ハプスブルク家に感情移入するとヨーロッパ史を見晴らせる ― 2011年01月28日
数十年前の高校生時代に「世界史」の授業は受けた。しかし、受験科目に選択しなかったこともあり、あまり頭に入っていない。特に中世から近代までのヨーロッパ史は頭の中でグチャグチャになっている。国境や国名がゴチャゴチャ変わるうえに似たような人名がゾロゾロ出てきて、ヨーロッパの歴史には朦朧としたモヤがかかっている。
そんなグチャグチャをさらにわかりにくくしているのが「ハプスブルグ家」という固有名詞だ。国や時代を超えて時々出てくるこの怪しげな「家名」が、高校生の私の世界史苦手意識を増大させていた。そもそも、ハプスブルクという名の人物がいないので、誰がハプスブルク家なのだかわからない。
そんな状況が現在まで続いていたが、急にハプスブルク家に関する本を読むことにした。3月に中欧観光旅行に行くことになったからだ。まだ行ったことのないウィーン、プラハ、ブダペストなどを巡る予定だ。これらの都市が「ハプスブルク都市」と呼ばれていることを知り、ハプスブルク家に関する解説書を読まねばと思った。
当初は2冊ぐらいと思っていたが、読み始めるとハマってしまった。表題に「ハプスブルク」という文字のある一般向けの本を次々に買い、2週間足らずで以下の10冊を読んだ。
(1)『図解雑学ハプスブルク家』(菊池良生/ナツメ社)
(2)『図説ハプスブルク帝国』(加藤雅彦/河出書房新社)
(3)『ハプスブルク家』(江村洋/講談社現代新書)
(4)『ハプスブルク家の光芒』(菊池良生/ちくま文庫)
(5)『戦うハプスブルク家:近代の序章としての三十年戦争』(菊池良生/講談社現代新書)
(6)『増補改訂 ハプスブルクの実験:多文化共存を目指して』(大津留厚/春風社)
(7)『ハプスブルク帝国』(大津留厚/山川出版社)
(8)『ハプスブルク家の女たち』(江村洋/ 講談社現代新書)
(9)『ハプスブルク三都物語:ウィーン、プラハ、ブダペスト』(河野純一/中公新書)
(10)『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』(中野京子/光文社新書)
番号は読んだ順番で、大半が読みやすい新書本だ。『増補改訂 ハプスブルクの実験』はハードカバーだが、元・中公新書の改訂版だ。まとめてこれだけの解説本を読むと、頭の中で内容が混ざってきて、大河ドラマのダイジェストを読んだような気分になる。
もともとハプスブルク家についての知識がなくて読んだのだから、驚く知見は多かった。あらためて認識したのは次の2点だ。
(1) ハプスブルク家の歴史の長さ
(2) ハプスブルク家の勢力範囲の広さ
ハプスブルク家の歴史は650年だ。ハプスブルク家発展のきっかけとなったルドルフ1世のドイツ王就任が1273年、日本では鎌倉時代だ。最後の皇帝が退位したのが第1次世界大戦終結時の1918年(大正時代)で、この約650年間、ハプスブルク家は一定の勢力を維持してきたのだ。つまり、ハプスブルク家の皇帝としての歴史は、中世からルネサンスや絶対主義の時代を経て近代までつながっている。さらに、ハプスブルク帝国の遺産は、ソ連崩壊後の現代にまでつながっているとも考えられているのだ。実に長い長い物語である。
ハプスブルク家の地理的広がりも半端ではない。全盛期のスペイン皇帝はハプスブルク家だったから、北米や南米にまでも勢力が広がっていた。ブラジルの皇后もハプスブルクなら、処刑されたメキシコ皇帝もハプスブルクだった。実にワールドワイドである。
これだけの時間的な長さと地理的広がりの歴史を10冊程度の解説本で理解するのは無理な話で、ダイジェストを読んだ気分にしかなれないのはいたしかたない。
しかし、今回の読書で大きな発見があった。ハプスブルク家という1本の筋をたどって歴史を眺めると、あのゴチャゴチャしていたヨーロッパ史の見通しがよくなるという発見だ。
日本で育った私たちは国という単位で歴史を見ようとする。ところが、ヨーロッパの歴史を国という単位で眺めるのは難しい。近代の概念での国家ができたのは比較的最近だし、国境はしょっちゅう変わっている。元々は小さな領土の集積体であり、それに民族や宗教がからんでいるので、何ともとらえ難い。そもそも単なる地名なのか国名なのか判別しにくい固有名詞も多い(ドイツ、イタリアなど)。
国という概念にこだわると全体が見えにくくなるから、国を超えた存在だったハプスブルク家を一本の心棒としてヨーロッパの歴史をたどればいいのだ。ハプスブルク家に感情移入して中世以降の歴史を眺めてみるのである。
早い話が、ハプスブルク家の「皇帝補佐官」にでもなったつもりで、しかも永遠の寿命を与えられたつもりで、それぞれの時代の情況を分析しながら時代の景色を眺めてみると、いろいろな事項が整理されて見晴らしがよくなる。
ハプスブルクは国名ではなく、家族の名にすぎないが、その一家が「王」や「皇帝」という立場で、複数の民族、複数の宗教、複数の国を勢力下に置いているのだ。ハプスブルク家はコスモポリタンだが、その王朝の運営は容易ではない。勢力下に置いていると言っても、完全に支配できているとは言い難いケースも多い。「皇帝補佐官」はタイヘンだ。
勢力下の領土からは国民国家という概念も生まれつつあり、足元がしっかりしているわけではない。王朝の世継ぎの維持にも神経をくだかねばならない。スペインは世継ぎが絶えて、継承戦争に負けてしまった。フランスやイギリスなどのライバルには油断できないし、東にはオスマン・トルコの脅威もある。同じカトリックのローマ教皇も味方とは限らない。
わが皇帝にしても、プロテスタント容認派もいればガチガチのカトリックもいる。英邁な皇帝もいれば愚昧な皇帝もいるし、変人もいる。
多民族王朝ハプスブルクの「皇帝補佐官」としては心休まる暇はなく課題は多い。あれこれ悩みながら「皇帝補佐官」の目で歴史を眺めるといろいろなものが見えてきて、歴史の流れのダイナミズムがつかみやすくなるような気がする。
高校生時代には西洋史をわかりにくくする元凶のように思えたハプスブルク家が、実は西洋史把握のキーとなる射程の長い視点だったのだ。
ハプスブルク家の歴史を読んでいると、ヒトラーの台頭の背景までが見えてくる。西洋史は苦手でも、ヒトラーの時代には興味があり、何冊かは読んでいる。オーストリアで生まれ、リンツやウィーンで青年時代を過ごしたヒトラーが、ドイツで総統になりオーストリアを占領する、という経緯がいまひとつわかりにくかったが、ハプスブルク帝国の歴史を読んで、当時のオーストリアとドイツ(プロイセン)の関係やウィーンにおけるユダヤ人問題がよくわかり、すっきりした。
ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)は多民族共生を謳い、ユダヤ人の居住制限を撤廃していた。皇帝(フランツ・ヨーゼフ1世)の在位60年慶祝パレードの推進者はユダヤ人だった。反ユダヤ主義のルエーガーは、議会でウィーン市長に何度も選出されたが、反ユダヤ思想故に皇帝は就任を拒んだ。しかし、5度目の選出で皇帝も折れる。そのルエーガーたちに感化されたのが失業者ヒトラーだった。
ヨーロッパの民族問題では、冷戦後に勃発した最近のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も私にはわかりにくかった。この問題の淵源もハプスブルク家の歴史から見えてくる。
迂闊にも私は知らなかったが、ソ連崩壊後、ハプスブルク家への関心が高まってきたそうだ。民族自決史観を克服して多民族共存の器を作るため、ハプスブルク家の精神的遺産が見直されているという。興味深い話だ。
そんなグチャグチャをさらにわかりにくくしているのが「ハプスブルグ家」という固有名詞だ。国や時代を超えて時々出てくるこの怪しげな「家名」が、高校生の私の世界史苦手意識を増大させていた。そもそも、ハプスブルクという名の人物がいないので、誰がハプスブルク家なのだかわからない。
そんな状況が現在まで続いていたが、急にハプスブルク家に関する本を読むことにした。3月に中欧観光旅行に行くことになったからだ。まだ行ったことのないウィーン、プラハ、ブダペストなどを巡る予定だ。これらの都市が「ハプスブルク都市」と呼ばれていることを知り、ハプスブルク家に関する解説書を読まねばと思った。
当初は2冊ぐらいと思っていたが、読み始めるとハマってしまった。表題に「ハプスブルク」という文字のある一般向けの本を次々に買い、2週間足らずで以下の10冊を読んだ。
(1)『図解雑学ハプスブルク家』(菊池良生/ナツメ社)
(2)『図説ハプスブルク帝国』(加藤雅彦/河出書房新社)
(3)『ハプスブルク家』(江村洋/講談社現代新書)
(4)『ハプスブルク家の光芒』(菊池良生/ちくま文庫)
(5)『戦うハプスブルク家:近代の序章としての三十年戦争』(菊池良生/講談社現代新書)
(6)『増補改訂 ハプスブルクの実験:多文化共存を目指して』(大津留厚/春風社)
(7)『ハプスブルク帝国』(大津留厚/山川出版社)
(8)『ハプスブルク家の女たち』(江村洋/ 講談社現代新書)
(9)『ハプスブルク三都物語:ウィーン、プラハ、ブダペスト』(河野純一/中公新書)
(10)『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』(中野京子/光文社新書)
番号は読んだ順番で、大半が読みやすい新書本だ。『増補改訂 ハプスブルクの実験』はハードカバーだが、元・中公新書の改訂版だ。まとめてこれだけの解説本を読むと、頭の中で内容が混ざってきて、大河ドラマのダイジェストを読んだような気分になる。
もともとハプスブルク家についての知識がなくて読んだのだから、驚く知見は多かった。あらためて認識したのは次の2点だ。
(1) ハプスブルク家の歴史の長さ
(2) ハプスブルク家の勢力範囲の広さ
ハプスブルク家の歴史は650年だ。ハプスブルク家発展のきっかけとなったルドルフ1世のドイツ王就任が1273年、日本では鎌倉時代だ。最後の皇帝が退位したのが第1次世界大戦終結時の1918年(大正時代)で、この約650年間、ハプスブルク家は一定の勢力を維持してきたのだ。つまり、ハプスブルク家の皇帝としての歴史は、中世からルネサンスや絶対主義の時代を経て近代までつながっている。さらに、ハプスブルク帝国の遺産は、ソ連崩壊後の現代にまでつながっているとも考えられているのだ。実に長い長い物語である。
ハプスブルク家の地理的広がりも半端ではない。全盛期のスペイン皇帝はハプスブルク家だったから、北米や南米にまでも勢力が広がっていた。ブラジルの皇后もハプスブルクなら、処刑されたメキシコ皇帝もハプスブルクだった。実にワールドワイドである。
これだけの時間的な長さと地理的広がりの歴史を10冊程度の解説本で理解するのは無理な話で、ダイジェストを読んだ気分にしかなれないのはいたしかたない。
しかし、今回の読書で大きな発見があった。ハプスブルク家という1本の筋をたどって歴史を眺めると、あのゴチャゴチャしていたヨーロッパ史の見通しがよくなるという発見だ。
日本で育った私たちは国という単位で歴史を見ようとする。ところが、ヨーロッパの歴史を国という単位で眺めるのは難しい。近代の概念での国家ができたのは比較的最近だし、国境はしょっちゅう変わっている。元々は小さな領土の集積体であり、それに民族や宗教がからんでいるので、何ともとらえ難い。そもそも単なる地名なのか国名なのか判別しにくい固有名詞も多い(ドイツ、イタリアなど)。
国という概念にこだわると全体が見えにくくなるから、国を超えた存在だったハプスブルク家を一本の心棒としてヨーロッパの歴史をたどればいいのだ。ハプスブルク家に感情移入して中世以降の歴史を眺めてみるのである。
早い話が、ハプスブルク家の「皇帝補佐官」にでもなったつもりで、しかも永遠の寿命を与えられたつもりで、それぞれの時代の情況を分析しながら時代の景色を眺めてみると、いろいろな事項が整理されて見晴らしがよくなる。
ハプスブルクは国名ではなく、家族の名にすぎないが、その一家が「王」や「皇帝」という立場で、複数の民族、複数の宗教、複数の国を勢力下に置いているのだ。ハプスブルク家はコスモポリタンだが、その王朝の運営は容易ではない。勢力下に置いていると言っても、完全に支配できているとは言い難いケースも多い。「皇帝補佐官」はタイヘンだ。
勢力下の領土からは国民国家という概念も生まれつつあり、足元がしっかりしているわけではない。王朝の世継ぎの維持にも神経をくだかねばならない。スペインは世継ぎが絶えて、継承戦争に負けてしまった。フランスやイギリスなどのライバルには油断できないし、東にはオスマン・トルコの脅威もある。同じカトリックのローマ教皇も味方とは限らない。
わが皇帝にしても、プロテスタント容認派もいればガチガチのカトリックもいる。英邁な皇帝もいれば愚昧な皇帝もいるし、変人もいる。
多民族王朝ハプスブルクの「皇帝補佐官」としては心休まる暇はなく課題は多い。あれこれ悩みながら「皇帝補佐官」の目で歴史を眺めるといろいろなものが見えてきて、歴史の流れのダイナミズムがつかみやすくなるような気がする。
高校生時代には西洋史をわかりにくくする元凶のように思えたハプスブルク家が、実は西洋史把握のキーとなる射程の長い視点だったのだ。
ハプスブルク家の歴史を読んでいると、ヒトラーの台頭の背景までが見えてくる。西洋史は苦手でも、ヒトラーの時代には興味があり、何冊かは読んでいる。オーストリアで生まれ、リンツやウィーンで青年時代を過ごしたヒトラーが、ドイツで総統になりオーストリアを占領する、という経緯がいまひとつわかりにくかったが、ハプスブルク帝国の歴史を読んで、当時のオーストリアとドイツ(プロイセン)の関係やウィーンにおけるユダヤ人問題がよくわかり、すっきりした。
ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)は多民族共生を謳い、ユダヤ人の居住制限を撤廃していた。皇帝(フランツ・ヨーゼフ1世)の在位60年慶祝パレードの推進者はユダヤ人だった。反ユダヤ主義のルエーガーは、議会でウィーン市長に何度も選出されたが、反ユダヤ思想故に皇帝は就任を拒んだ。しかし、5度目の選出で皇帝も折れる。そのルエーガーたちに感化されたのが失業者ヒトラーだった。
ヨーロッパの民族問題では、冷戦後に勃発した最近のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も私にはわかりにくかった。この問題の淵源もハプスブルク家の歴史から見えてくる。
迂闊にも私は知らなかったが、ソ連崩壊後、ハプスブルク家への関心が高まってきたそうだ。民族自決史観を克服して多民族共存の器を作るため、ハプスブルク家の精神的遺産が見直されているという。興味深い話だ。

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