十数年前に買った『青春の終焉』をついに読了2017年08月08日

『青春の終焉』(三浦雅士/講談社)、朝日新聞夕刊(2017年7月26日)
◎新聞記事がきっかけで…

 十数年前に購入して書架の片隅で眠っていた『青春の終焉』(三浦雅士/講談社)を読んだ。

 きっかけは先月(2017年7月26日)の朝日新聞夕刊に載っていた「時代のしるし」という記事だ。三浦雅士氏が2001年刊行の『青春の終焉』について語ったインタビュー記事で、『「若さ」を軸に解いた社会と文学』という見出しがついている。

 この記事を読み、未読で気がかりのまま十数年が経過していたた本書に取り組む気になった。読み始めてみると、想定したほどに固い内容ではなく、比較的短時間で面白く読了できた。

◎サブタイトルは「1960年代試論」

 本書には「1960年代試論」というサブタイトルが付されている。しかし、表紙や扉にサブタイトルの表記はなく、目次の前のページに表記されているだけだ。冒頭の「はしがき --- 1960年代か?」で、サブタイトルへの言及がある。要は、本書の背景には「1960年代試論」という必然的目論見があるが、本書全体は1960年代論ではない、そういうことのようだ。

 1948年生まれの私にとって、学生として生きた1960年代の記憶は鮮明で、思い入れのある時代だ。著者の三浦雅士氏は私より2歳上の1946年生まれ、若くして異能の編集者と呼ばれ、30代に『私という現象』でデビューした評論家である。30年以上前に『私という現象』を読んで感心した記憶があり、ほぼ同世代の三浦雅士氏が1960年代を語るなら面白くなりそうだと期待して読み始めた。

◎「当たり前」を否定する奇説

 どんな人にも青春はあり、齢を重ねれば終わる --- それはいつの時代にも繰り返されてきた当たり前のことに思える。その「当たり前」を否定し、「青春」とは18世紀に発生し1960年代に終焉した特殊な現象だとするのが本書の主張である。驚くべき奇説だ。読む前からそんな主旨の本だとは了解してたが、どんな論理展開で読者を説得するのか興味があった。

 本書は全15章に「はしがき」と「あとがき」がついて484ページの長編評論である。やや厚い本ではあるが、冒頭の「はしがき」と最初の章「青春の終焉」を読めば主張のあらましは把握できる。後の章は材料を変えた変奏曲で、繰り返し感がある。しかし、退屈はしない。多様な作家や思想家の作品を援用しながら手を変え品を変えの知的力業には感心する。名人芸を観ているようだ。

 「青春という現象」とはブルジョア階級の勃興によって18世紀ヨーロッパに発生した。それは「青春という病」とも言えるもので、伝染病のようにロシア、日本、中国に伝播し、19世紀から20世紀の思想・文学を席巻し、1960年代に終焉した.。そんな主張を裏付けるために動員された小説・評論家の数はおびただしい。

 本書に登場する主な作家・評論家・思想家の一部を羅列すると、小林秀雄、三島由紀夫、中村光夫、大岡昇平、江藤淳、平野謙、夏目漱石、柳田国男、本多秋五、ドストエフスキイ、バフチン、太宰治、吉本隆明、花田清輝、山崎正和、小田切秀雄、色川大吉、吉田健一、丸谷才一、石川淳、坪内逍遥、滝沢馬琴、大田南畝、吉川英治、唐木順三、和辻哲郎、ニーチェ、ヘーゲル、マルクス、サルトル、フーコー、レヴィストロース、川端康成、石原慎太郎、村上龍、村上春樹、ルカーチ、ベルジャーエフ、大江健三郎、廣松渉、谷川俊太郎、ベンヤミン、手塚治虫などなどで、言及されている固有名詞はこれに倍する。

 もちろん私は本書で言及されている作品の大半を読んでいないし、人生の残りも少ないのでそれらに手を伸ばすことはないだろう。

◎文学史+思想史+出版業史

 『青春の終焉』におびただしい固有名詞が登場するのは、著者が編集者的手腕で18世紀以降の文学史・思想史の一種の整理・総括を試みているからである。それが文学史・思想史にとどまらず出版業史にもなっているところが興味深い。『朝日ジャーナル』の変遷、講談社と岩波書店の役割分担、かつて流行した文学全集各巻への作家の割り当ての変遷、文学全集の編集に誰が関わっていたかなど、面白い視点だ。

◎馬琴に一章

 また、本書で少々異様に感じたのは滝沢馬琴が大きく取り上げられていることだ。分量としてはドストエフスキイと同格だ。

 作者は「馬琴の影」という一章を費やして『南総里見八犬伝』が青春の書である論証を試みている。そして、江戸と明治の文学に断絶を観るのではなく連続を観るべきだと主張している。私は、政治や文化に関しては同様のことを感じていながら、近代文学は明治に始まったと思い込んでいたので、蒙を啓かれた気がした。

◎私の青春が終わっているのは確かだが…

 本書を読了して、18世紀に発生した「青春」が1960年代の終わったという著者の主張を十分に理解・納得できたわけではなく、強引な展開に思えるところもあった。

 しかし、現代の状況をあらためて把握できた気分にもなった。1948年生まれの私は、私たちが若い頃(1960年代だ!)に熱中したアレヤコレヤ(本、etc)に21世紀の若い人たちが無関心なことに軽い苛立ちを覚えていた。それは、古代から現代に至るいつの時代にも繰り返されてきた「いまの若者は…」という嘆き、ありふれた世代間確執に思えていた。だが、本書の主張が正しければ、そんなに普遍的なものではなく、1960年代に青春とその終焉を体験した私たち世代だけが感じる大きな段差ということになる。本当だろうか。自分だけが特殊だと思い込むのはまさに「青春という病」の症例だと思われるが…。

ヘンテコな小説が新たにヘンテコな映画に……『美しい星』2017年08月11日

『美しい星』映画のチラシと単行本
 今年5月に封切られた映画『美しい星』(監督・吉田大八)をキネカ大森で観た。封切り時に観ようと思いつつ2カ月以上が経過し、東京ではこの小さな映画館で夜だけの上演になっていた。上演状況を見ると興行的にはイマイチなのかもしれない。

 私が三島由紀夫の『美しい星』(新潮社)を読んだのは半世紀前の高校生の頃だ。SF少年だった私は、『金閣寺』に圧倒されてもいたので、純文学のスター作家のSFということで身構えて読んだ。読み始めてすぐ、これは通常のSFではなく思弁小説だと了解した。ヘンテコなものを読んだという読了時の印象だけが残り、月日の経過とともに内容の大半は失念した。

 今回、映画を観るのに先立って小説を半世紀ぶりに再読した。その読後感は10代の時とさほど変わらないと思う(記憶が霞んでいるので確言できない)。

 文体は格調高くて思わせぶりだが、登場人物の多くはどこか卑小で、カラマーゾフの大審問官を彷彿させる大議論のシーンもパロディに見えてくる。フルシチョフ、ケネディ、池田勇人など当時の政治家の固有名詞が出てくるアップ・ツー・デートな小説でもある。作者はややコミカルで軽薄とも思われる線を狙っていたようにも思える。

 この小説には三島由紀夫という固有名詞も登場する。白鳥座61番星という「不吉な」星を故郷とする悪役一行が歌舞伎座の十一代團十郎襲名披露興行の「暫」や「勧進帳」を観劇する。続いて上演される三島由紀夫の新作については「こんな小説書きの新作物なんか見るに及ばない」と言って席を立って銀ブラをするのだ。作家が楽しんで書いている。

 そんな具合に肩を抜いた通俗に見せながら、作家の抱いている暗い哲学を潜り込ませているようなので、やっかいでヘンテコな小説なのだ。

 映画を観るために小説を再読し、あらためてこの小説の映画化は容易でないと感じた。そして、どんな映画になっているのか興味が高まった。

 映画は時代設定を現代に移行させ、原作では大学教授風の高等遊民だった主人公をテレビの気象予報士に変えている。だから、冒頭からの展開は原作からはかけ離れていて、三島由紀夫の世界とは別の物語を観ている気分になった。

 映画の展開はどんどんヘンテコになっていくが、それは小説から受けたヘンテコさとは異質に思えた。脈絡をつかみにくい、わけのわからないヘンテコさなのだ。にもかかわらず、映画が進行するに従って映画の世界が三島由紀夫世界に次第に近づいていくように感じられた。

 映画はコミカルでシュールでわかりにくい箇所もある。観終えて、この映画は1962年を舞台にした原作のヘンテコさを2017年を舞台に再現したものだと思え、小説と映画は通底していると感じられた。小説もコミカルでシュールだったと気づいたのだ。

 「ヘンテコ」とは、にわかには面白いかつまらないかの判断ができず、解釈が難しく評価困難ということであり、咀嚼に時間がかかるということでもある。軽薄さと重厚さ、フィジカルとメタフィジカルをほぼ同じ比重で表現するからこんな作品になる。わかりやすさを目指していないので読み解くのは大変だ。

 三島由紀夫は『美しい星』執筆後、ドナルド・キーン宛ての手紙で「これは実にへんてこりんな小説なのです。しかしこの十ヶ月、実にたのしんで書きました」と述べているそうだ。この映画の監督・吉田大八も「実にへんてこりんな映画を作りました」とだれかに語っているのかもしれない。

司馬遼太郎の『城塞』『覇王の家』で家康像を探る2017年08月21日

司馬遼太郎の『城塞』『覇王の家』で家康像を探る
 先月、『関ヶ原』(司馬遼太郎)、『影武者徳川家康』(隆慶一郎)を読んだので、その印象が残っているうちに家康関連の歴史小説を読んでおこうと思い、次の2編を読んだ。

 『城塞(上)(中)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)
 『覇王の家(上)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)

 『城塞』は関ヶ原後の大阪冬の陣・夏の陣、『覇王の家』は家康そのものを描いた小説である。

 元来、私は徳川家康にさほどの関心はなく、老獪なタヌキ親父という通俗的イメージと「経営者のアイドル」という胡乱なイメージを持っていただけだ。私が十代の頃(半世紀前)、山岡壮八の『徳川家康』という長大な小説(現在、文庫本26巻になっている)が「経営者の指南書」としてブームになった。私はその現象を冷ややかに眺め、若者には無縁の本だと思っていた。

 つい最近、大学時代の友人と飲んでいて、私と関心領域が重なっていると感じていた理系の彼が高校時代に山岡壮八の『徳川家康』を読破していたと知った。驚愕・感心すると同時に人間の多様性とおのれの狭量を再認識した。

 『関ヶ原』を読んだとき、国民作家・司馬遼太郎が家康を権謀術数のイヤな人物に描いているのを少し意外に思った。狡猾な人物という印象だけが残り、「経営者のアイドル」という要素が感じられなかったからだ。『城塞』と『覇王の家』で司馬遼太郎が家康をどう観ているか再確認したいと思った。

 『城塞』の家康のイメージは『関ヶ原』と連続した老獪なタヌキ親父だった。だが、『覇王の家』の家康像はやや異なっている。律義な合理主義者でありながら狂気を帯びることもあったと述べられている。家臣を無条件で信頼するという美徳を持っていたという指摘や「人のあるじ」であることの不自由さを自覚し、自分をそんな存在だと規制していたとの見解も示されている。これらは「経営者の指南書」につながるかもしれない。

 ちなみに、これらの作品の発表年は『関ヶ原』が1966年、『城塞』が1972年、『覇王の家』が1973年である。作者の家康観が年とともに変化したわけではなく、作品のスタイルによって叙述の視点や濃淡が異なっているのだと思われる。

 『関ヶ原』と『城塞』は、「関ヶ原の戦い」「大阪冬の陣・夏の陣」という大事件を巡って蠢く人々の人間ドラマであり、主人公らしき人物はいるものの基本的には群像劇だ。そこに作者の多様な人物論がおりこまれている。『覇王の家』は家康の生涯を検証しながら、その後幕末までの時代精神も俯瞰しようとした史談である。物語としての面白さは『関ヶ原』『城塞』にあり、歴史を鳥の目で見る妙味は『覇王の家』にある。

 司馬遼太郎は『覇王の家』において家康の「農民性」「閉鎖性」「独創性のなさ」などを指摘し、それがその後の日本の気風を形成したとみなしている。次のような記述もある。

 「信長や秀吉は貨幣経済に力点を置き、さらに国家貿易を考え、国家そのもを富ましめようとしたが、家康の経済観は地方の小さな農村領主の域から一歩も出ず、結局この家康の思想が徳川政権のつづくかぎりの財政体質になり、財政の基礎を米穀に置きつづけるようになり、勃興してくる商業経済に対抗するのにひたすら節約主義をもってし、そのまま幕末までつづく。」

 「徳川幕府は、進歩と独創を最大の罪悪として、三百年間、それを抑制しつづけた。あらたに道具を発明する者があればそれを禁じ、新説に対しては妖言・異説としてそれを禁じた。異とは独創のことである。異を立ててはならないというのが徳川幕府をつらぬくところの一大政治思想であり、そのもとはことごとく家康がつくった。家康の性格がそうさせたものとみていい。」

 手厳しい見解である。どこまで当たっているか、私には判断できない。家康の影響も大きかったろうが、それに対抗する精神活動も育まれたのではなかろうかとも思えるのだが…。

 『覇王の家』はやや尻切れトンボの小説である。家康誕生以前の三河の情況概説から始まり、小牧・長手久の事後処理の家康45歳までが語られ、次の章はいきなり「その最期」というタイトルで、74歳で家康が没する場面になる。没するまでの30年間(その間に家康の関東入国、秀吉逝去、関ヶ原、大阪の陣など大事件が続く)はバッサリと省略されている。『関ヶ原』『城塞』と重複するから飛ばしたのだろうか。45歳までで家康像は語り尽くせたと作者が判断したのかもしれない。

 いずれにしても『関ヶ原』『城塞』『覇王の家』と続けて読んだのは正解だったと密かに自己満足した。

野菜高騰のニュースに安堵2017年08月24日

 今年の7月は猛暑だったが8月は雨の日が続いた。天候不順で野菜が高騰しているそうだ。そんなニュースに接すると、多くの人は不安を感じるだろうが、私は不謹慎ながら不安ではなく安堵感を得た。

 もちろん私も野菜の高騰は歓迎しない。新鮮な安い野菜が豊富に市場に出まわることを期待している。にもかかわらず野菜高騰に安堵したのは、わがささやかな畑の作物が例年になく不作で、手抜き農作業の報いかと思い悩んでいたからだ。天候に責任転嫁できるなら、まずは一安心である。

 八ヶ岳南麓の山小屋の庭で野菜を作り始めて8年目になる。月1~2回しか行けないので、ダメモト気分で始めた。毎年そこそこに収穫できていたので、こんなものかと慢心していたのだが、今年は大半の作物が不作だった。

 7月中旬に収穫したジャガイモはまずまずだったが、カボチャやナスはイマイチで、インゲンは収穫量が減った。トウモロコシの大半は実が十分につかず、キュウリは枯れてしまった

 不作を認識したときは、土のせいだろうかと考えた。連作障害を避けるため、毎年植える場所を変えてはいるが、教科書では「2~3年は避ける」とあるのに1年おくだけで植えたりしている。ヤリクリがつかず面倒くさいからだ。施肥もかなりいいかげんだ。だから、来年は少し慎重に土壌改良を検討しなければならないかと考え、ちょっとうんざりしていた。だが、天候のせいならば手抜き農作業を継続できそうだ。

 そんなわけで、先日、キュウリとトウモロコシをすべて抜いて、その跡地に適当に施肥してダイコンの種を植えた。

歴史小説の補完に歴史概説書『江戸開府』を読む2017年08月26日

『日本の歴史13 江戸開府』(辻達也/中央公論社)
◎家康・秀忠・家光の50年史

 『関ヶ原』(司馬遼太郎)を皮切りに家康関連の歴史小説(『影武者徳川家康』『城塞』『覇王の家』を続けて読み、これを機に小説ではない歴史書で史実のあらましを掴んでおこうという気分になり、次の本も読んでみた。

  『日本の歴史13 江戸開府』(辻達也/中央公論社)

 半世紀前に出版されたベストセラー歴史叢書の1冊だ。古い本だが、最近の学説を知りたいという大それた動機はなく、300年以上昔の出来事の概要を知るには十分だと思った。

 この巻はおおむね関ヶ原から家光死去までのの50年、つまり家康・秀忠・家光の徳川三代50年を幕政中心に叙述している。50年というのは本書が刊行されてから現在までの時間とほぼ同じであり、68歳になった私から見れば長くもあり短くもある時間で、1巻の歴史概説書に収めるには手ごろな時間に思える。

◎やはり家康は狸親父

 小説でないにもかかわらず、本書を読み終えると江戸開府50年に歴史ドラマを感じた。小説のネタになりそうなドラマチックなあれこれが散りばめれている。本書の前半は大阪の陣までで、大きな出来事はそこまでのように思えるが、その後の約20年間の出来事も興味深い。

 本書のメイン登場人物はやはり家康であり、著者の家康像は「狸親父」に近い。家康が狸親父といわれたのは、家康73歳のときの大阪の陣での狡猾なやりかたに由来するそうだが、その50年前、家康23歳のときの三河一向一揆への対応で「その狸ぶりは遺憾なく発揮されている」と著者は指摘している。また、家康の性格を示す「忍」は忍耐であるとともに残忍の忍であるとも述べている。

 家康の多大な業績を評価した上での寸評だが、家康はやはり嫌われキャラだ。

◎普遍的な「文吏派 vs 武功派」

 本書で面白く思ったのは、石田三成と本多正信・正純が類似しているとの指摘だ。石田三成は豊臣家の文吏派で武功派の加藤清正、福島正則らから嫌われ、豊臣家の武功派が家康に与したために関ヶ原で敗れた。本多正信・正純の親子は家康と秀忠のブレーンで、いわば徳川家の文吏派である。彼らは関ヶ原や大阪の陣で徳川を勝利に導いた功労者だが、その後失脚する。

 秀吉の近習である武功のない三成が赫々たる武功のある家臣から嫌われ、家康・秀頼の近習だった本多正信・正純が徳川家の古くからの家臣から嫌われる…確かに似た構造だ。

 著者は三成に対する武功派の反発を中央専制指向への抵抗と見ている。天下一統は中央専制だが家康を含む武将たちはそれに抵抗したのだ。納得できる見解だ。

 三成らの中央専制に反発した家康も関ヶ原以降は専制的中央政権指向になる。自分が「中央」になったのだから当然だ。そして幕政の基礎固めを始める。この段階で本多正信が逝去し正純が失脚したのは、個人の時代から組織の時代へと移行したからだと著者は説明している。ナルホドと思った。

 権力者に近いブレーンと実績を積み上げてきた現場との対立は現代の企業にも見られる普遍的構造に見える。オーナー社長の世代交代の際には周辺を巻き込んだドラマが発生することも多い。そこには妬みなどの心理的理由を超えたさまざまな内実がある。江戸開府の頃の歴史を読みながら、歴史は人間ドラマの繰り返しだという感が強まった。

◎現代の「かぶき者」は…

 本書の末尾近くに「かぶき者」に関する記述があり、次のように書かれている。

 「現今でいえば、先年流行した太陽族とか、近ごろ話題となったみゆき族など、さしずめ「かぶきたる体」である。」

 1966年3月刊行の時代を感じさせる例えで、私は非常に面白く読んだ。私の世代にはわかりやすいが21世紀の若い人に伝わるだろうか。

 1950年代の「太陽族」や1960年代の「みゆき族」を現代の何に置き換えればいいのか考えてみたが思い浮かばない。「かぶき者」がいない時代になったのか、私がすでに時代から取り残されて現状を把握できないのか、どちらなのかよくわからない。

オランダのハイテク農業の記事を読み日本の出遅れを憂う2017年08月30日

 NATIONAL GEOGRAPHIC 日本語版2017年9月号に「オランダが救う世界の飢餓」という記事が載っていた。狭い国土でハイテク農業を展開しているオランダ農業の紹介記事だ。

 農地が少ないオランダはITなどのハイテクを駆使した植物工場によって、米国に次ぐ世界第2位の農産物輸出国になっている。それをテレビ番組で知ったのは5年程前だ。まさに日本の農業が目指すお手本だと興味をもち、関連記事や関連書籍を読んだ。その後もIT活用の植物工場のニュースには注目しているが、あまり報道されることはない。日本の植物工場の多くはコスト高の課題を考えているらしい。種物工場なら、今般の天候異変のような影響も受けにくいはずなのだが。

 私が植物工場に興味をもったのは、八ヶ岳南麓の山小屋の庭でささやかな素人野菜作りをしていることにも関連する。私は決して土いじりが好きなわけではなく、畑仕事は面倒で大変な作業だと実感している(だから手抜きにもなるのだ)。趣味を超えた産業としての野菜作りには技術革新が必要だと痛感している。

 これからの農業が先端産業になる可能性に着目している人は多く、さまざまな試みが展開されているのは確かだ。農政の制約のせいか否かはわからないが、日本の農業のハイテク化がオランダに匹敵するような状態にまで進展しているとは思えない。残念である。

 農業問題の本質とはズレるが、植物工場ががコスト高なら、家庭菜園用のコンパクトな植物工場キットを売り出してはと思う。元来、家庭菜園は新鮮な野菜を手近に入手できるのが魅力であり、コストは度外視されているケースが多い。手足を土でドロドロに汚すことなく手軽に野菜作りができる「植物工場キット」には需要がありそうに思えるが、どうだろうか。