久々に板倉聖宜ワールド探訪 ― 2014年02月02日
◎京王線で遭遇した板倉聖宣氏
小さな新聞広告で板倉聖宣氏の本を見かけ、その健在を頼もしく思った。
私は25年ぐらい前、板倉聖宣氏の『歴史の見方考え方』を読んで氏のファンになった。『ぼくらはガリレオ』などの著書がある科学教育畑の人とは知っていたが、科学的視点で日本史をとらえた『歴史の見方考え方』で目から鱗が落ちる衝撃を受けた。続けて板倉氏の著書を十冊ばかり読んだ。上下2冊で1,000頁を超える大著『模倣の時代』は、脚気の予防治療法の開発にまつわる衝撃的なノンフィクションで抜群に面白かった。
板倉聖宣氏が国立教育研究所勤務の理学博士で「仮説実験授業」の提唱者であることも知った。
実はその頃、私は京王線の電車の中で板倉聖宣氏に遭遇したことがある。
著書の「あとがき」で板倉氏が府中市在住とは知っていたが、どの本にも顔写真はなく、私は板倉氏の顔を知らなかった。しかし、ある日、帰宅時間の電車の中で私の隣に立っている紳士を板倉聖宣氏だと直観した。吊革を手に「仮説実験授業」の書類を読んでいたからだ。かなり長い時間、声をかけようかどうか躊躇していたが、ついに思い切って「失礼ですが、板倉聖宣さんでしょうか」と声をかけた。やはり、ご本人だった。私は著書のファンであることを名乗り、電車を降りるまでの短い時間、お話しができた。1988年か1989年のことだ。
そんな遠い記憶がある板倉聖宣氏の名を新聞広告で見たので、ネット書店で検索してみた。未読の本が何冊も出てきたので、まとめて注文した。
◎4冊まとめて読んだ
久々に読んだ板倉聖宣氏の4冊は、例によってすべて仮説社の本だ。
『いま、民主主義とは』(板倉聖宜セレクション1)
『勝海舟と明治維新』
『科学新入門・上 大きすぎて見えない地球小さすぎて見えない原子』
『科学新入門・下 迷信と科学』
◎「仮説実験授業」は幅広い
『いま、民主主義とは』は編者が板倉氏の過去のいくつかの著作から抜粋して再構成した本である。「板倉聖宜セレクション1」とあるので、これから続刊が出るようだ。
科学教育の人ががなぜ民主主義をテーマにするのだろうと思うが、読んでみると本書は確かに科学の本である。
「仮説実験授業」を提唱している板倉聖宣氏にとって、科学の対象は自然現象だけでなく社会や歴史にまで広がっている。
一般に、自然科学は実験で検証できるものが多いが社会科学は実験で検証できないと思われている。私自身、社会科学に自然科学の方法を適用するのはかなり難しいだろうという気がしている。
しかし、本書を読んで、社会現象が必ずしも実験で検証できないわけではないということがわかった。仮説実験授業の教材には「禁酒法」や「生類憐れみの令」があるそうだ。正義・善意・理想などからスタートしたこれらの法律がもたらした混乱は、確かに壮大な実験と見なすことができる。
板倉氏はもちろん民主主義を否定しているわけではないが、「民主主義は、もっとも恐ろしい奴隷主義になりかねない」ということをくり返し強調している。本書の末尾には次のような感慨が述べられている。
〔私は、「自分の善意だけを信じて、結果に盲目な人ほど恐ろしい人はいない」と思うようになったのです。そして、「自分たちの善意を大切にしながらも、たえずその善意によってしたことの結果を実験的に確かめながら生きることのできる人だけが、今後の世の中を明るくすることができるのではないか」と思っています。今後の社会は「自分の判断を仮説とし実験的に確かめつつ生きていくよりほかない」と思うのです。〕
板倉氏の提唱する「仮説実験授業」は理科教育を超えた幅広いものになっているようだ。
◎勝海舟=板倉聖宣?
『勝海舟と明治維新』は2006年に出版された勝海舟の伝記である。板倉氏の勝海舟への思い入れが伝わってくる伝記だ。下級旗本として生まれ、蘭学を身につけ世界が見えていた勝海舟は、やがて幕府に重用されるようになるが、幕府官僚制とは折り合いがよくなく、勝自身が幕府に見切りをつけていていた……。そういう勝海舟の姿は、国立教育研究所に勤務しながらも国の教育政策に懸念をもち、クビ覚悟で科学教育研究に取り組んでいった板倉氏自身の姿と重なっているようだ。
本書で明治維新をかなり高く評価しているのは薩長中心史観のようにも思えるが、この時代を「仮説実験授業」的に扱っているのは、さすがに面白い。
攘夷を唱えていた薩長は長州の四国連合艦隊下関砲撃事件や薩英戦争などで「攘夷の実験」をしたので近代化へ向かった。それにくらべて幕府は「攘夷の実験」をしなかったからダメなのだ、という見方はユニークだ。
また、薩長の新政府が古代朝廷制の官職などを採用したのも、そんな制度では近代化できないことを確認するための実験だったと述べている、実験して、ダメなものを捨てたから明治維新は成功したという見方だ。
これらの説を「科学的」に検証できるかどうかはわからないが、歴史上のアクションの結果を実験結果と見なす認識は当事者にとっては生産的だと思う。
◎50年目の「仮説実験授業」--- どこまで普及しているのか
『科学新入門・上 大きすぎて見えない地球小さすぎて見えない原子』と『科学新入門・下 迷信と科学』は、約40年前の本の新装版だった。いま読んでも十分に面白い。子供と父兄のための科学入門書であると同時に科学教育論であり、従来の科学教育批判の本である。
板倉氏の批判対象は想像=創造する意欲を失わせるつめこみ教育であり、そのアンチテーゼこそが「仮説実験授業」だと主張している。
板倉氏が「仮説実験授業」を提唱したのは1963年で、昨年は50年目だった。その2013年、82歳の板倉氏は日本科学史学会の会長に就任している。
私は教育の世界とは関係のない人間なので、「仮説実験授業」が教育現場でどの程度普及し、どのように評価されているのかよく知らない。知りたいとは思う。50年という時間は短くはない。この50年で、学校教育はよくなってきたのか、あるいは、まだまだこれからという段階なのだろうか。
この50年の間に、仮説実験授業を受けた生徒の多くは大人になっているはずだ。どんな大人に育っているのだろうか。
小さな新聞広告で板倉聖宣氏の本を見かけ、その健在を頼もしく思った。
私は25年ぐらい前、板倉聖宣氏の『歴史の見方考え方』を読んで氏のファンになった。『ぼくらはガリレオ』などの著書がある科学教育畑の人とは知っていたが、科学的視点で日本史をとらえた『歴史の見方考え方』で目から鱗が落ちる衝撃を受けた。続けて板倉氏の著書を十冊ばかり読んだ。上下2冊で1,000頁を超える大著『模倣の時代』は、脚気の予防治療法の開発にまつわる衝撃的なノンフィクションで抜群に面白かった。
板倉聖宣氏が国立教育研究所勤務の理学博士で「仮説実験授業」の提唱者であることも知った。
実はその頃、私は京王線の電車の中で板倉聖宣氏に遭遇したことがある。
著書の「あとがき」で板倉氏が府中市在住とは知っていたが、どの本にも顔写真はなく、私は板倉氏の顔を知らなかった。しかし、ある日、帰宅時間の電車の中で私の隣に立っている紳士を板倉聖宣氏だと直観した。吊革を手に「仮説実験授業」の書類を読んでいたからだ。かなり長い時間、声をかけようかどうか躊躇していたが、ついに思い切って「失礼ですが、板倉聖宣さんでしょうか」と声をかけた。やはり、ご本人だった。私は著書のファンであることを名乗り、電車を降りるまでの短い時間、お話しができた。1988年か1989年のことだ。
そんな遠い記憶がある板倉聖宣氏の名を新聞広告で見たので、ネット書店で検索してみた。未読の本が何冊も出てきたので、まとめて注文した。
◎4冊まとめて読んだ
久々に読んだ板倉聖宣氏の4冊は、例によってすべて仮説社の本だ。
『いま、民主主義とは』(板倉聖宜セレクション1)
『勝海舟と明治維新』
『科学新入門・上 大きすぎて見えない地球小さすぎて見えない原子』
『科学新入門・下 迷信と科学』
◎「仮説実験授業」は幅広い
『いま、民主主義とは』は編者が板倉氏の過去のいくつかの著作から抜粋して再構成した本である。「板倉聖宜セレクション1」とあるので、これから続刊が出るようだ。
科学教育の人ががなぜ民主主義をテーマにするのだろうと思うが、読んでみると本書は確かに科学の本である。
「仮説実験授業」を提唱している板倉聖宣氏にとって、科学の対象は自然現象だけでなく社会や歴史にまで広がっている。
一般に、自然科学は実験で検証できるものが多いが社会科学は実験で検証できないと思われている。私自身、社会科学に自然科学の方法を適用するのはかなり難しいだろうという気がしている。
しかし、本書を読んで、社会現象が必ずしも実験で検証できないわけではないということがわかった。仮説実験授業の教材には「禁酒法」や「生類憐れみの令」があるそうだ。正義・善意・理想などからスタートしたこれらの法律がもたらした混乱は、確かに壮大な実験と見なすことができる。
板倉氏はもちろん民主主義を否定しているわけではないが、「民主主義は、もっとも恐ろしい奴隷主義になりかねない」ということをくり返し強調している。本書の末尾には次のような感慨が述べられている。
〔私は、「自分の善意だけを信じて、結果に盲目な人ほど恐ろしい人はいない」と思うようになったのです。そして、「自分たちの善意を大切にしながらも、たえずその善意によってしたことの結果を実験的に確かめながら生きることのできる人だけが、今後の世の中を明るくすることができるのではないか」と思っています。今後の社会は「自分の判断を仮説とし実験的に確かめつつ生きていくよりほかない」と思うのです。〕
板倉氏の提唱する「仮説実験授業」は理科教育を超えた幅広いものになっているようだ。
◎勝海舟=板倉聖宣?
『勝海舟と明治維新』は2006年に出版された勝海舟の伝記である。板倉氏の勝海舟への思い入れが伝わってくる伝記だ。下級旗本として生まれ、蘭学を身につけ世界が見えていた勝海舟は、やがて幕府に重用されるようになるが、幕府官僚制とは折り合いがよくなく、勝自身が幕府に見切りをつけていていた……。そういう勝海舟の姿は、国立教育研究所に勤務しながらも国の教育政策に懸念をもち、クビ覚悟で科学教育研究に取り組んでいった板倉氏自身の姿と重なっているようだ。
本書で明治維新をかなり高く評価しているのは薩長中心史観のようにも思えるが、この時代を「仮説実験授業」的に扱っているのは、さすがに面白い。
攘夷を唱えていた薩長は長州の四国連合艦隊下関砲撃事件や薩英戦争などで「攘夷の実験」をしたので近代化へ向かった。それにくらべて幕府は「攘夷の実験」をしなかったからダメなのだ、という見方はユニークだ。
また、薩長の新政府が古代朝廷制の官職などを採用したのも、そんな制度では近代化できないことを確認するための実験だったと述べている、実験して、ダメなものを捨てたから明治維新は成功したという見方だ。
これらの説を「科学的」に検証できるかどうかはわからないが、歴史上のアクションの結果を実験結果と見なす認識は当事者にとっては生産的だと思う。
◎50年目の「仮説実験授業」--- どこまで普及しているのか
『科学新入門・上 大きすぎて見えない地球小さすぎて見えない原子』と『科学新入門・下 迷信と科学』は、約40年前の本の新装版だった。いま読んでも十分に面白い。子供と父兄のための科学入門書であると同時に科学教育論であり、従来の科学教育批判の本である。
板倉氏の批判対象は想像=創造する意欲を失わせるつめこみ教育であり、そのアンチテーゼこそが「仮説実験授業」だと主張している。
板倉氏が「仮説実験授業」を提唱したのは1963年で、昨年は50年目だった。その2013年、82歳の板倉氏は日本科学史学会の会長に就任している。
私は教育の世界とは関係のない人間なので、「仮説実験授業」が教育現場でどの程度普及し、どのように評価されているのかよく知らない。知りたいとは思う。50年という時間は短くはない。この50年で、学校教育はよくなってきたのか、あるいは、まだまだこれからという段階なのだろうか。
この50年の間に、仮説実験授業を受けた生徒の多くは大人になっているはずだ。どんな大人に育っているのだろうか。

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