明日の社会を垣間見た気になる『ユートロニカのこちら側』2020年11月22日

『ユートロニカのこちら側』(小川哲/ハヤカワ文庫/早川書店)
 小川哲氏の『ゲームの王国』に感心したので、この作家のデビュー作も入手して読んだ。

 『ユートロニカのこちら側』(小川哲/ハヤカワ文庫/早川書店)

 この作品は2015年のハヤカワSFコンテスト大賞受賞作で、6話から成る連作長編である。「ユートロニカ」とは「ユートピア」と「エレクトロニカ」を組み合わせた造語だそうだ。

 近未来の奇矯な監視社会を巡る物語である。民間企業とサンフランシスコ市が共同で建設した「アガスティアリゾート」は、入居希望者が殺到する監視エリアである。入居審査があり、希望者が誰でも入居できるわけではない。

 そこの住人になれば働かなくていいのだ。その代償として個人情報を常時提供しなければならない。コンピューターに監視されていることさえ気にしなければ、快適で自由な生活が保証されている。監視社会だからほとんど犯罪はなく安全である。まるで、人々が羨望する高級リゾート地区のようだ。

 そんな「アガスティアリゾート」の内外のさまざまな人々のエピソードを積み重ねながら物語が進行していく。われわれの現実世界のすぐ先の世界を垣間見るような話である。自由に関する考察・議論も興味深く、どのエピソードにも味わいがある。

 この小説の第2話を読み始めてすぐ、読んでいるシーンにデジャブを感じた。その直後の展開もかすかに頭に浮かぶ。先の展開はわからない。内容は憶えていないが既読作品に間違いない。数年前に読んだアンソロジー『年刊日本SF傑作選』に収録されていた作品だろうと思った。読了後、そのアンソロジーを確認すると、小川哲氏の短編は収録されていたが、まったく別の作品である。狐につままれた気になる。

 もしやと思い、先々月に読んだばかりの『2010年代SF傑作選』を開いてみると、この傑作選に収録されていた。読了して2カ月も経っていないのに失念していたのだ。年を取ると昔のことは憶えていても最近のことはすぐ忘れるとは承知しているが、困ったものだ。情けなくなってくる。

 先日読んだ『ゲームの王国』の読後感に「私には未知の作家である」と書いたが、間違いだった。それ以前に少なくとも小川哲氏の作品を2編は読んでいたと判明した。自分を信じないよう心掛けねばと思う。