昔の新書『都市の文明イスラーム』は刺激的2022年08月19日

『都市の文明イスラーム(新書イスラームの世界史①)』(佐藤次高+鈴木董・編/	講談社現代新書/1993.9)
 何冊かイスラーム史の概説書を読み、もう少しアプローチしたくなり、次の新書を読んだ。

 『都市の文明イスラーム(新書イスラームの世界史①)』(佐藤次高+鈴木董・編/ 講談社現代新書/1993.9)

 30年近く昔に出た「新書イスラームの世界史(全3巻)」の第1巻である。「都市の文明」というタイトルでイスラーム史の成り立ちを捉えているのが目を引く。5人の研究者(佐藤次高、後藤明、清水宏祐、長谷部史彦、私市正年)の分担執筆で、7世紀から16世紀初頭までの約900年を概説している。イスラーム文明が世界の先端で輝いていた時代である。

 本書全体のトーンは、西欧に対するイスラームの先進性の確認であり、巻頭の「序言」には次のような記述がある。

 「西ヨーロッパが封建制の時代をむかえて、統一国家をつくるべくもなかった時代に、イスラーム世界では広大な地域(オリエント世界と地中海世界)を統合する巨大国家が建設され、その保護のもとで高度に洗練された都市文明を生み出したことが、世界史の展開をリードする要因となった。」

 ルネサンス以前の西欧がイスラーム世界から多くを学んださまを、明治日本になぞらえたりもしている。

 「明治以降の日本人が近代ヨーロッパを手本にしたように、中世ヨーロッパ人は、コルドバやグラナダに留学してイスラーム文化を学ぶことに、強いあこがれの気持を抱き続けた。」

 そんな西欧が、結局はイスラームから十分には学び得なかった。それが、現在の西欧の姿だ、という指摘には驚いた。次のような見解はユニークだと思う。

 「文化的には後進地域であったヨーロッパが、先進地域の中東世界と接触し、多くのことを学ぶことができた。(…)ただし、人や物のモビリティーの高さというイスラーム世界の特質そのものを、彼らが理解することはついになかった。「市民権」という名のもとに外国人を締め出そうとする現代の動きも、物の流通を考えなかった社会主義が崩壊したのも、その根は古く、この時代あたりまでさかのぼれるともいえそうだ。」

 「十字軍国家の時代にフランクは、シリア・エジプトの高度な貨幣経済や文字文化から多くのことを得た。しかし、その後の歴史が教えているように、多様な諸個人の共生を前提とする中東民衆の豊かな生活文化からは、結局あまりよく学べなかったようである。」

 先進的だったイスラーム世界もやがて変容していく。そのさまは「寛容」から「非寛容」への移行に対応している。興隆と寛容、衰退と非寛容は、どちらがニワトリか卵かはわからないが深く関連しているようだ。普遍的な教訓だと思う。

 本書ではトルコ民族の西進(突厥帝国からアナトリアへ)について次のように述べている。興味深い指摘だ。

 「ある意味では現在でも、アナトリアのトルコ化は完成していないともいえるかもしれない。東部アナトリアにはクルド系の人々が多いし、南部にはアラブ系の住民もいるからである。」

 「世界史の流れをみれば、トルコ民族の西方移動はいまも続いており、ドイツにおける出稼ぎ労働者問題も、その流れで理解すべきであるかもしれない。」

 30年近く昔の新書から新鮮な刺激をいくつか得ることができた。

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