『帰れない男』は不気味な屋敷のやや古風な心理劇 ― 2024年05月03日
本多劇場で『帰れない男~慰留と斡旋の攻防~』(作・演出:倉持裕、出演:林遣都、藤間爽子、柄本時生、山崎一、他)を観た。倉持裕氏の芝居を観るのは一昨年の『お勢、断行』に続いて2本目だと思う。
舞台は大正末期か昭和初期の立派な屋敷の客間である。道路で馬に踏まれそうになった若い女性を助けた男が、女性の屋敷に招かれ、すぐに帰るつもりだったのに宿泊し、そのまま屋敷から帰れなくなる。この男、妻もいる作家だが、屋敷の客間に居ついたまま小説の執筆もする。友人が迎えに来ても、やはり帰ることができない。
日経新聞の劇評(2024.4.26夕刊)に、「明治大正の短編小説を読んだような心持ちになる」「内田百閒の小説に想を得たとかで…」などとあったので、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』のような超現実的な幻想譚を期待した。
男が帰れなくなる過程を描いた前半に惹かれたが、私が想像した話とはやや異なる心理劇だった。年配の実業家と若い後妻(元・女給)と作家、さらには作家の友人や作家の妻(舞台には登場しない)も絡んでくる。確かに明治大正の短編小説の雰囲気が色濃く漂う心理劇であり、やや怪奇でもある。だが、期待したほど超現実的ではなかった。
物語は超現実的でないとしても、舞台設定には超現実的な魅力がある。玄関の音は聞こえるのに、玄関から客間までは遠い。屋敷は迷路のようで、来客が帰るとき、案内なしで玄関に戻るのは難しい。客間の背景になる中庭の向こうは賑やかな宴会場で、客の影が見える。宴会はいつの間にか始まり、いつの間にか終わる。それが繰り返される。秀逸な背景だ。時に中庭に人が現れることがあり、不気味である。
物語の展開ももう少し不気味にできたのは、と思えた。
舞台は大正末期か昭和初期の立派な屋敷の客間である。道路で馬に踏まれそうになった若い女性を助けた男が、女性の屋敷に招かれ、すぐに帰るつもりだったのに宿泊し、そのまま屋敷から帰れなくなる。この男、妻もいる作家だが、屋敷の客間に居ついたまま小説の執筆もする。友人が迎えに来ても、やはり帰ることができない。
日経新聞の劇評(2024.4.26夕刊)に、「明治大正の短編小説を読んだような心持ちになる」「内田百閒の小説に想を得たとかで…」などとあったので、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』のような超現実的な幻想譚を期待した。
男が帰れなくなる過程を描いた前半に惹かれたが、私が想像した話とはやや異なる心理劇だった。年配の実業家と若い後妻(元・女給)と作家、さらには作家の友人や作家の妻(舞台には登場しない)も絡んでくる。確かに明治大正の短編小説の雰囲気が色濃く漂う心理劇であり、やや怪奇でもある。だが、期待したほど超現実的ではなかった。
物語は超現実的でないとしても、舞台設定には超現実的な魅力がある。玄関の音は聞こえるのに、玄関から客間までは遠い。屋敷は迷路のようで、来客が帰るとき、案内なしで玄関に戻るのは難しい。客間の背景になる中庭の向こうは賑やかな宴会場で、客の影が見える。宴会はいつの間にか始まり、いつの間にか終わる。それが繰り返される。秀逸な背景だ。時に中庭に人が現れることがあり、不気味である。
物語の展開ももう少し不気味にできたのは、と思えた。
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