文楽公演で人形も「飛び六方」を踏むと知った2020年02月25日

 国立劇場小劇場で久々に文楽を観た。今月は三部制になっていて、観たのは第三部の次の二つの演目である。

 傾城恋飛脚
 鳴響安宅新関

 『傾城恋飛脚』は飛脚宿の養子忠兵衛が遊女梅川を身受けするために公金を横領して逃走する話である。

 3年前に同じ劇場で文楽の『冥途の飛脚』を観ているし、歌舞伎でも同じ演目を観たことがある。台本は近松門左衛門の『恋飛脚大和往来』である。『傾城恋飛脚』は近松門左衛門の作品を別の作者が改作したものだそうだ。実話ベースのエンタメにいろいろなバージョンがあるのはわかるが、以前の台本を「改作」するというおおらかさに演劇の基層のしたたかな強さを感じる。

 今回の『傾城恋飛脚』は『新口村の段』というやや地味な場面で、心情の機微を表現する話である。毎度のことながら、人形を使ってそんな芝居をするのに感心する。

 『鳴響安宅新関』はいわゆる『勧進帳』である。歌舞伎で観たことはあるが、文楽で観るのは初めてである。この芝居では太夫の語りに圧倒された。歌舞伎では「語り手」だが文楽では「演者」だと実感した。

 また、幕切れで人形の「飛び六方」があるのにも驚いた。花道のある歌舞伎では「飛び六方」が見せ場だが、花道のない文楽でも人形が立派に「飛び六方」を踏んでいた。