中央公論社版『日本の歴史』で幕末維新を読む ― 2015年09月12日
◎『日本の歴史』はなつかしいベストセラー
中央公論社版『日本の歴史』が出版されたのは半世紀前、私が高校生の頃だった。あの頃、全巻そろえたいなどとは思ってもみなかった。受験のための日本史の教科書と参考書だけでフーフー言っていたのだ。だが、私と同様に理系志望で日本史を受験科目に選択している友人の一人が「受験対策に中央公論の『日本の歴史』を全巻読む」と宣言したので、びっくりした記憶がある。彼が本当に全巻読んだかどうかは知らないが、名門国立大学の工学部に現役合格した。
当時『日本の歴史』は、工学部志望の高校生も手に取るほどの話題のベストセラーだった。執筆者の歴史学者たちが思いがけぬ高額の印税収入に喜んでいるという内容の週刊誌の記事を目にしたこともある。
半世紀前に出た『日本の歴史』は現在も中公文庫で出版されている。その息の長さにはおどろかされる。何冊かはバラで買ったこともあるが、最近、『日本の歴史』全31冊を一括入手した。1960年代に出版されたハードカバー版全31冊五千円という古本屋の価格を見て、置き場所も考えずに購入してしまったのだ。
◎羽仁五郎を師とする二人の学者の著作
そんなわけで、わが書斎の床には『日本の歴史』31冊が積まれている。その中から幕末維新の次の2冊を読んでみた。反薩長モノを理解するには、フツーの概説書にどう書かれているかを知らねば、という当然のことに思い至ったからだ。
『日本の歴史19 開国と攘夷』(小西四郎/中央公論社)
『日本の歴史 20 明治維新』(井上清/中央公論社)
この2冊が半世紀前のベストセラーなのは確かだが、フツーの概説書かどうかは定かではない。小西四郎氏は東大教授(当時)、井上清氏は京大教授(当時)で、ともに師はあの羽仁五郎先生だ。私たちが学生時代に『都市の論理』がベストセラーになった老歴史学者・羽仁五郎は、羽仁進の父親、自由学園創立者・羽仁もと子の娘・羽仁説子の亭主で、怪気炎をあげる左翼老人タレント学者というイメージがある。
その意味で、井上清氏も当時は全共闘支持を表明するちょっと変わった有名左翼学者だった。数年前、井上清氏の『西郷隆盛(上)(下)』(中央公論)を読んだが、著者の個性が感じられる奇書のイメージがある。
いずれにしても、この2冊がマルクス主義的な史観をベースに書かれていることは容易に予想できる。それ自体はいいとも悪いとも言えない。1960年代には、その史観こそがスタンダードだったのかもしれないし、史観に固執するだけで歴史を概説できるわけでもない。
◎『開国と攘夷』(小西四郎)
小西四郎氏の『開国と攘夷』は、1840年(天保11年)のアヘン戦争から1867年12月の王政復古のクーデター開始までを描いているが、ペリー来航まではプロローグで、ペリー来航の1853年(嘉永6年)から1867年(慶応3年)の大政奉還、王政復古クーデターまでの15年間がメインだ。
この15年で世の中は大きく変わり、徳川幕府は瓦解する。何と濃密で慌ただしい15年間だったのだろうと思う。すでに人生を66年やってきた私の感覚では15年はアッという間である。そのわずか15年の間に頻発する出来事・事件の集成によって歴史が大きく変動する。それは、おそらくその時代を生きた当事者たちの予見を超えた変動だったと思う。
小西四郎氏はこの15年を小説のように面白く活写している。随所に著者の「好み」が語られているのも愛嬌だ。著者は坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、久坂玄瑞などが好みだそうだ。何ともポピュラーな幕末の志士ファンに見えるが、幕府側の勝海舟と小栗忠順を傑出した人物と持ち上げ、近藤勇にも一定の評価を与えている。人物評価に関しては全般的に目配りのいいメリハリのある公平さが感じられた。
本書には「民衆」という言葉がかなり出てくる。著者は歴史における民衆の役割、民衆のエネルギーを重視し「歴史における進歩とは、民衆の立場に立つものと、わたしは理解している」と述べている。師・羽仁五郎の「人民史観」に基づくスタンスである。「歴史とは進歩するものだ。その原動力は民衆だ」という考えだ。
私は、そうあってほしいとは思うが、それが正しいかどうかはわからない。過去の歴史を眺めると進歩してきたようには思えるが、そうでない要素があるのも確かだ。まして、この先の歴史がどう進歩するのか、あるいは進歩しないのか、何とも言えない。
もちろん本書は、ペリー来航から王政復古までの15年間の歴史変動の主役が民衆だったという内容ではない。尊王攘夷が民衆と密着していたわけではないし、民衆が幕府を倒したわけでもない。しかし、著者は、幕末の歴史事象の背景で民衆のエネルギーが果たした役割を拾いあげ、尊王攘夷から倒幕にいたる流れを「進歩」ととらえている。
この時代に活躍した人々は、それぞれが自分が正しいと思う理念を抱いていたとは思うが「歴史を進歩させる」といったマクロな方向感覚をもった人はいなかっただろうと私は思う。
安政の大獄における井伊大老の措置を著者が「そう苛酷なものとは思わない」と述べているのが面白い。もちろん、井伊大老を是としているのではなく、徳川幕府は独裁権力で成り立っているとの認識に基づき、その独裁権力を維持するためには当然の措置だという見解である。
著者は幕閣の中にいた開明的で優秀な人々に言及しつつも、大雑把に単純化してしまえば「幕府=悪者=倒されるべき者」という見方に立っているようだ。安政の大獄で弾圧処刑された尊攘志士たちは倒幕論者ではなく幕政改革論者だったとするくだりでは、その時点では「倒幕に到達していなかった」と述べている。
倒幕の立役者である西郷隆盛が倒幕という思想に到達したのは1865年(慶応元年)だそうだ。著者は、その背景には民衆のエネルギーがあったとし、次のように解説している。
西郷隆盛たちは民衆の動向に深い関心を寄せていて、現状のままでは民衆の蜂起によって幕府や藩による支配体制が危うくなるとおそれ、現状を打開するには新たな統一国家を樹立しなければならないと考え、倒幕を進める決意をした、というのだ。薩摩藩主が朝廷に提出した長州再征に反対する書面にもとづく見解である。
この見方が一般的かどうかは知らないが、私にとっては意外で、すこし驚かされた。
◎『明治維新』(井上清)
井上清氏の『明治維新』の冒頭は歴史小説のような書き出しだ。鯨海酔侯と自他ともにゆるす山内容堂が、王政復古のクーデター当日の朝、即刻参朝せよとの命令を捨て置いて、憤懣やるかたなく酒を飲んでいるシーンから始まる。
結局、その日の夕方になって山内容堂は参内し王政復古の朝議が始まる。鯨海酔侯・容堂は徳川慶喜も朝議に参加させるべきだと弁ずるも、不退転の決意をもった西郷隆盛の脅し(ぐずぐず言うと暗殺するぞという示唆)に屈し、深夜2時には慶喜に辞官・納地を命ずることを決めた朝議は終わり、王政復古のクーデターは成功する。
井上清氏は、このテロまがいのクーデターを是認し、次のように述べている。
「容堂のような、徳川幕府の名だけを捨てて、実権を温存し、その下に一種の諸藩連立政府を立てるというコースに対決して、徳川家の領地までも奪い、幕府を名実ともに倒すというコースは、この段階において歴史の進歩にそうものであった」
本書では、「倒幕=歴史の進歩」という認識が、前巻以上に色濃く述べられている。井上清氏が王政復古のクーデターを評価するのは、「倒幕派は在郷の豪農商層を通じて、この段階では、まだ一般民衆のエネルギーを利用しようとしていた」と見ているからである。
薩長などの新政府が民衆のエネルギーに沿っている限りにおいては新政府を評価し、民衆のエネルギーを排除したり対峙するシーンでは新政府を批判する、というのが本書のスタンスだ。わかりやすいと言えるが、民衆のエネルギーなるものをどのように見いだすかは多様で、容易ではないと思える。
王政復古のクーデターの後、慶喜のまきかえしなどの面白いシーンが続くが、最終的には西郷隆盛の挑発に幕府が乗せられ、戊申戦争に突入する。この戦争において、幕府側は民衆の支持を得られず、朝廷側は民衆に支持されていた、というのが著者の見解だ。朝廷側の軍事力が下級武士や奇兵隊のような武士でない人々に支えられていたのは確かだが、それが本当に広範な農工商の人たちの支持を集めていたのだろうか。素直には納得できない。少し調べてみたくなる。
戊申戦争までは本書の前段であって、廃藩置県、徴兵令、地租改正、秩禄処分、殖産興業、文明開化などの「ご一新」の解説を経て、征韓論、明治六年十月の政変、民撰議院論などの対立から明治十年の西南戦争に至って本書は終わる。
ノープランのような状態でスタートした新政府は、最初の十年でいろいろなことに手をつけていて、面白い十年だったと思う。この間に一揆も頻発しているが、本書の記述の中心はやはり新政府の動向である。大久保と西郷の確執、木戸の鬱屈が興味深い。
西郷らの征韓論がくつがえされるくだりの記述に面白い箇所がある。すでに採決した征韓論の上奏を待ってくれと三条が西郷に哀願する場面である。
「西郷らもついに明日までのゆうよをみとめた。ああ、この一日がどんなに重大であったことか」
著者の西郷への感情移入が「ああ」から伝わってくる。そんな著者は西郷のライバル大久保も次のように評価している。
「難局に当たってみじんも責任を回避しようとせず、いつでもみずから進んで全責任を負う大久保の政治的責任の強さは、かれの政策に共鳴すると否とを問わず、またかれの人がらに親しむと反撥するとにかかわらず、何人もみとめないわけにはいかないであろう」
そして、大久保、西郷、木戸、板垣、副島らの維新の政治家たちを「自分の主義・主張に忠実で、自分のしたこと、言ったことに最後まで責任をもつという点では、さすがに新国家建設の指導者であった」と高く評価したうえで次のように述べている。
「こういう原則性と責任感が、二代目の伊藤や山縣らにはすでに弱くなり、三代目の昭和の軍人・官僚政治家やいわゆる重臣や政党政治家にいたっては、ほとんどまったくなくなってしまったことろに、日本の悲劇があった」
歴史が進歩せずに退化したような印象を受ける感慨だが、もちろん、井上清氏は、歴史の進歩が明治維新で停止したと見ているわけではない。歴史の進歩が表舞台で顕在化したよう見える明治維新が好きなのだと思う。
中央公論社版『日本の歴史』が出版されたのは半世紀前、私が高校生の頃だった。あの頃、全巻そろえたいなどとは思ってもみなかった。受験のための日本史の教科書と参考書だけでフーフー言っていたのだ。だが、私と同様に理系志望で日本史を受験科目に選択している友人の一人が「受験対策に中央公論の『日本の歴史』を全巻読む」と宣言したので、びっくりした記憶がある。彼が本当に全巻読んだかどうかは知らないが、名門国立大学の工学部に現役合格した。
当時『日本の歴史』は、工学部志望の高校生も手に取るほどの話題のベストセラーだった。執筆者の歴史学者たちが思いがけぬ高額の印税収入に喜んでいるという内容の週刊誌の記事を目にしたこともある。
半世紀前に出た『日本の歴史』は現在も中公文庫で出版されている。その息の長さにはおどろかされる。何冊かはバラで買ったこともあるが、最近、『日本の歴史』全31冊を一括入手した。1960年代に出版されたハードカバー版全31冊五千円という古本屋の価格を見て、置き場所も考えずに購入してしまったのだ。
◎羽仁五郎を師とする二人の学者の著作
そんなわけで、わが書斎の床には『日本の歴史』31冊が積まれている。その中から幕末維新の次の2冊を読んでみた。反薩長モノを理解するには、フツーの概説書にどう書かれているかを知らねば、という当然のことに思い至ったからだ。
『日本の歴史19 開国と攘夷』(小西四郎/中央公論社)
『日本の歴史 20 明治維新』(井上清/中央公論社)
この2冊が半世紀前のベストセラーなのは確かだが、フツーの概説書かどうかは定かではない。小西四郎氏は東大教授(当時)、井上清氏は京大教授(当時)で、ともに師はあの羽仁五郎先生だ。私たちが学生時代に『都市の論理』がベストセラーになった老歴史学者・羽仁五郎は、羽仁進の父親、自由学園創立者・羽仁もと子の娘・羽仁説子の亭主で、怪気炎をあげる左翼老人タレント学者というイメージがある。
その意味で、井上清氏も当時は全共闘支持を表明するちょっと変わった有名左翼学者だった。数年前、井上清氏の『西郷隆盛(上)(下)』(中央公論)を読んだが、著者の個性が感じられる奇書のイメージがある。
いずれにしても、この2冊がマルクス主義的な史観をベースに書かれていることは容易に予想できる。それ自体はいいとも悪いとも言えない。1960年代には、その史観こそがスタンダードだったのかもしれないし、史観に固執するだけで歴史を概説できるわけでもない。
◎『開国と攘夷』(小西四郎)
小西四郎氏の『開国と攘夷』は、1840年(天保11年)のアヘン戦争から1867年12月の王政復古のクーデター開始までを描いているが、ペリー来航まではプロローグで、ペリー来航の1853年(嘉永6年)から1867年(慶応3年)の大政奉還、王政復古クーデターまでの15年間がメインだ。
この15年で世の中は大きく変わり、徳川幕府は瓦解する。何と濃密で慌ただしい15年間だったのだろうと思う。すでに人生を66年やってきた私の感覚では15年はアッという間である。そのわずか15年の間に頻発する出来事・事件の集成によって歴史が大きく変動する。それは、おそらくその時代を生きた当事者たちの予見を超えた変動だったと思う。
小西四郎氏はこの15年を小説のように面白く活写している。随所に著者の「好み」が語られているのも愛嬌だ。著者は坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、久坂玄瑞などが好みだそうだ。何ともポピュラーな幕末の志士ファンに見えるが、幕府側の勝海舟と小栗忠順を傑出した人物と持ち上げ、近藤勇にも一定の評価を与えている。人物評価に関しては全般的に目配りのいいメリハリのある公平さが感じられた。
本書には「民衆」という言葉がかなり出てくる。著者は歴史における民衆の役割、民衆のエネルギーを重視し「歴史における進歩とは、民衆の立場に立つものと、わたしは理解している」と述べている。師・羽仁五郎の「人民史観」に基づくスタンスである。「歴史とは進歩するものだ。その原動力は民衆だ」という考えだ。
私は、そうあってほしいとは思うが、それが正しいかどうかはわからない。過去の歴史を眺めると進歩してきたようには思えるが、そうでない要素があるのも確かだ。まして、この先の歴史がどう進歩するのか、あるいは進歩しないのか、何とも言えない。
もちろん本書は、ペリー来航から王政復古までの15年間の歴史変動の主役が民衆だったという内容ではない。尊王攘夷が民衆と密着していたわけではないし、民衆が幕府を倒したわけでもない。しかし、著者は、幕末の歴史事象の背景で民衆のエネルギーが果たした役割を拾いあげ、尊王攘夷から倒幕にいたる流れを「進歩」ととらえている。
この時代に活躍した人々は、それぞれが自分が正しいと思う理念を抱いていたとは思うが「歴史を進歩させる」といったマクロな方向感覚をもった人はいなかっただろうと私は思う。
安政の大獄における井伊大老の措置を著者が「そう苛酷なものとは思わない」と述べているのが面白い。もちろん、井伊大老を是としているのではなく、徳川幕府は独裁権力で成り立っているとの認識に基づき、その独裁権力を維持するためには当然の措置だという見解である。
著者は幕閣の中にいた開明的で優秀な人々に言及しつつも、大雑把に単純化してしまえば「幕府=悪者=倒されるべき者」という見方に立っているようだ。安政の大獄で弾圧処刑された尊攘志士たちは倒幕論者ではなく幕政改革論者だったとするくだりでは、その時点では「倒幕に到達していなかった」と述べている。
倒幕の立役者である西郷隆盛が倒幕という思想に到達したのは1865年(慶応元年)だそうだ。著者は、その背景には民衆のエネルギーがあったとし、次のように解説している。
西郷隆盛たちは民衆の動向に深い関心を寄せていて、現状のままでは民衆の蜂起によって幕府や藩による支配体制が危うくなるとおそれ、現状を打開するには新たな統一国家を樹立しなければならないと考え、倒幕を進める決意をした、というのだ。薩摩藩主が朝廷に提出した長州再征に反対する書面にもとづく見解である。
この見方が一般的かどうかは知らないが、私にとっては意外で、すこし驚かされた。
◎『明治維新』(井上清)
井上清氏の『明治維新』の冒頭は歴史小説のような書き出しだ。鯨海酔侯と自他ともにゆるす山内容堂が、王政復古のクーデター当日の朝、即刻参朝せよとの命令を捨て置いて、憤懣やるかたなく酒を飲んでいるシーンから始まる。
結局、その日の夕方になって山内容堂は参内し王政復古の朝議が始まる。鯨海酔侯・容堂は徳川慶喜も朝議に参加させるべきだと弁ずるも、不退転の決意をもった西郷隆盛の脅し(ぐずぐず言うと暗殺するぞという示唆)に屈し、深夜2時には慶喜に辞官・納地を命ずることを決めた朝議は終わり、王政復古のクーデターは成功する。
井上清氏は、このテロまがいのクーデターを是認し、次のように述べている。
「容堂のような、徳川幕府の名だけを捨てて、実権を温存し、その下に一種の諸藩連立政府を立てるというコースに対決して、徳川家の領地までも奪い、幕府を名実ともに倒すというコースは、この段階において歴史の進歩にそうものであった」
本書では、「倒幕=歴史の進歩」という認識が、前巻以上に色濃く述べられている。井上清氏が王政復古のクーデターを評価するのは、「倒幕派は在郷の豪農商層を通じて、この段階では、まだ一般民衆のエネルギーを利用しようとしていた」と見ているからである。
薩長などの新政府が民衆のエネルギーに沿っている限りにおいては新政府を評価し、民衆のエネルギーを排除したり対峙するシーンでは新政府を批判する、というのが本書のスタンスだ。わかりやすいと言えるが、民衆のエネルギーなるものをどのように見いだすかは多様で、容易ではないと思える。
王政復古のクーデターの後、慶喜のまきかえしなどの面白いシーンが続くが、最終的には西郷隆盛の挑発に幕府が乗せられ、戊申戦争に突入する。この戦争において、幕府側は民衆の支持を得られず、朝廷側は民衆に支持されていた、というのが著者の見解だ。朝廷側の軍事力が下級武士や奇兵隊のような武士でない人々に支えられていたのは確かだが、それが本当に広範な農工商の人たちの支持を集めていたのだろうか。素直には納得できない。少し調べてみたくなる。
戊申戦争までは本書の前段であって、廃藩置県、徴兵令、地租改正、秩禄処分、殖産興業、文明開化などの「ご一新」の解説を経て、征韓論、明治六年十月の政変、民撰議院論などの対立から明治十年の西南戦争に至って本書は終わる。
ノープランのような状態でスタートした新政府は、最初の十年でいろいろなことに手をつけていて、面白い十年だったと思う。この間に一揆も頻発しているが、本書の記述の中心はやはり新政府の動向である。大久保と西郷の確執、木戸の鬱屈が興味深い。
西郷らの征韓論がくつがえされるくだりの記述に面白い箇所がある。すでに採決した征韓論の上奏を待ってくれと三条が西郷に哀願する場面である。
「西郷らもついに明日までのゆうよをみとめた。ああ、この一日がどんなに重大であったことか」
著者の西郷への感情移入が「ああ」から伝わってくる。そんな著者は西郷のライバル大久保も次のように評価している。
「難局に当たってみじんも責任を回避しようとせず、いつでもみずから進んで全責任を負う大久保の政治的責任の強さは、かれの政策に共鳴すると否とを問わず、またかれの人がらに親しむと反撥するとにかかわらず、何人もみとめないわけにはいかないであろう」
そして、大久保、西郷、木戸、板垣、副島らの維新の政治家たちを「自分の主義・主張に忠実で、自分のしたこと、言ったことに最後まで責任をもつという点では、さすがに新国家建設の指導者であった」と高く評価したうえで次のように述べている。
「こういう原則性と責任感が、二代目の伊藤や山縣らにはすでに弱くなり、三代目の昭和の軍人・官僚政治家やいわゆる重臣や政党政治家にいたっては、ほとんどまったくなくなってしまったことろに、日本の悲劇があった」
歴史が進歩せずに退化したような印象を受ける感慨だが、もちろん、井上清氏は、歴史の進歩が明治維新で停止したと見ているわけではない。歴史の進歩が表舞台で顕在化したよう見える明治維新が好きなのだと思う。
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