往年の井上ひさしの姿を綴った古書を読んだ ― 2022年09月07日
先月、こまつ座公演『頭痛肩こり樋口一葉』を23年ぶりに観た。その折に23年前の公演パンフを探し出し、今回の公演パンフと読み比べていて、こまつ座の代表が井上都から井上麻矢に変わっているのに気づいた。
38年前、井上ひさしが当時の妻・好子と共に立ち上げたのがこまつ座で、社長として活躍する井上好子の名はメディアでよく目にした。数年後の1986年、二人の離婚がテレビや週刊誌で大きく報じられた。あのとき妻は劇団を去り、娘がこまつ座社長になったと聞いていた。それが現在まで継続していると思っていたが、その後、別の娘に交代したようだ。
ネット検索してみると、2009年に長女から三女に社長が代り、翌2010年に井上ひさしは逝去している。そのとき、井上ひさしは長女・次女とは絶縁状態で彼女らは葬儀にも参列できなかったそうだ。「なにがあったのだ」とのミーハー的野次馬精神で、元妻と三女の次の本を古書で入手して読んだ。
『表裏井上ひさし協奏曲』(西館好子/牧野出版/2011.9)
『激突家族:井上家に生まれて』(石川麻矢/中央公論社/1998.6)
元妻による『表裏…』は井上ひさし逝去翌年の本で、逝去前後の娘たちの経緯にも簡単に触れている。三女による『激突…』は彼女がこまつ座に関わる以前の本なので、劇団への言及はあまりない。
この二冊を読むと井上ひさしという作家を中心に展開する異様な情景が伝わってきて、びっくりする。こまつ座の社長交代などへの関心は薄れ、作家という生き方の壮絶さに圧倒される。
娘の本より元妻の『表裏…』の方がはるかに面白い。作家への距離が最も近い人の回想記だから生々しい。「協奏曲」というよりは「狂騒曲」である。巻末には長女・井上都による「おわりもはじまり 父と母、そして私」という文章も収録している。三女の回想記『激突…』は、過激で過剰な両親に呆然としつつも、自身の道をしたたかたに生きていく様を綴っている。
このテの本には自己肯定バイアスがかかりやすいとは思うが、作家・井上ひさしが身内に見せた姿が興味深い。どんな人間にも外面と内面があるのは当然である。元妻も娘たちも、作家の身勝手に振り回されつつも、結局は元夫・父である「作家」を高く評価しているように見える。
『表裏…』には、不倫中の著者が講談社、新潮社、文藝春秋の重役に招かれた慰労会シーンがある。「離婚はダメ。悪妻に徹して作家を支えてくれ」と懇願されるのである。「作家は生活者ではない。その精神の一部はまるで幼児」「作家の場合は狂気なほど世の中が忘れない」などの発言もある。また、スキャンダルを起こしても三社から出版される本や雑誌が二人(作家と妻)を悪く書くことはない、という保証までしている。30年ほど昔の話である。
かつて、作家は出版社の収益を生み出すスターだった。いまは、どうなのだろうか。
38年前、井上ひさしが当時の妻・好子と共に立ち上げたのがこまつ座で、社長として活躍する井上好子の名はメディアでよく目にした。数年後の1986年、二人の離婚がテレビや週刊誌で大きく報じられた。あのとき妻は劇団を去り、娘がこまつ座社長になったと聞いていた。それが現在まで継続していると思っていたが、その後、別の娘に交代したようだ。
ネット検索してみると、2009年に長女から三女に社長が代り、翌2010年に井上ひさしは逝去している。そのとき、井上ひさしは長女・次女とは絶縁状態で彼女らは葬儀にも参列できなかったそうだ。「なにがあったのだ」とのミーハー的野次馬精神で、元妻と三女の次の本を古書で入手して読んだ。
『表裏井上ひさし協奏曲』(西館好子/牧野出版/2011.9)
『激突家族:井上家に生まれて』(石川麻矢/中央公論社/1998.6)
元妻による『表裏…』は井上ひさし逝去翌年の本で、逝去前後の娘たちの経緯にも簡単に触れている。三女による『激突…』は彼女がこまつ座に関わる以前の本なので、劇団への言及はあまりない。
この二冊を読むと井上ひさしという作家を中心に展開する異様な情景が伝わってきて、びっくりする。こまつ座の社長交代などへの関心は薄れ、作家という生き方の壮絶さに圧倒される。
娘の本より元妻の『表裏…』の方がはるかに面白い。作家への距離が最も近い人の回想記だから生々しい。「協奏曲」というよりは「狂騒曲」である。巻末には長女・井上都による「おわりもはじまり 父と母、そして私」という文章も収録している。三女の回想記『激突…』は、過激で過剰な両親に呆然としつつも、自身の道をしたたかたに生きていく様を綴っている。
このテの本には自己肯定バイアスがかかりやすいとは思うが、作家・井上ひさしが身内に見せた姿が興味深い。どんな人間にも外面と内面があるのは当然である。元妻も娘たちも、作家の身勝手に振り回されつつも、結局は元夫・父である「作家」を高く評価しているように見える。
『表裏…』には、不倫中の著者が講談社、新潮社、文藝春秋の重役に招かれた慰労会シーンがある。「離婚はダメ。悪妻に徹して作家を支えてくれ」と懇願されるのである。「作家は生活者ではない。その精神の一部はまるで幼児」「作家の場合は狂気なほど世の中が忘れない」などの発言もある。また、スキャンダルを起こしても三社から出版される本や雑誌が二人(作家と妻)を悪く書くことはない、という保証までしている。30年ほど昔の話である。
かつて、作家は出版社の収益を生み出すスターだった。いまは、どうなのだろうか。
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