何度読んでも謎が残るチェーホフの戯曲2023年08月18日

『桜の園・三人姉妹』(チェーホフ、神西清訳/新潮文庫)
 先日、パルコ劇場で『桜の園』を観たのを契機に戯曲を再読した。

 『桜の園・三人姉妹』(チェーホフ、神西清訳/新潮文庫)

 半世紀以上昔の学生時代、チェーホフ四大劇(『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』)を読み、虚しさを嚙みしめるようなチェーホフの世界に魅せられた。当時アイドルだったドストエフスキイを補完する存在だった。

 4年前、『かもめ』観劇の際に『かもめ・ワーニャ伯父さん』を再読した。今回は『桜の園・三人姉妹』の再読、何度読んでも釈然としない謎が残るのがチェーホフだ。

 『桜の園・三人姉妹』を再読した直接の動機は、今回の『桜の園』観劇のときに「…ギボンの『ローマ帝国衰亡史』…」という台詞を耳にしたからである。この数年、私はギボン再読に取り組んでいるので、ギボンという言葉に反応する。『桜の園』にギボンへの言及があっただろうかと気になった。

 神西清訳を再読しても、ギボンへの言及を確認できなかった。今回の上演台本は現代的な英訳版からの重訳である。謎が残った。

 『桜の園・三人姉妹』を再読してあらためて気づいたのは、二作品ともハッピーと言えない結婚を扱っている点だ。

 チェーホフが描いている「結婚」には、解放・桎梏・方便・打算などの多面的要素が盛り込まれている。当然ながら、結婚=ハッピーエンドという単純さはない。チェーホフ劇の「結婚」は、一般的イメージの結婚とは別物の何かを表しているようにも思える。それは、乗り越えていくべき何かである。