半世紀ぶりに『もう一人のヒト』の内容を確認2019年09月21日

 紀伊国屋ホールで青年劇場公演『もう一人のヒト』(作:飯沢匡、演出:藤井ごう)を観た。初演は1970年、今回の公演は「飯沢匡没後25年記念」と謳っている。

 飯沢匡という喜劇作家の名は私が高校生の頃には新聞や雑誌でよく目にしていた。だから、よく知っている人のように感じていたが、考えてみると飯沢匡の芝居を観た記憶も著作を読んだ記憶もない。

 『もう一人のヒト』という題名は記憶に残っている。秀逸なタイトルである。それが喜劇で、「ヒト」が人間宣言をした天皇を指すとは知っていた。それ以上のことは知らない。どんな芝居なのか興味を抱いたまま半世紀近い時間が経過した。あの印象的なタイトルの芝居の上演を知り、内容を半世紀ぶりに確認したく、チケットを手配した。

 上演時間は3時間5分(休憩15分を含む)と、かなり長い。退屈はしなかったが、ややモノ足りなかった。天皇制に切り込むブラック・コメディを予感していたが、「しんみり」「ほのぼの」の印象が残る芝居である。あまりに普通なのが意外だった。

 この芝居は熊沢天皇をヒントにした終戦時の話である。南朝の末裔を自称する「熊沢天皇」のことは子供の頃に聞いて驚いた記憶がある。天皇をコメディの材料にするのは、昔も今もキワドイ話になりやすく、勇気が必要である。飯沢匡が「熊沢天皇」をどう料理したか、その反骨精神に期待したが、肩すかしをくらった気がした。

 よくできた面白い芝居だとは思うし、これ以外の具体的な料理法も思いつかない。だが、天皇制を徹底的に相対化し、その戦争責任あるいは無責任に踏み込むハチャメチャな内容にする可能性があったのではとも思う。