歴史小説の補完に歴史概説書『江戸開府』を読む2017年08月26日

『日本の歴史13 江戸開府』(辻達也/中央公論社)
◎家康・秀忠・家光の50年史

 『関ヶ原』(司馬遼太郎)を皮切りに家康関連の歴史小説(『影武者徳川家康』『城塞』『覇王の家』を続けて読み、これを機に小説ではない歴史書で史実のあらましを掴んでおこうという気分になり、次の本も読んでみた。

  『日本の歴史13 江戸開府』(辻達也/中央公論社)

 半世紀前に出版されたベストセラー歴史叢書の1冊だ。古い本だが、最近の学説を知りたいという大それた動機はなく、300年以上昔の出来事の概要を知るには十分だと思った。

 この巻はおおむね関ヶ原から家光死去までのの50年、つまり家康・秀忠・家光の徳川三代50年を幕政中心に叙述している。50年というのは本書が刊行されてから現在までの時間とほぼ同じであり、68歳になった私から見れば長くもあり短くもある時間で、1巻の歴史概説書に収めるには手ごろな時間に思える。

◎やはり家康は狸親父

 小説でないにもかかわらず、本書を読み終えると江戸開府50年に歴史ドラマを感じた。小説のネタになりそうなドラマチックなあれこれが散りばめれている。本書の前半は大阪の陣までで、大きな出来事はそこまでのように思えるが、その後の約20年間の出来事も興味深い。

 本書のメイン登場人物はやはり家康であり、著者の家康像は「狸親父」に近い。家康が狸親父といわれたのは、家康73歳のときの大阪の陣での狡猾なやりかたに由来するそうだが、その50年前、家康23歳のときの三河一向一揆への対応で「その狸ぶりは遺憾なく発揮されている」と著者は指摘している。また、家康の性格を示す「忍」は忍耐であるとともに残忍の忍であるとも述べている。

 家康の多大な業績を評価した上での寸評だが、家康はやはり嫌われキャラだ。

◎普遍的な「文吏派 vs 武功派」

 本書で面白く思ったのは、石田三成と本多正信・正純が類似しているとの指摘だ。石田三成は豊臣家の文吏派で武功派の加藤清正、福島正則らから嫌われ、豊臣家の武功派が家康に与したために関ヶ原で敗れた。本多正信・正純の親子は家康と秀忠のブレーンで、いわば徳川家の文吏派である。彼らは関ヶ原や大阪の陣で徳川を勝利に導いた功労者だが、その後失脚する。

 秀吉の近習である武功のない三成が赫々たる武功のある家臣から嫌われ、家康・秀頼の近習だった本多正信・正純が徳川家の古くからの家臣から嫌われる…確かに似た構造だ。

 著者は三成に対する武功派の反発を中央専制指向への抵抗と見ている。天下一統は中央専制だが家康を含む武将たちはそれに抵抗したのだ。納得できる見解だ。

 三成らの中央専制に反発した家康も関ヶ原以降は専制的中央政権指向になる。自分が「中央」になったのだから当然だ。そして幕政の基礎固めを始める。この段階で本多正信が逝去し正純が失脚したのは、個人の時代から組織の時代へと移行したからだと著者は説明している。ナルホドと思った。

 権力者に近いブレーンと実績を積み上げてきた現場との対立は現代の企業にも見られる普遍的構造に見える。オーナー社長の世代交代の際には周辺を巻き込んだドラマが発生することも多い。そこには妬みなどの心理的理由を超えたさまざまな内実がある。江戸開府の頃の歴史を読みながら、歴史は人間ドラマの繰り返しだという感が強まった。

◎現代の「かぶき者」は…

 本書の末尾近くに「かぶき者」に関する記述があり、次のように書かれている。

 「現今でいえば、先年流行した太陽族とか、近ごろ話題となったみゆき族など、さしずめ「かぶきたる体」である。」

 1966年3月刊行の時代を感じさせる例えで、私は非常に面白く読んだ。私の世代にはわかりやすいが21世紀の若い人に伝わるだろうか。

 1950年代の「太陽族」や1960年代の「みゆき族」を現代の何に置き換えればいいのか考えてみたが思い浮かばない。「かぶき者」がいない時代になったのか、私がすでに時代から取り残されて現状を把握できないのか、どちらなのかよくわからない。