『世界』『中央公論』『正論』のピケティ特集を読んだ2015年03月26日

『世界 2015年3月号』『中央公論 2015年4月号』『正論 2015年4月号』
◎三誌三様のスタンス

 『世界 3月号』『中央公論 4月号』『正論 4月号』が軒並みピケティ特集をしている。さほど売れているとは思えない総合月刊誌は、右も左も中央(?)もピケティを忠臣蔵のような「独参湯」と捉えているようだ。

 三誌の特集名は以下の通りで、スタンスがかなり違うように見える。

 『世界』  不平等の拡大は防げるか(32ページ)
 『中央公論』ピケティの罠:日本で米国流格差を論じる愚(44ページ)
 『正論』  哀れなり、「ピケティ」騒動(37ページ)

 普段、総合月刊誌は読まないが、『21世紀の資本』を読んだいきがかりで上記三誌の特集に目を通した。

 一般に『世界』はヒダリ、『正論』はミギと見なされている。高名な『中央公論』のスタンスはよくわからないが、資本的には読売新聞傘下になっている。傾向の異なるこの三誌が、欧州的左派の経済学者・ピケティ(フランス社会党のオランド現大統領を支持)の『21世紀の資本』をどう料理しているかに興味があった。

◎量も質も『中央公論』が充実

 三誌の特集記事は以下の通りだ。執筆者の肩書は雑誌に掲載されていたものを抜粋。便宜上、雑誌ごとの連番([世1][世2]など)を付した。

『世界』
   [世1]話題のピケティを読む:誤読・誤謬・エトセトラ…伊東光晴(京都大学名誉教授、理論経済学)
  [世2]『21世紀の資本』の紙背を読む…間宮陽介(京都大学名誉教授、経済理論)
  [世3]不平等を縮小させるには…ロバート・ライシュ(カリフォルニア大学バークレー校教授)
  [世4]支配のシステム:自由主義的民主主義が不平等を拡大する…ウォルデン・ベロー(フィリピン共和国下院議員、フィリピン大学教授)

『中央公論』
  [中1]『21世紀の資本』が問う読み手の「知」…猪木武徳(青山学院大学特任教授)
  [中2]なぜ日本で格差をめぐる議論が盛り上がるのか…[対談]大竹文雄(大阪大学教授)、森口千晶(一橋大学教授・スタンフォード大学客員教授)
  [中3]ピケティ神話を剥ぐ:不平等はr>gの問題なのか?…竹森俊平(慶應義塾大学教授)
  [中4]格差の原因は「資産」だけでない…原田泰(早稲田大学政治経済学術院教授)
  [中5]税金データからの推計には限界がある…M・フェルドシュタイン(ハーバード大学教授)
  [中6]格差拡大は証明されていない…C・ジャイルズ(『フィナンシャルタイムズ』経済部長)
  [中7]みなさんの疑問に答えましょう…トマ・ピケティ(経済学者)
  [中8]早わかり『21世紀の資本』…広瀬英治(読売新聞ニューヨーク支局長)

『正論』
  [正1]『21世紀の資本』の欺瞞と拡散する誤読…福井義高(青山学院大学教授)
  [正2]『再分配こそ正義』という陥穽… 仲正昌樹(金沢大学教授)
  [正3]左翼たちの異様な喜びはキモくないか…中宮崇(サヨクウォッチャー)
  [正4]グローバリズムの亜種としての『21世紀の資本』…柴山桂太(滋賀大学准教授)

 『世界』『正論』の4本に対して『中央公論』は8本、しかもピケティ本人の「みなさんの疑問に答えましょう」という記事まである。これが、[中1]~[中6]をふまえた回答なら秀逸な企画だが、そうではなく、既報のインタビューや講演を再構成した記事だった。[中7][中8]の10ページは特集のオマケのようなものだから『中央公論』は実質6本だ。とは言え『中央公論』の特集が質的にも最も充実していると思えた。

◎全面批判の記事はない

 私の予断では、『世界』がピケティを持ち上げ、『正論』がピケティに難癖をつけ、『中央公論』はどっちつかずか、などと思っていた。だが、そんな単純で図式的な見方は裏切られた。

 三誌の記事を通読して意外だったのは、大半の執筆者が『21世紀の資本』をかなりの程度評価していることだ。評価した上で、いくつかの疑念を提起している記事が多い。その疑念には雑誌それぞれのイロが滲み出ている。

 記事のいくつかは、ピケティ・ブームを論じたもの([正2][正3])や、ピケティをダシにした自論展開([世2][世3][世4])だった。これらは、『21世紀の資本』の内容の妥当性や評価を知りたい私にとって、当面は関心外だ。

◎『世界』の伊東光晴氏が最もシビア
  
 やや意外なことに、ピケティに対して最もシビアな見方をしているのは伊東光晴氏だ [世1]。老いてなお元気なアベノミクス批判急先鋒のリベラル派・伊東光晴氏は、ピケティが新自由主義を論じていない点などを指摘し、「かれの本は、資本主義についても、現代資本主義についても分析のメスをふるってはいない」と批判し、ピケティが提唱する資産課税についても「課税の原則に反する」として全否定している。次のような記述もある。

 「(ピケティの本は)経済理論の発展とは何の関係もない。経済政策上も影響はないものと思われる」

 他誌のいくつかの記事のピケティ評価を抜粋すると、以下のような調子だ、

 「ピケティの野心的な試みは、「経済学は大事な問題を扱う学問なのだ」というメッセージを発信する上で大きな効果があった。ただ、科学的著作としての『21世紀の資本』の評価が確定したとは言い難い。」[中1]

 「単なるブームで終わらせず、本書に触発されて成長率と不平等の関係を徹底して吟味することが、知識人の役目だと思われる。」[中2]

 「経済格差に関する基礎データをわかりやすい形で提供することで、『21世紀の資本』は事実に基づく冷静な議論を可能にした。ただし、そのグローバル国家主義に基づく政策提言は、欧米エリートと主要メディアが許容する範囲内に終始した、陳腐な政府介入論の域を出ない。」[正1]

 やはり、三誌の特集記事を執筆した経済学者の中では伊東光晴氏の評価が最も厳しいように思われる。

◎r>gが格差拡大をもたらすのか?

 私が『21世紀の資本』を読んだとき、これは経済理論の本ではなく別の何かだと感じた。本書のキー・コンセプトである「r(資本収益率)>g(経済成長率)」も現象を表しているだけで理論の提示ではない(本書の補足のウェブでは理論展開もあるらしい)。

 経済理論の本ではないと思うのは素人読者の勝手で、経済理論を研究する経済学者にとっては「r>gの持続が格差拡大をもたらす」というピケティの主張の妥当性を理論的に検証しようとするのは当然の誠実な態度だ。

 そんな態度が見られるのが[世1][中1][中2][中3][正1]などである。門外漢の私には、これらの反論の妥当性をただちには判断できない。このような反論があるということを留意して、もう少し勉強せねばとは思う。

◎刺激的な表題だが……

 特集の表題にある「ピケティの罠」「哀れなり」という惹句は刺激的で煽情的でもある。だが、特集記事全体の内容を反映しているとは言えない。東京スポーツの見出しのようなもので、『中央公論』も『正論』もピケティ大批判を展開しているわけではなく、羊頭狗肉に近い。

 「ピケティの罠」という表題の意味は、ピケティを援用して日本の経済問題を論じることへの警鐘のようで、いくつかの記事にはそのような指摘の箇所もある。それは、当然の注意事項、留意事項のようなもので、とりたててあげつらう問題とは思えない。表題は針小棒大・羊頭狗肉だが、日本の現状分析をふまえた記事は課題の掘り下げになっていて興味深い。

 「哀れなり」という冷笑的なトーンは、品がいいとは言い難い[正3]の反映のようだ。他の『正論』の記事はさほど冷笑的ではない。私は、[正1]や[正4]が指摘するグローバリズムや移民と格差の問題は、検討が必要な論点だと思えた。また、世襲や相続については家族制度の社会的意義とからめて論じなければならないとする[正4]の指摘には、そんな社会学的視点もあり得るのかと少々驚いた。

 いずれにしても『21世紀の資本』は、今後の社会がどうなっていくかをいろいろな論点から考えたくなる刺激的な本だと改めて認識した。

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