19年前に出た唐十郎のムックを通読した ― 2025年05月06日
今週末、劇団唐組公演『紙芝居の絵の町で』を観劇予定である。この芝居の戯曲は次のムックに載っている。
『唐十郎 紅テント・ルネサンス!』(河出書房新社/2006.4)
19年前に出たムックだが、私が古書で入手したのは数年前だ。入手してパラパラといくつかの記事を読んだが、戯曲「紙芝居の絵の町で」は未読だった。観劇の機会に読めばいいと思った。その機会が巡ってきたのである。戯曲を読み、それを機にすべての記事を頭から通読した。
「紅テント・ルネサンス!」というタイトルが示すように、2006年頃は「唐十郎ブーム」だったらしい。当時、私は仕事が忙しく、劇場や映画館に行くこともほとんどなく、唐十郎ブームを感じることもなかった。
このムックを読むと、2006年頃に唐十郎が新たなピークを迎えていたとわかる。2005年に横浜国大教授(2001年に就任)を定年退職、劇団唐組以外のいろいろな所で唐作品が上演されていたそうだ。2006年、唐十郎66歳。転倒脳挫傷の6年前である。
このムックの約半分が2006年当時の記事で、それ以外は寺山修司との対談など古い記事の再録である。再録記事の数編(種村季弘、澁澤瀧彦、土方巽)は1974年に出た『別冊新評 唐十郎の世界』に載っていたもので、タイムカプセルを開いたような懐かしさを感じつつ再読した。
巻頭3編「新宿の人・唐十郎 扇田昭彦」「特別対談 坪内祐三・唐十郎」「唐十郎――流れ出す世界 室井尚」は、いずれも2006年当時の記事で、とても面白かった。
扇田昭彦が紹介する花園神社の優しい老宮司にホンワカした。唐十郎を横浜国大に招聘した室井尚は、唐十郎を「完全にオリジナルでどこにも似たものが見出せない奇蹟的な場所を生み出し続けている」と評価している。坪内祐三との対談では、福田善之との関連、寺山修司や別役実の唐十郎への眼差しなどを語っていて興味深い。
2006年当時は元気だった唐十郎、扇田昭彦、坪内祐三、室井尚は、いまではみな物故者になった。坪内祐三と室井尚は私より若い。19年前の記事に接し、しみじみした気分になる。
『唐十郎 紅テント・ルネサンス!』(河出書房新社/2006.4)
19年前に出たムックだが、私が古書で入手したのは数年前だ。入手してパラパラといくつかの記事を読んだが、戯曲「紙芝居の絵の町で」は未読だった。観劇の機会に読めばいいと思った。その機会が巡ってきたのである。戯曲を読み、それを機にすべての記事を頭から通読した。
「紅テント・ルネサンス!」というタイトルが示すように、2006年頃は「唐十郎ブーム」だったらしい。当時、私は仕事が忙しく、劇場や映画館に行くこともほとんどなく、唐十郎ブームを感じることもなかった。
このムックを読むと、2006年頃に唐十郎が新たなピークを迎えていたとわかる。2005年に横浜国大教授(2001年に就任)を定年退職、劇団唐組以外のいろいろな所で唐作品が上演されていたそうだ。2006年、唐十郎66歳。転倒脳挫傷の6年前である。
このムックの約半分が2006年当時の記事で、それ以外は寺山修司との対談など古い記事の再録である。再録記事の数編(種村季弘、澁澤瀧彦、土方巽)は1974年に出た『別冊新評 唐十郎の世界』に載っていたもので、タイムカプセルを開いたような懐かしさを感じつつ再読した。
巻頭3編「新宿の人・唐十郎 扇田昭彦」「特別対談 坪内祐三・唐十郎」「唐十郎――流れ出す世界 室井尚」は、いずれも2006年当時の記事で、とても面白かった。
扇田昭彦が紹介する花園神社の優しい老宮司にホンワカした。唐十郎を横浜国大に招聘した室井尚は、唐十郎を「完全にオリジナルでどこにも似たものが見出せない奇蹟的な場所を生み出し続けている」と評価している。坪内祐三との対談では、福田善之との関連、寺山修司や別役実の唐十郎への眼差しなどを語っていて興味深い。
2006年当時は元気だった唐十郎、扇田昭彦、坪内祐三、室井尚は、いまではみな物故者になった。坪内祐三と室井尚は私より若い。19年前の記事に接し、しみじみした気分になる。
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