ついに夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読了2020年05月07日

『ドグラ・マグラ』(夢野久作/夢野久作全集4/三一書房)
 コロナ籠城を機の「読みかけ放置本退治」で、マルケスの『百年の孤独』に続いて夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んだ。

 『ドグラ・マグラ』(夢野久作/夢野久作全集4/三一書房)

 この本を読みかけたのは半世紀近く昔の大学生の頃である。当時、戦前の怪奇幻想小説の再評価がブームだったような気がする。『ドグラ・マグラ』については「探偵小説を超えた文学」「個体発生は系統発生をくり返すということを描いている」などと聞いていたような気がする。ワクワク気分で読み始めたがあえなく挫折した。

 挫折した理由はよくわからない。「胎児よ/胎児よ/何故躍る/母親の心がわかって/おそろしいのか」という巻頭歌や「チャカポコ・チャコポコ…」という奇妙な祭文は印象に残っているが、読み続けることができなかった。根気がなかったのだろう。巻末の解題によれば、発表当時(昭和10年)の探偵文壇でもこの千二百枚の小説を通読した人は多くはなかったらしい。

 今回の籠城読書では2日かけて読了した。脱線気味にも思える蘊蓄話が延々と続きながらも、探偵小説の形になっていて、終盤の怒涛には引きこまれた。と言っても、探偵小説として見れば、かなり怪異なテーマではあるがさほど複雑に入り組んだ話ではない。こけおどしのように見えなくもない。

 この小説の面白さは怪奇探偵小説的な部分にあるのではない。小説の中には「祭文」「論文解説」「談話記事」「遺言書」「寺の縁起文」などの異様な内容の長文の文書が挿入されている。本編部分より挿入文書の方が分量は多いかもしれない。そんなアンバランスな構成になっていて、小説を読みながら別の文書を読まされている気分になり、それが不思議な読書体験になる。作者が乗り移ったと思われる登場人物たちの偏執狂的な執念が伝わってくる。語り口も異様である。そこが、この小説の面白さであり、魅力だと思う。

 出口のない迷路を彷徨い続けているような小説である。

 なお、「ドグラ・マグラ」という言葉の意味は、小説中の登場人物が「今では単に手品とか、トリックという意味にしか使われていない一種の廃語同様の言葉だそうです。語源、系統なんぞは、まだ判明しませんが、強いて訳しますれば、今の幻魔術もしくは『堂廻目眩』『戸惑面喰』という字を当てて、おなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしいというお話しですが、(…)」と述べている。