騎馬遊牧民の誕生を描いた『スキタイと匈奴 遊牧の文明』2020年10月06日

『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(林俊雄/講談社学術文庫)
 講談社の世界史叢書「興亡の世界史」の文庫版の次の巻を読んだ。

 『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(林俊雄/講談社学術文庫)

 著者は冒頭で次のように述べている。

 「本シリーズ「興亡の世界史」全21巻では、本巻に加えて、 『シルクロードと唐帝国』 『モンゴル帝国と長いその後』 と三つの巻が騎馬遊牧民に割り当てられている。あまたある「世界史もの」の中で、このように騎馬遊牧民が優遇された例はかつてない。従来の歴史学では、騎馬遊牧民に関する記述は、その重要性にもかかわらず、多くはなかったのである。」

 本書の元版の刊行は13年前の2007年6月である。その頃から騎馬遊牧民は注目され始めたようだが、私が中央ユーラシアの歴史に関心をいだき、騎馬遊牧民の役割の大きさを知ったのは、ほんの数年前だ。

 本書の前半はスキタイ、後半は匈奴の話である。中央ユラーシア史の概説書の冒頭に登場するのがヘロドトス(前5世紀の人)が記したスキタイと司馬遷(前2世紀の人)が記した匈奴である。スキタイは前7~8世紀から数百年活躍したイラン系の騎馬遊牧民、匈奴は前3世紀から数百年活躍したモンゴル系かトルコ系の遊牧民である。

 スキタイや匈奴については概説書数ページ程度の知識しかなかったが、本書によってかなり詳しく知ることができた。匈奴に関しては『史記』や『漢書』の記録があるが、スキタイはヘロドトスの伝聞記録が残っているだけである。したがって、本書は考古学資料に基づいた記述が多い。遺跡発掘のレポートに近い内容から学術研究の現場の生々しい空気が伝わってくる。

 西のスキタイ、東の匈奴というイメージがあるが、両者の活動領域は東西に大きく広がり重なっている。スキタイの文化は東に伸びているというよりは、その起源が東にあるようだ。匈奴も分裂しながら西方に移動し、ゲルマン民族大移動のひきがねになったフン族は匈奴の後裔とも言われている。騎馬民族の移動距離の大きさには「世界」を感じる。本書の次の記述が印象的である。

 「シルクロードというと、一般にはすぐオアシスルートを連想されるようだ。(…)しかし張騫が開いたというオアシスルートよりも200~300年前に、アルタイを結節点として、草原を通る交流の道、いわゆるシルクロードの草原ルートが開かれていたのである。」

 本書の終章のタイトルは「フン族は匈奴の後裔か?」で、「フン族=匈奴」説を検討している。可能性はかなり高いが「まだ証拠が不十分」というのが、著者の結論である。部族の自称や他称にはいろいろブレがあり、確証を得るのは容易ではなさそうだ。冗談に近い事例だが、チャーチルはローズベルト宛の書簡の中でドイツ人を「フン」と呼んだそうだ。遠い未来人がこの書簡を誤読する可能性がないとは言い切れない。