戦前のヒトラー本でタイムスリップ2015年04月15日

『ヒットラー傳』(澤田謙/大日本雄辯會講談社)、『ナチス獨逸の解剖』(森川覺三/コロナ社/)
◎古い本を読み返してみた

   ナチスの台頭を目撃したアメリカ人たちの見聞録『ヒトラーランド:ナチの台頭を目撃した人々』を読んでいて、そう言えば、当時の日本人の見聞録がわが本棚にあったはずだと思い出した。で、引っ張り出してきたのが次の本だ。

 『ナチス獨逸の解剖』(森川覺三/コロナ社/昭和15年9月28日初版発行、昭和15年12月15日14版発行)

 この本の隣りに並んでいたのは次の伝記だった。

 『ヒットラー傳』(澤田謙/大日本雄辯會講談社/昭和9年7月12日発行)

 2冊とも戦前の本で、高校生の頃(約半世紀前)に古本屋で見つけ、珍品だと興味を抱いて購入したものだ。購入当時に拾い読みし、時代感覚の違いをそれなりに楽しんだ記憶がある。

 今回、半世紀ぶりにこの2冊をあらためて通読してみた。黄ばんだ紙に旧字旧仮名で書かれたテンションの高いヒトラー礼賛、ナチス賞賛の繰り返しを読んでいると、戦前の世界にタイムスリップした気分になる。

◎『ヒットラー傳』『ナチス独逸の解剖』が出版された時代

 これらの本が当時の時代風潮を反映しているのは当然である。どんな時期に発行されたかを確認するため、簡単な年表を作ってみた。

 1923年(大正12)11月8日 ヒトラーのミュンヘン一揆失敗
 1931年(昭和6)9月18日 満州事変勃発(15年戦争始まる)
 1933年(昭和8)1月30日 ヒトラーが首相になる
 1933年(昭和8)3月23日 ドイツで全権委任法可決、独裁体制はじまる
◆1934年(昭和9)7月12日 『ヒットラー傳』発行
 1936年(昭和11)11月25日 日独防共協定締結
 1938年(昭和13)8月~11月 ヒトラー・ユーゲントの代表30人来日
 1939年(昭和14)9月1日 ドイツ軍、ポーランド侵攻。第二次世界大戦勃発
 1940年(昭和15)9月27日 日独伊三国同盟締結
◆1940年(昭和15)9月28日 『ナチス独逸の解剖』発行
 1941年(昭和16)6月22日 ドイツ軍、ソ連侵攻
 1941年(昭和16)12月8日 日本軍、真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発

◎『ヒットラー傳』は先物買いのキワモノ出版か

 『ヒットラー傳』が出版されたのはヒトラーの首相就任から1年半後、かなり早い時期に書かれた現役政治家の伝記だ。「さらば往け、この一巻よ!」という勇ましい著者の「序」の日付(昭和9年6月30日)は、たまたまレーム事件(長いナイフの夜)発生の日だ。当然、本書の内容はそれ以前の事柄になっている。

 本書巻末の広告ページによれば著者・澤田謙氏には『ムッソリニ傳』『エヂソン傳』『世界十傑傳(ガンディー、ケマル・パシャ、蒋介石ほか)』などの著書もある。ウィキペディアによれば、戦後も子供向けの偉人伝を多く書いた伝記作家だそうだ。その対象はニュートン、キューリ夫人からアイゼンハワー、ネールまで多彩だ。『魅力ある怪物 フルシチョフ』という著作もある。

 守備範囲の広い伝記作家で、同時代の政治家も得意とした人のようだ。『ヒットラー傳』は『わが闘争』など当時入手できた資料を元に執筆したと推察できる。日本で『わが闘争』の抄訳版や全訳版が相次いで出版されたのは昭和14年以降だから、昭和9年発行の本書はキワモノに近い新鮮な本だったかもしれない。

 時代の空気を反映してか、本書にはヒトラーへの強い思い入れが込められている。ドイツの救世主が敢然と前進していく講談調の一大英雄譚であり、そのラストは次のような調子だ。

 「風雲児ヒットラー!
  彼の指一本から、新らしき世界秩序が生まれ出ようとしてゐるのだ。彼はなほ聲高く、獨逸國民にむかつて叫ぶ、
 『獨逸眼覺めよ!』
  我等の耳には、それが『世界眼覺めよ!』の叫びのやうに聞えるのである。」

◎『ナチス獨逸の解剖』の著者はベルリン駐在の会社員

 『ナチス獨逸の解剖』が出版されたのは『ヒットラー傳』の6年後で、すでに欧州では第二次大戦が始まり、真珠湾攻撃の前年という緊迫した時期だ。著者・森川覺三氏はベルリンでナチスの台頭を目撃した会社員である。

 「自序」には「私は元来この種の著述等には凡そ縁の遠い一技術者に過ぎず、且つ又両度の獨逸在住に於ても、何れもこの種の調査を目的として行つたわけでもないので(以下略)」とある。この箇所以外に本書には著者の経歴に関する記述はない。だが、ネットで調べると森川氏のプロフィールが判明した。

 京大工学部機械科卒で三菱航空機志望だったが三菱商事機械部に配属され、満州やドイツで活躍した人だ。昭和3年から5年間ベルリンに勤務し、その後、昭和13年に三菱商事ベルリン支店長として二度目の赴任をしている。その1年半後にドイツ軍のポーランド侵入があり「世界大戦になる」と判断し、独断で支店を閉鎖して帰国したそうだ。

 帰国後は「ドイツ通の森川」として講演を繰り返し、講演では語り尽くせないので『ナチス獨逸の解剖』を出版、これがベストセラーになった。私の所有しているのは発行3カ月後の14刷だから、確かにベストセラーだ。その後、昭和17年に森川氏は新たに発足した日本能率協会の理事長に就任している。

◎ドイツ経済の復興に感嘆した目撃者

 二度にわたってベルリン勤務をした森川氏は、ナチス運動が市民から冷笑されていた1930年頃からナチスに関心をもち、ゲッベルスやヒトラーの演説会に何度も足を運んだそうだ。その感想を自序で「正直なところ當時の彼等の主張は餘りに粗野で、過激であるやうな氣持がして居つたのであつた。」と述べている。

 そんな森川氏がヒトラーを礼賛する『ナチス獨逸の解剖』を出版したのは、二度目の赴任でドイツ経済復興と軍備拡充の現状を目の当たりにし、本当に感嘆したからだと思われる。ドイツ経済の能率の高さに着目した記述もあり、後日、日本能率協会初代理事長になるのもうなずける。

 本書の扉には『ヒットラー傳』と同じようにヒトラーの肖像写真が掲載されている。その次のページにヒトラーの肖像写真と同様の扱いで、ゲーリングでもヘスでもゲッベルスでもなく、シャハト博士なる人物の肖像写真が掲載されているのが少々異様だ。

 シャハト博士はライヒスバンク総裁を務めた経済学者で、ヒトラーに請われて経済相・戦時経済全権に就任し、ドイツ経済復興に腕を振るった。本書の記述によれば「有名なナチス嫌ひ」だったそうだが、ヒトラーは彼の能力を高く評価し、ゲーリングらの強い反対をしりぞけて彼を抜擢起用したのだ。著者はヒトラーのそんな判断に感銘を受けている。

 経済相就任から3年足らずで、シャハト博士はナチス幹部(ゲーリング)と対立し更迭され、無任所相になっている。扉ページにナチス党員でもない「更迭された経済相」の肖像写真をあえて掲載したのは、技術者的な合理精神をもっていた著者のささやかなナチス批判かもしれない。

 本書刊行後の話になるが、シャハト博士はヒトラー暗殺未遂事件に連座して強制収容所の囚人となり、1945年4月にアメリカ軍に解放されるも、ニュルンベルク裁判の被告となり、無罪判決を受けている。

◎ユダヤ人迫害の扱い

 『ヒットラー傳』や『ナチス獨逸の解剖』が刊行された頃、ナチスによるユダヤ人迫害はすでに世界周知だった。ホロコーストまでは予見できなかったにしても、ヒトラーを礼賛する当時の本がユダヤ人迫害をどう扱っているかは興味深い。

 日本もファシズムの時代だったから、ナチスを批判する記述は難しかったと推測できる。2書に共通しているのは、ユダヤ人迫害は誇張して報道されていると見なし、ユダヤ人に接していない日本人にはわかりにく問題だとしている点だ。その上で、ナチスの主張をなぞる形でユダヤ人への偏見とユダヤ人迫害の正当性を展開している。ナチス・ドイツに気遣いしているようにも見える。

 『ヒットラー傳』には次のような記述がある。

 「試みに想像して見よう。假に日本の三井・三菱とか、安田、住友とかいふ大財閥が、悉く異民族の手に握られてゐたとしたどうだ。そしてその下に、勤勉なる日本民族の勞働者と農民とが、牛馬の如く働いても、なほ生活すら與へられなかつたとしたどうだ。三越とか松屋とか、巨大な百貨店が、悉く異民族の經營であつて、そのため日本人の中小商人が、軒並みに閉店しなければならぬ憂目に陥つたとしたらどうだ。さらに街に溢るる淫賣婦、そしてカフェー、エロ映畫──それらの淫蕩的分子が、悉く異民族の手に支配されてゐて、日本民族の文化を頽癈せしめはじめたとしたらどうだ。」

 ユダヤ人迫害を何とか正当化しようとする著者の熱意は伝わってくるが、こんな例え話で当時の日本人は納得したのだろうか。次のような抽象的で理念的な説明がどこまで説得的だったかは疑問だ。

 「而してかうした先天的都會人民族(ユダヤ人のこと)が、森と河の精のなかから生れ、強健な農村を基礎とする獨逸民族文化と、融合しないのは無理もない。」

 『ナチス獨逸の解剖』の著者は多くのユダヤ人がドイツから脱出するのを目撃しており、国外に逃げた人の中にはアインシュタインのように惜しい人もいたと述べている。

 ただし、人々が群衆心理で見さかいもなくユダヤ人を襲撃するのを憂慮したヒトラーは「全国一斉に秩序あるユダヤ人迫害を行ふ事を決定」した、という奇妙な理屈でヒトラーの叡智を讃えているのは無理スジと思える。ユダヤ人追放に関する次のような記述も、後世から見ればあまりに皮相だ。

 「是だけの大騒ぎをし乍ら此日獨逸國内に居住して居つた猶太人で怪我をした者もなく、實に整然と計畫的に行はれたのは美事であつたが追はれた連中が本當のことを云ふ筈もなく、世界の輿論は殆も猶太人を虐殺したかの様に傳はつたのであつた。」

◎古い本から教えられること

 後世の目で『ヒットラー傳』や『ナチス獨逸の解剖』のヒトラー礼賛を批判してもあまり意味はない。著者たちが特に過激なファシストだったとは思えない。あの時代に生きていれば、私もこれらの本の著者たちと似た見解になったのではという気もする。ナチスに対して多少の違和感を抱いたとしても、ファシズムと軍国主義の空気の中で、その違和感をどの程度つきつめることができたか心もとない。

 そんな考えをふまえた上で、われわれが現在体験している同時代を見なけらばならない。それが、古い本から得られる教訓である。歴史は、そんなことの繰り返しかもしれないが。

コメント

_ 芋田治虫 ― 2018年04月01日 23時57分

ドイツの学校で、「ヒトラー・ユーゲントと国民突撃隊は無罪」と言った生徒を、担任の教師が射殺するという事件発生。↓
https://youtu.be/LC1pBq1UevU

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