表現の自由を弾圧する近未来を描いた『日没』は恐ろしい2023年11月03日

『日没』(桐野夏生/岩波現代文庫)
 桐野夏生氏が、国家の意に沿わない小説家を収容所に監禁する近未来小説を書いたと知り、以前から気になっていた。その小説が文庫になったの機に入手、一気に読了した。

 『日没』(桐野夏生/岩波現代文庫)

 オビに「足下に拡がるディストピアを描き日本を震撼させた衝撃作」とある。想像した通りの悪夢世界を描いた小説だ。想像した通りの内容なのに引き込まれ、読み終えると暗澹たる気分になる。突飛な異世界の話のように見えて、私たちが生きている現実世界と地続きに見えてしまう。

 主人公はエンタメ系の女性作家、ある日、総務省文化局文化文芸倫理向上委員会なる未知の政府機関から召喚状を受け取る。出頭して連れて行かれた先は、海に面した断崖に立つ「療養所」と称する収容所だった。

 召喚された理由は、主人公の書く小説が青少年に悪影響を及ぼすと告発されたからであり、この施設での更正を強要される。ヘイトスピーチを禁止する法律と共にそんな更正を強いる法律も施行されていたのだ。当初は多少の面従腹背で解放されると考えていたが、この「療養所」はそんな生易しい所ではなかった――という話である。

 この小説で面白く感じたのは、政府機関に狙われるのは主にエンタメ系の小説家で、ノーベル賞作家などが除外されている点である。これらの作家を文学的に分別するのは容易でないと思うが、非文学的なポピュリズム的で恣意的な分別基準に妙なリアリティを感じた。

 政府の意向に沿わないエンタメ作家を弾圧するというのは、あまりに極端な設定に思えるかもしれない。しかし、現代の世の中をよくよく眺めると、そんな不寛容な状況の萌芽があちこちに感じられる。

 小説家は「炭鉱のカナリア」と言われることがある。カナリアは有毒ガスのかすかな前兆を察知する。『日没』が炭鉱のカナリアのような小説だとすれば、恐ろしい。