古琉球の歴史は魅力的だ ― 2012年08月16日
最近、沖縄へ行く機会が多い。そんな私に友人が『琉球の時代:大いなる歴史像を求めて』(高良倉吉、ちくま学芸文庫)という本を勧めてくれた。とても興味深く読み進めることができた。
本書は1980年刊行の名著が今年の3月に文庫になったものだ。著者の高良倉吉氏は首里城復元にも携わった沖縄学の権威で、テレビドラマ『琉球の風』『テンペスト』の時代考証も引き受けた方だそうだ。
『琉球の時代』は琉球王国の歴史を、遺跡・史跡・伝説・古謡・史料などに基づいて描いている。学術的な内容でありながらエッセイ的な要素もあり、読みやすい。
私が本書を興味深く読み進めることができたのは、そもそも琉球王国についてよく知らなかったので、読書体験がそのまま私にとっての発見体験に直結したからだ。私の高校時代(半世紀近く昔だ)、日本史でも世界史でも琉球については習わなかった。
本書で主に扱っているのは、10世紀頃に始まるグスク時代から1609年の島津侵入事件までの「古琉球」の時代で、日本の平安・鎌倉時代の頃から江戸時代初期までにあたる。ただし、古琉球の初期は神話・伝説の時代で史実は明確ではないようだ。
滝沢馬琴の『椿説弓張月』の素材となった源為朝の話も紹介されている。琉球に流れついた為朝の息子を祖として舜天王統ができたいう伝説だ。もちろん史実ではないが、日本と琉球の交流を感じさせる伝説だとは思える。
著者は「事実か否かというレヴェルの問題ではなく、そうした英雄流譚を生む民俗的背景こそ問題にすべきだと思う」と述べている。
本書で最も興味深く感じたのは「第三章 大交易時代」だ。14世紀から16世紀にかけての琉球王国は当代随一の交易国家で、中国との交易をベースに北は日本(堺、博多)、朝鮮(釜山)から南はマラッカ、スマトラ、ジャワに至る広大な海域に交易ルートをもっていた。ヴェネチア共和国を連想させる古琉球のアグレッシブな海運国家イメージは、私にとっては目から鱗が落ちるような発見だった。
この時代に鋳造された「万国津梁の鐘」に刻まれた文には「舟楫(船のこと)を以て万国の津梁(かけ橋)となす」とあるそうだ。沖縄サミット会場だったブセナ岬には「万国津梁館」という施設があり、変わった名前だなと思っていたが、その名の背景に大交易時代の名残があるとことを今頃になって認識した。
また、本書を読み進めている過程で、琉球王国では古くから平仮名が使われていることを知った。これも驚きだった。中国から漢字を取り入れると同時に日本からは平仮名を取り入れていたのだ。こんなところに日本と沖縄の微妙な関係を感じる。
著者は本書のエピローグで次のように語っている。
「沖縄はそもそものはじめから日本の一員だったのではない。日本文化の一環に属する文化をもち、日本語と同系統の言語を話す人々が沖縄の島々に住みついて独自の歴史を営んだのであり、そしてついには古琉球の時代に日本と別個に独自の国家「琉球王国」をつくりあげたのだった。」
一つの国の中に、歴史背景の異なるかつての独自国家が存在するということは、国家や歴史を考察するうえで複眼的相対的視点が得られて有益である。そんな国家は外国では珍しくない。国境を超えた活動が日常的になる時代にあっては、琉球王国の記憶を保持している沖縄を日本が内包している意義は大きいはずだ。
本書は1980年刊行の名著が今年の3月に文庫になったものだ。著者の高良倉吉氏は首里城復元にも携わった沖縄学の権威で、テレビドラマ『琉球の風』『テンペスト』の時代考証も引き受けた方だそうだ。
『琉球の時代』は琉球王国の歴史を、遺跡・史跡・伝説・古謡・史料などに基づいて描いている。学術的な内容でありながらエッセイ的な要素もあり、読みやすい。
私が本書を興味深く読み進めることができたのは、そもそも琉球王国についてよく知らなかったので、読書体験がそのまま私にとっての発見体験に直結したからだ。私の高校時代(半世紀近く昔だ)、日本史でも世界史でも琉球については習わなかった。
本書で主に扱っているのは、10世紀頃に始まるグスク時代から1609年の島津侵入事件までの「古琉球」の時代で、日本の平安・鎌倉時代の頃から江戸時代初期までにあたる。ただし、古琉球の初期は神話・伝説の時代で史実は明確ではないようだ。
滝沢馬琴の『椿説弓張月』の素材となった源為朝の話も紹介されている。琉球に流れついた為朝の息子を祖として舜天王統ができたいう伝説だ。もちろん史実ではないが、日本と琉球の交流を感じさせる伝説だとは思える。
著者は「事実か否かというレヴェルの問題ではなく、そうした英雄流譚を生む民俗的背景こそ問題にすべきだと思う」と述べている。
本書で最も興味深く感じたのは「第三章 大交易時代」だ。14世紀から16世紀にかけての琉球王国は当代随一の交易国家で、中国との交易をベースに北は日本(堺、博多)、朝鮮(釜山)から南はマラッカ、スマトラ、ジャワに至る広大な海域に交易ルートをもっていた。ヴェネチア共和国を連想させる古琉球のアグレッシブな海運国家イメージは、私にとっては目から鱗が落ちるような発見だった。
この時代に鋳造された「万国津梁の鐘」に刻まれた文には「舟楫(船のこと)を以て万国の津梁(かけ橋)となす」とあるそうだ。沖縄サミット会場だったブセナ岬には「万国津梁館」という施設があり、変わった名前だなと思っていたが、その名の背景に大交易時代の名残があるとことを今頃になって認識した。
また、本書を読み進めている過程で、琉球王国では古くから平仮名が使われていることを知った。これも驚きだった。中国から漢字を取り入れると同時に日本からは平仮名を取り入れていたのだ。こんなところに日本と沖縄の微妙な関係を感じる。
著者は本書のエピローグで次のように語っている。
「沖縄はそもそものはじめから日本の一員だったのではない。日本文化の一環に属する文化をもち、日本語と同系統の言語を話す人々が沖縄の島々に住みついて独自の歴史を営んだのであり、そしてついには古琉球の時代に日本と別個に独自の国家「琉球王国」をつくりあげたのだった。」
一つの国の中に、歴史背景の異なるかつての独自国家が存在するということは、国家や歴史を考察するうえで複眼的相対的視点が得られて有益である。そんな国家は外国では珍しくない。国境を超えた活動が日常的になる時代にあっては、琉球王国の記憶を保持している沖縄を日本が内包している意義は大きいはずだ。
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