
ツアーで巡るのはアルベルベッロ、レッチェ、マテーラ洞窟住居群、カステル・デル・モンテ、アマルフィ海岸、ポンペイ遺跡、プロチダ島などである。私の目当ての第一はカステル・デル・モンテ、第二がポンペイ遺跡である。
添乗員にツアー参加の動機を訊かれ「カステル・デル・モンテ」と答えると驚かれた。世界遺産に指定されていて、それなりに人気のある場所だと思っていたが、この城を目当ての参加者は少ないそうだ。
私は神聖ローマ皇帝フェデリコ(フリードリヒ)2世に関心があり、旅行の前にはパルコ劇場で『破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~』を観劇し、フェデリコ2世関連本の復習もした。フェデリコ2世が建てた用途不明の八角形の城がカステル・デル・モンテである。
私は6年前に読んだ『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(塩野七生)でこの城を知り、いつか行きたいと思っていた。その念願がついにかなったのである。
オリーブ畑やブドウ畑が点在する平原の道を走っていると、前方の小高い丘の上に城が見えてくる。バスは丘のふもとまでしか行けない。ふもとの売店からは乗合マイクロバスに乗り換えて城まで行く。
丘の上に立つこの城からの360度の眺望は気持ちいい。畑や平原ばかりで町や村は見えない。ここは軍事上の要所ではない。ただの田舎だ。城には防衛や攻撃のための仕掛けもない。
写真ではかなりの大きさに見えるが、城としては小さいらしい。八角形の城の各角が八角形の塔になった八角づくしで、城の中央には八角形の中庭がある。中庭から見上げる空は八角形に切り取られている。面白い眺めだ。
この城は2フロアしかない。意外である。1階と2階にそれぞれ8つの台形の部屋がある。この台形の部屋を巡っていると、自分がどの部屋にいるのかわからなくなる。中庭に面した窓からの眺めはどこも同じだし、外側の窓の景色も変わりばえがしない。迷子になりそうな構造は使い勝手がいいとは思えない。だが、方向感覚の狂いを楽しめる場所ではある。
現場に立ってあらためて認識したのは、内部が荒涼としていることだ。タイルやモザイクなどの内装はほとんど剝ぎ取られている。壁画などもない。まさに、往時を想像力で偲ぶしかない「遺跡」なのである。
この城の用途は、城塞か、鷹狩りのための別荘か、神殿か、天体観測所か、いまも議論が続いている。『フリードリヒ2世』の著者・藤澤房俊氏は「カステル・デル・モンテはフリードリヒ2世の神聖な自己表現である」と述べ、塩野七生氏は「フリードリッヒも傍(はた)迷惑な人である。八百年後の研究者たちにまで、御手上げという気分にさせてしまうのだから」と述べている。
そんなカステル・デル・モンテの現場に立ち、フリードリヒは、八角づくしのこの造形を自身の眼で眺め、自身の身体で体感したかったのだろうと思った。謎多き皇帝である。
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