国民国家成立前の時代を描いた『オスマン帝国500年の平和』 ― 2021年04月26日
オスマン帝国にはエキゾチックな敵役というイメージがある。コンスタンティノープル陥落やウィーン包囲の印象が強く、スルタンとハレムのトプカピ宮殿の姿が思い浮かび、自分のなかの西欧中心史観を自覚する。
先日読んだ『世界史との対話(中)』の「第36講 オスマン帝国の栄光と黄昏」には、私の知らないオスマン帝国の姿が描かれていて、次の指摘があった。
《昔の世界史教科書は「オスマン・トルコ」と呼んでいました。でも彼らはトルコ人の国であるという自覚はなかったので、この呼び方は間違っています。》
まさに私は、オスマン・トルコと覚えた世代である。西欧史の敵役、イスラム史の脇役といった、ぼんやりした断片的イメージしかないオスマン帝国の姿を少しクリアにしようと思い、次の本を読んだ。
『オスマン帝国500年の平和 (興亡の世界史)』(林佳世子/講談社学術文庫)
本書は私にとって非常に新鮮だった。トルコ人の国、イスラムの国という見方がいかに間違っているかがわかった。他の宗教に寛容だったイスラム教とキリスト教(ギリシア正教、アルメニア教会など)などとの関係が具体的に見えてきた。また、この帝国は多様な「民族」から構成されていたこともわかった。著者はオスマン帝国を「何人(なにじん)の国でもなかった」と表現している。
オスマン帝国(当初はオスマン侯国)は14世紀前半に誕生し、滅亡したのは第一次世界大戦後の1922年である。約600年続いた帝国だが、本書のタイトル「500年の平和」は14世紀から18世紀までを指し、それが本書の主な対象であり、19世紀以降の近代100年は簡略に触れているだけだ。
オスマン帝国の領土は現在のトルコよりはるかに広く、バルカン半島からシリア、エジプトまでを含んでいる。そんな帝国の命脈が続いたのは18世紀までであり、それ以降は国の姿や体制が大きく変化している。
本書の冒頭で著者は、なぜトルコ人だけが「何人(なにじん)の国でもなかった」オスマン帝国の末裔とされたか、その経緯を述べている。バルカンやアラブの人々は、歴史のある段階でオスマン帝国と敵対して建国したので自らをオスマン帝国の末裔と位置づけることを拒否した。事情はトルコ共和国も同じで「トルコ人の国」ではなかったオスマン帝国の否定からスタートしている。と言うものの、近代の帝国末期には「トルコ人の国」のような形に縮小していたので、トルコ共和国がオスマン帝国の末裔役を引き受けることになったそうだ。
こんな事情は、近代が国民国家なるものを生み出したせいである。国民国家の課題を考えるにはオスマン帝国は興味深い研究対象だと知った。私には、それが本書の大きな収穫だった。
本日(2021年4月26日)の朝刊に、バイデン米大統領の声明にトルコのエルドアン大統領が反発したとのニュースが載っていた。オスマン帝国末期に起きたアルメニア人迫害を、米国が「ジェノサイド」と認定したことへの反発である。トルコ共和国がオスマン帝国の末裔を引き受けていることをあらためて認識した。近代が生み出した国民国家と民族問題は21世紀の大問題である。
先日読んだ『世界史との対話(中)』の「第36講 オスマン帝国の栄光と黄昏」には、私の知らないオスマン帝国の姿が描かれていて、次の指摘があった。
《昔の世界史教科書は「オスマン・トルコ」と呼んでいました。でも彼らはトルコ人の国であるという自覚はなかったので、この呼び方は間違っています。》
まさに私は、オスマン・トルコと覚えた世代である。西欧史の敵役、イスラム史の脇役といった、ぼんやりした断片的イメージしかないオスマン帝国の姿を少しクリアにしようと思い、次の本を読んだ。
『オスマン帝国500年の平和 (興亡の世界史)』(林佳世子/講談社学術文庫)
本書は私にとって非常に新鮮だった。トルコ人の国、イスラムの国という見方がいかに間違っているかがわかった。他の宗教に寛容だったイスラム教とキリスト教(ギリシア正教、アルメニア教会など)などとの関係が具体的に見えてきた。また、この帝国は多様な「民族」から構成されていたこともわかった。著者はオスマン帝国を「何人(なにじん)の国でもなかった」と表現している。
オスマン帝国(当初はオスマン侯国)は14世紀前半に誕生し、滅亡したのは第一次世界大戦後の1922年である。約600年続いた帝国だが、本書のタイトル「500年の平和」は14世紀から18世紀までを指し、それが本書の主な対象であり、19世紀以降の近代100年は簡略に触れているだけだ。
オスマン帝国の領土は現在のトルコよりはるかに広く、バルカン半島からシリア、エジプトまでを含んでいる。そんな帝国の命脈が続いたのは18世紀までであり、それ以降は国の姿や体制が大きく変化している。
本書の冒頭で著者は、なぜトルコ人だけが「何人(なにじん)の国でもなかった」オスマン帝国の末裔とされたか、その経緯を述べている。バルカンやアラブの人々は、歴史のある段階でオスマン帝国と敵対して建国したので自らをオスマン帝国の末裔と位置づけることを拒否した。事情はトルコ共和国も同じで「トルコ人の国」ではなかったオスマン帝国の否定からスタートしている。と言うものの、近代の帝国末期には「トルコ人の国」のような形に縮小していたので、トルコ共和国がオスマン帝国の末裔役を引き受けることになったそうだ。
こんな事情は、近代が国民国家なるものを生み出したせいである。国民国家の課題を考えるにはオスマン帝国は興味深い研究対象だと知った。私には、それが本書の大きな収穫だった。
本日(2021年4月26日)の朝刊に、バイデン米大統領の声明にトルコのエルドアン大統領が反発したとのニュースが載っていた。オスマン帝国末期に起きたアルメニア人迫害を、米国が「ジェノサイド」と認定したことへの反発である。トルコ共和国がオスマン帝国の末裔を引き受けていることをあらためて認識した。近代が生み出した国民国家と民族問題は21世紀の大問題である。

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