小学館版『日本の歴史』で幕末維新を読む ― 2015年09月27日
◎1970年代刊行の『日本の歴史』
中央公論社版『日本の歴史』の『19 開国と攘夷』(小西四郎)、『20 明治維新』(井上清)を読み終えると、他の概説書では幕末維新をどう述べているかが気になり、小学館版『日本の歴史』の次の2冊を読んだ。
『日本の歴史23 開国』(芝原拓自/小学館/1975.12)
『日本の歴史24 明治維新』(田中彰/小学館/1976.2)
このシリーズは全巻持っているわけではない。古本屋でバラで入手したのが数冊あるだけだ。中央公論社版『日本の歴史』(全26巻・別巻5巻)は1960年代の刊行で、小学館版『日本の歴史』(全32巻)は約10年後の1970年代に刊行されている。いずれも古い本に違いはないが、上記2巻の執筆者(芝原拓自/名古屋市立大教授:当時、田中彰/北大教授:当時)は中央公論社版の執筆者二人より10歳以上若い。
芝原拓自氏は『開国』の冒頭部分で本書のねらいを「縦軸にアジア・世界の中の日本をおき、横軸に民衆の世直しの脈動をおいて立体的にとらえること」と述べている。この視点は田中彰氏の『明治維新』においても明確に踏襲されている。「世界の中の日本」「民衆の世直し運動」は、この2巻に共通した通奏低音になっている。
民衆を重視するという点で、小学館版の2巻のトーンは中央公論社版の2巻と似ているが、やはりニュアンスの異なるところもあり、興味深く読み進めることができた。
◎『開国』(芝原拓自)で幕藩体制は自壊したと思えた
芝原拓自氏の『開国』は、ペリー来航から大政奉還までを描いている。王政復古のクーデターや戊申戦争の前で巻を終えたのは、幕府は薩長に倒されたというよりも自壊したという認識が強いからのように思われる。
本書を読んであらためて感じたのは、幕末とは尊王攘夷の志士たちが暴れまくった時代であると同時に、農民などの一般民衆が一揆や打ちこわしで暴れていた騒然たる時代だったということだ。開国による外国との交易拡大がもたらす国内経済の環境変化も甚大で、そこには「世直し」を渇望する空気が充満していた。
民衆の動向にかなりのページを費やしている本書には「歴史の進歩」といった言葉は出てこない。しかし「不可逆の法則性」という言葉が次のように使われている。
「この時期は(…)近代日本が誕生する陣痛の苦しみを味わう時期でもある。さらにそれは、アジア東端の島国日本が、不可逆の法則性をもってブルジョア文明とパワー=ポリティックスが支配する有機的な世界史に包摂され、そこに編入せしめられてゆく画期をもなしている」
この「不可逆の法則性」のなかで、尊王攘夷の志士、薩長などの雄藩、幕府などがアレコレ動きまわるのが幕末だ。著者は、この三つの勢力(志士、雄藩、幕府)のいずれにも批判的である。歴史変動の中で民衆のエネルギーを一時的に利用することはあっても、民衆の意志や要望に応えることはなかったからである。
志士たちを批判的に論じる部分も面白いが、幕府側の動向を批判的に分析している点が興味深かった。幕府内に開明的で優秀な人材は少なくなかったが、彼らの動きはチグハグで、幕府はそれを結集できる組織形態ではなかったようだ。
著者は、幕府内の対立を「公共の政(まつりごと)」を追究するグループと「幕威幕権」を固守するグループの対立と見ている。「公共の政」とは、横井小楠をブレーンにした松平慶永らの考えで、軍事・内政・外交・交易のすべてを朝廷・幕府・藩の合体で推進するという理念である。このグループは、幕府が覇権にこだわるのは私益であるとし否定しているが、幕府の官僚たちが容易に受け容れることができる考え方ではない。
この対立は改革派と守旧派の対立とは言えない。海外情勢を知り軍備の近代化や幕藩体制の見直しを志向している「開明的」な人材が「幕威幕権」を追究しているというケースもある。徳川慶喜は慶永と対立する「幕威幕権」派のようでありながら、「幕威幕権」に執着する幕閣からは疑いの目で見られたりしている。また、攘夷や開国に関する彼らの見解がいろいろな局面でコロコロと政治的思惑で入れ替わったりするのでややこしい。
当事者たちが幕府の実力をどう自己評価しているかで考え方が異なるという点もあっただろう。文久3年8月18日のクーデターも長州征伐も幕府単独の事業ではない。結果的には、幕府はその内部のベクトルを統一できず、潜在力を活かす求心力をもてなかったので、自壊するしかなかった。本書を読むと、そう思えてくる。
◎『明治維新』(田中彰)は視野が広い
田中彰氏の『明治維新』は、中央公論社社版の井上清氏の『明治維新』より視野が広く、面白く読めた。
井上清氏の『明治維新』は明治10年の西南戦争までの記述だったが、田中彰氏の『明治維新』は西南戦争をあっさり片付け、明治12年の琉球処分までを記述している。著者は本書冒頭で明治維新の終わりをいつと見るかについて七つの説を紹介したうえで、自分は沖縄における廃藩置県だった琉球処分を明治維新終期と見なすとしている。
中央公論社版『明治維新』が刊行された時期、沖縄は米国の占領下だったが、小学館版『明治維新』の刊行は沖縄返還(1972年)の数年後である。そんな事情も二著の違いの背景にあるかもしれない。田中彰氏の『明治維新』で明らかにされている琉球処分の話は興味深い。私は数年前に『小説 琉球処分』(大城立裕/講談社文庫)などを読んでいて、ある程度知っているつもりだったが、本書であらためて認識を深くした。
田中彰氏は、琉球藩が沖縄県になった直後、前アメリカ大統領グラントの仲介で日清が取り交わした「分島・改約」案に着目している。日本が宮古・八重山を清にゆずり、かわりに清国内陸部の通商を含む列強なみの権利を得るという案である。この案は日清間で妥結していたが清とロシアの国境問題で調印がのびのびになり、廃案になったそうだ。もし、廃案になっていなければ、日本人の住む宮古島、石垣島などは今は中国領だったかもしれない。
上記の事実をふまえ、著者は次のように述べている。
『この「琉球処分」は(…)民族の一部を切りすて、犠牲にすることによって国土を画定し、日本の主権の確立をはかろうとするものであった。この「琉球処分」の意味をつつみこまない維新史は、その意図いかんにかかわらず、当時の明治政府同様、民族の一部を切り捨てて恥じることのない維新史観となりかねないのである。』
この記述からも読みとれるように、本書は民衆のエネルギーを利用して成立した明治新政府が民衆を切り捨てていくさまを批判的に描いている。
幕末から明治に時代が移っても百姓一揆などが減少したわけではない。一揆に加えて士族反乱なども発生し、政府はこれらの合流をおそれていた。そういう視点に立つと、征韓論をめぐる明治6年の政変など政府の動向のあれこれが、より明解に見えてくる。
地租をめぐる農民の闘争などもその内実は単純ではない。闘争する側にも階層があるからだ。著者は、この農民闘争に関与した福沢諭吉を、次のように手厳しく非難している。
『わずか数年まえ、四民平等・一身独立を声高らかにとなえたあの『文明開化』の旗手福沢のおもかげはもはやない。彼はいまや国権論への傾斜をしめし、官民調和論へとその主張をうつしつつあったとはいえ、これではていのよい政府の代理人、もしくは手さきになりさがったとしかいいようがない。』
明治維新とよばれる時代は、そういう混乱の時代だったのだと思えてくる。
また、本書で私が注目したのは、明治国家と幕藩体制の連続性を指摘している点である。明治国家は、革新的は倒幕勢力が固陋な幕府を倒して成立した国家ではなく、幕藩体制の遺産のうえに築かれたことが、次のように明快に述べられている。
『大久保体制は、幕藩色を濃厚にもちながらも、機構そのもをささえる中・下官僚は、意外に旧幕臣層に依拠するところが大きく、それゆえにまた列強の先進的な技術を受容、継受する能力をもっていたのである。つまり、幕藩体制内部に形成され、蓄積された技術的、実務的ひいては文化的能力をうけつぐことによって、はじめて明治国家はその創出の基礎をつくりえたのである。』
この時期の天皇に関する記述も面白い。「天皇という座の粉飾」という章では、江戸時代を通じて一般民衆にはなじみがなかった「天皇」を、いかにして国家のシンボルに仕立てあげていったかを述べていて興味深い。「近代」に突入した日本が天皇を現人神にしてしまった過程をあらためてふりかえってみると、現代の「イスラム国」が遠い国の他人事ではないと思える。歴史は進歩するのかという疑念も湧く。
中央公論社版『日本の歴史』の『19 開国と攘夷』(小西四郎)、『20 明治維新』(井上清)を読み終えると、他の概説書では幕末維新をどう述べているかが気になり、小学館版『日本の歴史』の次の2冊を読んだ。
『日本の歴史23 開国』(芝原拓自/小学館/1975.12)
『日本の歴史24 明治維新』(田中彰/小学館/1976.2)
このシリーズは全巻持っているわけではない。古本屋でバラで入手したのが数冊あるだけだ。中央公論社版『日本の歴史』(全26巻・別巻5巻)は1960年代の刊行で、小学館版『日本の歴史』(全32巻)は約10年後の1970年代に刊行されている。いずれも古い本に違いはないが、上記2巻の執筆者(芝原拓自/名古屋市立大教授:当時、田中彰/北大教授:当時)は中央公論社版の執筆者二人より10歳以上若い。
芝原拓自氏は『開国』の冒頭部分で本書のねらいを「縦軸にアジア・世界の中の日本をおき、横軸に民衆の世直しの脈動をおいて立体的にとらえること」と述べている。この視点は田中彰氏の『明治維新』においても明確に踏襲されている。「世界の中の日本」「民衆の世直し運動」は、この2巻に共通した通奏低音になっている。
民衆を重視するという点で、小学館版の2巻のトーンは中央公論社版の2巻と似ているが、やはりニュアンスの異なるところもあり、興味深く読み進めることができた。
◎『開国』(芝原拓自)で幕藩体制は自壊したと思えた
芝原拓自氏の『開国』は、ペリー来航から大政奉還までを描いている。王政復古のクーデターや戊申戦争の前で巻を終えたのは、幕府は薩長に倒されたというよりも自壊したという認識が強いからのように思われる。
本書を読んであらためて感じたのは、幕末とは尊王攘夷の志士たちが暴れまくった時代であると同時に、農民などの一般民衆が一揆や打ちこわしで暴れていた騒然たる時代だったということだ。開国による外国との交易拡大がもたらす国内経済の環境変化も甚大で、そこには「世直し」を渇望する空気が充満していた。
民衆の動向にかなりのページを費やしている本書には「歴史の進歩」といった言葉は出てこない。しかし「不可逆の法則性」という言葉が次のように使われている。
「この時期は(…)近代日本が誕生する陣痛の苦しみを味わう時期でもある。さらにそれは、アジア東端の島国日本が、不可逆の法則性をもってブルジョア文明とパワー=ポリティックスが支配する有機的な世界史に包摂され、そこに編入せしめられてゆく画期をもなしている」
この「不可逆の法則性」のなかで、尊王攘夷の志士、薩長などの雄藩、幕府などがアレコレ動きまわるのが幕末だ。著者は、この三つの勢力(志士、雄藩、幕府)のいずれにも批判的である。歴史変動の中で民衆のエネルギーを一時的に利用することはあっても、民衆の意志や要望に応えることはなかったからである。
志士たちを批判的に論じる部分も面白いが、幕府側の動向を批判的に分析している点が興味深かった。幕府内に開明的で優秀な人材は少なくなかったが、彼らの動きはチグハグで、幕府はそれを結集できる組織形態ではなかったようだ。
著者は、幕府内の対立を「公共の政(まつりごと)」を追究するグループと「幕威幕権」を固守するグループの対立と見ている。「公共の政」とは、横井小楠をブレーンにした松平慶永らの考えで、軍事・内政・外交・交易のすべてを朝廷・幕府・藩の合体で推進するという理念である。このグループは、幕府が覇権にこだわるのは私益であるとし否定しているが、幕府の官僚たちが容易に受け容れることができる考え方ではない。
この対立は改革派と守旧派の対立とは言えない。海外情勢を知り軍備の近代化や幕藩体制の見直しを志向している「開明的」な人材が「幕威幕権」を追究しているというケースもある。徳川慶喜は慶永と対立する「幕威幕権」派のようでありながら、「幕威幕権」に執着する幕閣からは疑いの目で見られたりしている。また、攘夷や開国に関する彼らの見解がいろいろな局面でコロコロと政治的思惑で入れ替わったりするのでややこしい。
当事者たちが幕府の実力をどう自己評価しているかで考え方が異なるという点もあっただろう。文久3年8月18日のクーデターも長州征伐も幕府単独の事業ではない。結果的には、幕府はその内部のベクトルを統一できず、潜在力を活かす求心力をもてなかったので、自壊するしかなかった。本書を読むと、そう思えてくる。
◎『明治維新』(田中彰)は視野が広い
田中彰氏の『明治維新』は、中央公論社社版の井上清氏の『明治維新』より視野が広く、面白く読めた。
井上清氏の『明治維新』は明治10年の西南戦争までの記述だったが、田中彰氏の『明治維新』は西南戦争をあっさり片付け、明治12年の琉球処分までを記述している。著者は本書冒頭で明治維新の終わりをいつと見るかについて七つの説を紹介したうえで、自分は沖縄における廃藩置県だった琉球処分を明治維新終期と見なすとしている。
中央公論社版『明治維新』が刊行された時期、沖縄は米国の占領下だったが、小学館版『明治維新』の刊行は沖縄返還(1972年)の数年後である。そんな事情も二著の違いの背景にあるかもしれない。田中彰氏の『明治維新』で明らかにされている琉球処分の話は興味深い。私は数年前に『小説 琉球処分』(大城立裕/講談社文庫)などを読んでいて、ある程度知っているつもりだったが、本書であらためて認識を深くした。
田中彰氏は、琉球藩が沖縄県になった直後、前アメリカ大統領グラントの仲介で日清が取り交わした「分島・改約」案に着目している。日本が宮古・八重山を清にゆずり、かわりに清国内陸部の通商を含む列強なみの権利を得るという案である。この案は日清間で妥結していたが清とロシアの国境問題で調印がのびのびになり、廃案になったそうだ。もし、廃案になっていなければ、日本人の住む宮古島、石垣島などは今は中国領だったかもしれない。
上記の事実をふまえ、著者は次のように述べている。
『この「琉球処分」は(…)民族の一部を切りすて、犠牲にすることによって国土を画定し、日本の主権の確立をはかろうとするものであった。この「琉球処分」の意味をつつみこまない維新史は、その意図いかんにかかわらず、当時の明治政府同様、民族の一部を切り捨てて恥じることのない維新史観となりかねないのである。』
この記述からも読みとれるように、本書は民衆のエネルギーを利用して成立した明治新政府が民衆を切り捨てていくさまを批判的に描いている。
幕末から明治に時代が移っても百姓一揆などが減少したわけではない。一揆に加えて士族反乱なども発生し、政府はこれらの合流をおそれていた。そういう視点に立つと、征韓論をめぐる明治6年の政変など政府の動向のあれこれが、より明解に見えてくる。
地租をめぐる農民の闘争などもその内実は単純ではない。闘争する側にも階層があるからだ。著者は、この農民闘争に関与した福沢諭吉を、次のように手厳しく非難している。
『わずか数年まえ、四民平等・一身独立を声高らかにとなえたあの『文明開化』の旗手福沢のおもかげはもはやない。彼はいまや国権論への傾斜をしめし、官民調和論へとその主張をうつしつつあったとはいえ、これではていのよい政府の代理人、もしくは手さきになりさがったとしかいいようがない。』
明治維新とよばれる時代は、そういう混乱の時代だったのだと思えてくる。
また、本書で私が注目したのは、明治国家と幕藩体制の連続性を指摘している点である。明治国家は、革新的は倒幕勢力が固陋な幕府を倒して成立した国家ではなく、幕藩体制の遺産のうえに築かれたことが、次のように明快に述べられている。
『大久保体制は、幕藩色を濃厚にもちながらも、機構そのもをささえる中・下官僚は、意外に旧幕臣層に依拠するところが大きく、それゆえにまた列強の先進的な技術を受容、継受する能力をもっていたのである。つまり、幕藩体制内部に形成され、蓄積された技術的、実務的ひいては文化的能力をうけつぐことによって、はじめて明治国家はその創出の基礎をつくりえたのである。』
この時期の天皇に関する記述も面白い。「天皇という座の粉飾」という章では、江戸時代を通じて一般民衆にはなじみがなかった「天皇」を、いかにして国家のシンボルに仕立てあげていったかを述べていて興味深い。「近代」に突入した日本が天皇を現人神にしてしまった過程をあらためてふりかえってみると、現代の「イスラム国」が遠い国の他人事ではないと思える。歴史は進歩するのかという疑念も湧く。
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