田中一村の最晩年作に圧倒される2024年10月09日

 東京都美術館で開催中の田中一村展に行った。雨の平日の午前中だからゆったり鑑賞できるかなと思ったが、予想外の混雑だった。生前は無名だったこの画家の人気を再認識した。

 田中一村(1908-1977)は子供時代から画才を発揮し神童と呼ばれる。東京美術学校(現・東京芸大)日本画科に入学するが、家庭の事情で2カ月で退学し、中央画壇とは距離をおいた画家として69歳の生涯を終える。晩年の約10年は奄美大島に移住し、紬工場の染色工として生活費や絵の具代をかせぎながら画業を続ける。

 没後7年、NHKの『日曜美術館』などで取り上げられ、全国に知られるようになったそうだ。私が田中一村を知ったのは、ほんの数年前である。この展覧会のホームページの案内文に次の記述があった。

 「現在の東京藝術大学に東山魁夷等と同級で入学したものの、2ヶ月で退学。その後は独学で自らの絵を模索した一村。「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と述べたその機会が訪れます。」

 没後47年にしての念願の「東京で個展」は大回顧展になった。本人は、ささやかな規模でも生前に個展を開きかっただろうなあ、との思いがよぎった。

 子供時代から晩年までの作品を時系列に並べた展示を観ると、画風の変遷がよくわかる。と同時に、後年の作品に表れる特徴の萌芽を、それ以前の作品のなかに見出すこともできる。自分の表現を探求・深化し続けた画家だと思う。

 月並みな感想だが、やはり最晩年の大作「アダンの海辺」と「不喰芋(くわずいも)と蘇鐵」に圧倒される。本人が「閻魔大王への手土産」と言った大作である。最晩年の作品が最高傑作という芸術家はあまりいないと思う。早世した人なら最晩年作が最高傑作になるかもしれない。田村一村の場合は精魂尽き果てて逝ったように見える。