半世紀以上前の『未来の思想』は未だに「未来の思想」だ2021年01月05日

『未来の思想:文明の進化と人類』(小松左京/中公新書/1967.11)
 昨年末に『いまこそ「小松左京」を読み直す』(宮崎哲弥)を読んだ余波で、半世紀以上前の学生時代に読んだ次の新書本を読み返した。

 『未来の思想:文明の進化と人類』(小松左京/中公新書/1967.11)

 内容の大半は失念しているが、人類の思想史をザックリと概説した大風呂敷の書との印象があり、ケインズの有効需要喚論を「こんな簡単な理論なのに…」とバッサリ片付けた記述に感嘆した記憶がある。エピグラフの「汝ら何ものか? いずこより来たりしか? いずこへ行くか?」も印象に残っている(当時、ゴーギャンの絵は知らなかった)。

 本書刊行の1967年、小松左京は梅棹忠夫や加藤秀俊らとともに未来学を提唱、翌年の1968年には日本未来学会が設立された。当時、未来学がブームだったが、学園闘争真っ盛りの騒然とした時代でもあり、未来学を胡散臭く思う風潮もあった。

 私は1970年の大阪万博を見ていない。万博開催の数年前までは万博に関心があったが、開催時には関心を失っていた。あの頃、小松左京は「ベ平連と万博を両立させてるヘンな人」と言われていた。当時、万博に対抗する「反博」運動があり、ベ平連の人々が関わっていたと思う。小松左京ファンだった私にも、小松左京はやや遠い人だった。

 『未来の思想』を読み返していて、はさみ込まれている栞に参考文献が載っているのに気づいた。当時の中公新書は書籍ごとに栞を作っていたようだ。この栞に掲載されている参考文献を眺めると当時の雰囲気がよみがえってくる。そこに掲載されている書籍をふまえて書かれた『未来の思想』は、それらの参考文献とは異質の骨太でユニークな書に仕上がっていると思えた。

 本書の前半はマクロな思想史・宗教史の秀逸な概説であり、勉強になる。後半は人類や宇宙の「進化」の検討で、小松左京がアレコレ考えていることはわかる。終章の「「進化」の未来像」が本書の圧巻だが、わかりやすくはない。「人間中心主義」への疑問、「進化」の残酷さやおぞましさも語られている。いまなお色褪せぬ「思索的SF」に思えた。

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