『物語イタリアの歴史』は拾い読みでなく通読するべき本2020年02月07日

『物語イタリアの歴史』(藤沢道郎/中公新書)
 数年前、塩野七生氏の『皇帝フリードリッヒ2世の生涯』を読んだとき、この皇帝への関心から次の本を入手し、その第4話を読んだ。

 『物語イタリアの歴史:解体から統一まで』(藤沢道郎/中公新書)

 本書は人物を中心にした次の10話で構成されている。

  第1話 皇女ガラ・プラキディアの物語
  第2話 女伯マティルデの物語
  第3話 聖者フランチェスコの物語
  第4話 皇帝フェデリーコの物語
  第5話 作家ボッカチオの物語
  第6話 銀行家コジモ・デ・メディチの物語
  第7話 彫刻家ミケランジェロの物語
  第8話 国王ヴィトリオ・アメデーオの物語
  第9話 司書カサノーヴァの物語
  第10話 作曲家ヴェルディの物語

 第4話のフェデリーコは神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒのイタリア読みである。ドイツよりイタリアを好んだこの異能の皇帝にはフェデリーコの方がふさわしい。18世紀プロイセンのフリードリッヒ大王とも区別できる。

 私が本書の第4話だけしか読まなかったのは、他の9人には未知の人物も多く、知っている人物もイタリア史を語る材料としてはかなり特殊で、人選がいびつな趣味的歴史エッセイだろうと判断したからである。

 いったんは書棚の奥にしまった本書を取り出して通読する気になったのは、ダンヌンツィオやムッソーリーニの伝記を読んで、自分がイタリア史全体の概要をつかんでいないと感じたからである。古代ローマ史の本は何種類か読んではいるが、それ以降の歴史は頭の中でぼやけている。高校世界史を読み返したことはあるが、その内容の大半は失念している。

 というわけで本書を通読し、その面白さに引き込まれた。人物中心の趣味的歴史エッセイと思ったのは間違いだった。本書は細切れに拾い読みするような本ではなく、第1話から第10話までを通読すべき本であった。通読することでイタリア史の全体像が浮かび上がる仕掛けになっている。

 目次を眺めると、なぜカサノーヴァやヴェルディを使ってイタリアの歴史を語るのだろうとの疑問がわくが、本書はそれらの人物の評伝ではない。人物は歴史という大きな物語を提示するための脇役にすぎない。人物の料理の仕方も辛辣かつ洒脱で諧謔もあり、名人芸のようでもある。

 イタリアの歴史がわかりにくいのは、ローマ、ヴェネチア、フィレンツェ、ミラノ、シチリアなどにそれぞれ別々のバラバラなイメージがあり、そこにフランス、スペイン、オーストリア、ドイツなどの周辺国が絡んできてゴチャゴチャするからである。要は、統一が遅かったので明快な歴史のイメージを紡ぎにくいのである。

 本書を通読すると、そんなイタリアの歴史とは「イタリア統一の試みの挫折をくり返す物語」だとわかる。イタリア史の全体的イメージがおぼろに見えてきた気がする。