つげ義春の弟・つげ忠男のマンガ集を読んで…2020年10月21日

『きなこ屋のばあさん:つげ忠男漫画集』(晶文社)
 つげ義春が弟のつげ忠男のことを書いているエッセイを読んで、つげ忠男のマンガを読んでみたくなり、ネット古書店で次の一冊を入手した。

 『きなこ屋のばあさん:つげ忠男漫画集』(晶文社/1985.3.20初版 1992.7.10 六刷)

 マンガ8編に加えて、つげ忠男のあとがき風の文章とつげ義春の解説風の文章が載っている。
 
 収録マンガ8編のうち7編は『ガロ』掲載のものだ。私は半世紀以上昔の学生時代に『ガロ』でつげ忠男のマンガを読んだ気がするが内容は失念している。本書収録のマンガはすべて初読に思えた。だが、半世紀以上昔に『ガロ』でつげ忠男のマンガに接したとき、兄の七光りで掲載された、兄と似た作風のマンガだと感じた――そんな昔の感覚がよみがえってきた。

 本書巻末の「つげ忠男の暗さ」というつげ義春の文章は、先日読んだ『苦節十年記/旅籠の思い出』に収録されていたもので、次のように締めくくっている。

 「このような生活環境の影響を受けているつげ忠男の作品の暗さがウケないのは、もうしようがないことなのだろうか。でもやっぱり読んで貰いたいと、切に願わずにはいられない。」

 私が入手した本書は六刷だからそこそこに売れたとは思うが、つげ忠男は兄とは違って、今や忘れられたマンガ家だろう。彼の不幸は暗さにあるだけではなく、「つげ忠男」という名前にあったように思える。つげ義春はまことにユニークなマンガ家であり、それ故に「もう一人」は成り立たず、二人は要らないのである。

 つげ忠男がつげ義春に似ていると言っても、それは表面的かつ部分的なところであって、当然ながら違いも大きい。つげ忠男が別のペンネームでスタートすれば、別の発展があったかもしれない。