舞台『しゃぼん玉』の原作小説で四国・九州問題を解明 ― 2024年12月23日
先日観た劇団文化座の芝居『しゃぼん玉』の原作小説を読んだ。
『しゃぼん玉』(乃南アサ/新潮文庫)
芝居の冒頭シーンは深夜の山道である。トラックから降ろされて置き去りにされた主人公の若者が、去って行くトラックに悪態をつく。なぜ、そんな事態になったのかは、やがて判明する。トラックをヒッチハイクした主人公は、運転手をナイフで脅してトラック・ジャックしていたのだ。だが、うかつにも居眠りをしたために山の中に置き去りにされたのである。
夜が明け、老婆に出会い、山村に迷い込んだ主人公は、ここが九州の山奥だと知って驚く。本人は四国の山奥だと思っていたのだ。何の予備知識もなしに観劇していた私は、四国と九州がワープする異空間の山村の物語なのだろうかと想像してしまった。だが、その後の展開は超現実とは無縁だった。簡単に言えば、犯罪に走った若者が更生する物語である。いい話だった。
それにしても、四国と思った場所がなぜ九州だったのかがわからない。それを確認するために原作の文庫本を入手して読んだ。
原作を読んで、私の疑問は氷塊した。大学を中退した落ちこぼれの主人公は地理に無知だったのだ。行くあてのない主人公は、宮崎に行くというトラックをヒッチハイクし、宮崎は四国にあると思い込んでいたのである。それだけである。
文化座代表の佐々木愛はこの小説を読んだとき、すぐに舞台化したいと思ったそうだ。この小説は2016年に映画化されている(出演:林遣都、市原悦子、他)。芝居の初演(2017年)の準備をしているとき、すでに映画化されていることを知ったが、迷うことなく舞台化を進めたという。それだけ、原作に魅力があったのだろう。
舞台で内容を知っている私が原作を読もうと思ったのも、単に「四国・九州問題」確認のためだけではなかったかもしれない。芝居の内容を原作で追体験したかったのだ。読んだ人を映画化・舞台化に駆り立てる原作の魅力を確認したかったのだと思う。
『しゃぼん玉』は粗筋だけでは陳腐に思える物語である。しかし、小説家の筆力によって独特の世界を紡ぎあげている。読み始めるとグイグイ引き込まれてしまった。
『しゃぼん玉』(乃南アサ/新潮文庫)
芝居の冒頭シーンは深夜の山道である。トラックから降ろされて置き去りにされた主人公の若者が、去って行くトラックに悪態をつく。なぜ、そんな事態になったのかは、やがて判明する。トラックをヒッチハイクした主人公は、運転手をナイフで脅してトラック・ジャックしていたのだ。だが、うかつにも居眠りをしたために山の中に置き去りにされたのである。
夜が明け、老婆に出会い、山村に迷い込んだ主人公は、ここが九州の山奥だと知って驚く。本人は四国の山奥だと思っていたのだ。何の予備知識もなしに観劇していた私は、四国と九州がワープする異空間の山村の物語なのだろうかと想像してしまった。だが、その後の展開は超現実とは無縁だった。簡単に言えば、犯罪に走った若者が更生する物語である。いい話だった。
それにしても、四国と思った場所がなぜ九州だったのかがわからない。それを確認するために原作の文庫本を入手して読んだ。
原作を読んで、私の疑問は氷塊した。大学を中退した落ちこぼれの主人公は地理に無知だったのだ。行くあてのない主人公は、宮崎に行くというトラックをヒッチハイクし、宮崎は四国にあると思い込んでいたのである。それだけである。
文化座代表の佐々木愛はこの小説を読んだとき、すぐに舞台化したいと思ったそうだ。この小説は2016年に映画化されている(出演:林遣都、市原悦子、他)。芝居の初演(2017年)の準備をしているとき、すでに映画化されていることを知ったが、迷うことなく舞台化を進めたという。それだけ、原作に魅力があったのだろう。
舞台で内容を知っている私が原作を読もうと思ったのも、単に「四国・九州問題」確認のためだけではなかったかもしれない。芝居の内容を原作で追体験したかったのだ。読んだ人を映画化・舞台化に駆り立てる原作の魅力を確認したかったのだと思う。
『しゃぼん玉』は粗筋だけでは陳腐に思える物語である。しかし、小説家の筆力によって独特の世界を紡ぎあげている。読み始めるとグイグイ引き込まれてしまった。
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