『ローマ帝国衰亡史』の前半5巻を読んだ2014年07月13日

『ローマ帝国衰亡史(1)~(5)』(E・ギボン/中野好夫・朱牟田夏雄訳/ちくま学芸文庫)
◎前半分で一区切り

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史(1)~(10)』(中野好夫・朱牟田夏雄訳/ちくま学芸文庫)を購入したのは5年ほど前、塩野七生の『ローマ人の物語』を年1巻のペースで読んでいた頃だ。『ローマ人の物語』の合間に読もうと思って購入したが、はじめの方を少し読んだだけで放り出していた。

 いつかは、この高名な大著を読まねばと気になっていて、今春、むら気で読み始めた。1冊500ページほどの文庫本で10冊、かなりの分量である。その前半の5巻を何とか読み終えた。全10巻を読了したら読後感メモでも作ろうと思っていたが、前半で一段落させることにした。

 というのは、5巻目で西ローマ帝国が滅亡してしまったからだ。何となく、西ローマ帝国の滅亡はもう少し先だろうと思っていたら、きっちり半分で滅んでしまった。この先の後半は東ローマ帝国の話になっていくようだ。

 このまま読み進めると、10巻目を読み終える頃には前半の記憶が消えてしまいそうなので、とりあえず前半5巻までで、おさらいをする気になった。

 前半5巻は第1章から第38章で、扱っている年代は96年から582年まで、ローマ帝国最盛期の2世紀から西ローマ帝国滅亡までの約500年だ。第38章の次には「西ローマ帝国滅亡の総括」というタイトルの文章がついている。ギボンもここで一区切りとしていたようだ。

◎ギボンは江戸時代の人

 ギボン(1737-1794)は18世紀の英国人、日本だと江戸時代の人になる。同世代の日本人を調べると杉田玄白が4歳上だ。玄白らの『解体新書』の刊行が1774年、『ローマ帝国衰亡史』の刊行開始は1776年、近世の古典である。翻訳のおかげで、江戸時代の日本の古典よりは楽に読める。

 と言っても、司馬遼太郎や塩野七生の著作のようなわけには行かない。18世紀の英国人向けに書かれた歴史書である。スラスラとは読めない。本書は、ローマ史やキリスト教史についての基本的素養があり、ヨーロッパの地理に通暁している人々を読者に想定しているようで、そんな素養のない私には難儀であった。

◎座右に電子辞書

 記述は面白いのだが、おびただしい固有名詞(人名、地名、民族名など)に悩まされた。

 『ローマ人の物語』全15巻を読了し、関連本も少しは読んでいたので、多少のローマ史はカジったつもりになっていたが、数年前に読んだ本のディティールは霧消している。名前を見てイメージがわく人物は多くない。

 陸続と登場する人名のうち歴代皇帝は各巻の巻末に要領のいい解説が付いている。事前にこれに目を通してから本文を読んだ。前半5巻で、巻末に載っている皇帝の数は83人になる。もちろん、皇帝たちは『ローマ帝国衰亡史』の登場人物群のほんの一部にすぎない。皇帝には家族がいるし、皇帝僭称者も少なくない。政治家、軍人、宗教家、敵方の指導者、歴史記述者など数多くの人物が次々に登場してくる。

 大部の長編小説を読むとき、頭が混乱しないように登場人物のリストを作りながら読むことがある。『ローマ帝国衰亡史』は小説ではなく歴史書なので登場人物の多さは半端ではない。500年の歴史を語っているのだから、登場人物が膨大になるのは仕方なく、うかうか読んでいるとすぐに頭が混乱してくる。

 人物リストを作りながら読めば理解が深まっただろうが、膨大な数の人物リストを作る元気はなかった。かわりに電子辞書を座右において読み進めた。ブリタニカ、マイペディア、世界史事典などが同時検索できる電子辞書で、重宝した。

 電子辞書で登場人物の情報を仕入れながら読み進めると、少しは物知りになった気分になる。もちろん、辞書に載っていない人物も多い。辞書を引くことによって、その人物の知名度や重要性をある程度つかむことができるのは、知識不足の私には有り難かった。

◎地名と部族名もタイヘン

 当然のことながら、知らない地名もたくさん出てくる。歴史地図で場所を確認しながら読み進めるべきだと思っていたが、いちいち立ち止まるのは面倒なので読み飛ばすことも多かった。

 だが、地名に対してなんらかのイメージがなければ、記述内容への興味がわきにくく、書物の世界に没入できない。時々は歴史地図をじっくり眺めて、国名や地域名、都市名、河川・山脈・海峡・砂漠などの地理を頭に入れておかなければと感じた。

 本書の冒頭では最盛期のローマを概説していて、ローマ帝国属州を十数ページにわたって解説している。この部分にかなり多くの地名が出てくる。それらをていねいに地図で確認しておけば、先を読み進めるのに有益である……と、後から思った。

 地名に関連してゲルマン人、ガリア人だのカンタブリア族、アストゥリア族だの、おびただしい数の「○○人」「△△族」が出てくる。よく聞く名称もあるが、知らない名称も多い。知っている名称でも概念をつかみにくいものが多い。これらも電子辞書のお世話になりながら読んだ。とは言っても、読み飛ばすことの方が多かった。

◎ギボンは辛辣な啓蒙思想家

 塩野七生の『ローマ人の物語』は、反キリスト教、反一神教の視点で書かれていて、共感できる点も多かった。

 ギボンはキリスト教徒である。英国国教会だが、カソリックに傾きかけたこともあるそうだ。本書を読む前にそのことは知っていたので、キリスト教の立場からのローマ帝国史だろうと思っていた。

 しかし、事前に思っていたほどにはキリスト教的ではなく、キリスト教の横暴さを辛辣に記述している。三位一体のカソリックが正統であるという立場からの記述が多いのは確かだが、ギボンの宗教的視点はあまり明解ではない。宗教に対してかなり醒めていると思えた。

 ギボンの生きた時代は、人間の理性を重視し非合理を排する啓蒙思想の時代で、ギボンも啓蒙思想の人だ。そのせいか、ギボンの考え方や見方は現代の私にも違和感なく受け容れられる点が多い。

 本書の中で興亡する主な宗教は、ローマの伝統的な多神教、キリスト教のアリウス派、カソリックの三つである。最終的にはカソリックが勝利するわけで、総じてどの宗教に対しても辛辣なギボンも結局のところカソリックの勝利をよしとしているように読める。キリスト教の功罪両面を記述しているのが啓蒙主義的だ。

 伝統的な多神教を未開で遅れた宗教と見なしているのも啓蒙主義者たるゆえんだろう。ただし、伝統的な多神教への回帰をめざした背教者ユリアヌスに対してはあまり辛辣でない。ユリアヌスは前半5巻で記述される皇帝たちの中で一番魅力的である。

 啓蒙思想に関係しているかどうかはわからないが、ギボンの記述スタイルはオチャメである。もって回った皮肉屋的な表現は、英国流ユーモアのようでもあり、辛辣で愛嬌がある。固有名詞がスラスラと頭に入ってくれば、こういう部分をもっと楽しみながら味読できるだろうと感じた。

◎どのように衰亡したか

 ギボンはローマ帝国衰亡の原因はキリスト教と蕃族の侵入にあるとしている、という話は本書を読む前に聞いていた。前半5巻を読了して、そのように読めるとは思ったが、ローマ帝国がなぜ滅びたかを論じている本ではないと感じた。

 本書はローマ帝国衰亡の原因を分析しているわけではなく、あくまで事象の記述の積み重ねである。なぜ衰亡したかではなく、どのように衰亡したかを語っている。

 ギボンはローマ史のディティールを語りながら、それぞれの場面での自身の見解や人物評を吐露している。人物評には辛辣なものも多く、その部分だけをまとめても面白そうだ。今も昔も人間の行動の愚かさは変わらないなあという気分にもなる。

 歴代皇帝におかしな人やとんでもない人が多いのにも、あらためて驚かされる。こんな皇帝を戴いてあの大帝国がよく持続したものだとも思え、滅亡に向かうのは必然だったようにも感じられる。

 だが、そんな感想になるのは「皇帝」という言葉のイメージによるまやかしかもしれない。いい意味でも悪い意味でも、ローマ帝国の「皇帝」はその言葉のイメージよりは軽い存在だったと思われる。

 ローマ帝国衰亡の原因を論じているわけではないにしても、本書の「キリスト教」に関する言及と「蕃族」に関する言及は膨大で詳しい。かなり力を入れて書いているようだ。そして、これらの部分が私にはかなり読みにくかった。原始キリスト教から始まる「○○派」「△△派」「□□派」などの違いはわかりにくいし、多様な蕃族の錯綜には悩まされた。基礎素養不足が原因だから仕方ないのだが。

◎蛮族という言葉

 本書には数多くの蛮族が登場し「蛮族」という言葉が頻出する。読み進めていくうちに、この「蛮族」ということばにやや違和感を覚えた。「蛮族」という字面には獰猛な野蛮人というイメージがあるが、本書に頻出する蛮族は必ずしもそうではない。蛮族といっても多様であり、ローマと対立してばかりいるわけではなく、協同したり同化したりもする。蛮族出身のローマ軍将軍も少なくない。

 ラテン語の「蛮族」の語源は「よく分からない言葉をしゃべる人」という意味だそうだから、翻訳語の「蛮」に問題があるのかもしれない。「蛮族」を異郷の人・地方の人(ローマ人から見て)ぐらいのイメージでとらえた方がわかりやすそうな気がした。

 啓蒙思想の歴史観は、野蛮は文明へ進歩するという進歩史観だそうだ。本書の「蛮族」という言葉には文明への進歩途上の民族というプラスのイメージが含意されているのかもしれない。

 ギボンの時代も現代も、ヨーロッパの文明国の大半は元々は蛮族の国であり、ギボンも蛮族の末裔の一人である。

◎副読本がほしい

 『ローマ帝国衰亡史』を読み進めながら感じたのは、座右に置く副読本がほしいということだ。本書の中にも地図や家系図などは収録されているが、それだけでは足りない。人名事典、事項事典、年表、図解歴史地図、生年没年が一覧できる人物年表、人物相関図などを、本書に沿う形式でわかりやすくまとめたものがあればいい。既にどこかから出版されているかもしれないが。

 そんなことを考えながらふと思った。おかしな言い方になるが、『ローマ帝国衰亡史』の最適な副読本は、やはり『ローマ帝国衰亡史』自身かもしれない。要は、再読、再々読……と繰り返し読むことによってしか楽しむことのできないやっかいな本かもしれない、ということである。

現代を反映した『新・ローマ帝国衰亡史』2014年07月21日

『新・ローマ帝国衰亡史』(南川 高志/岩波新書)
◎21世紀のローマ帝国衰亡史

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読了してから読もうと思っていた『新・ローマ帝国衰亡史』(南川 高志/岩波新書)を、ギボンの前半読了段階で読んだ。西ローマ帝国の衰亡がメインテーマだろうと推察したからだ。

 この岩波新書と著者・南川高志氏(京大教授)については、今年4月19日の日経新聞文化面の記事で知った。「ローマ帝国滅亡に新解釈 --- 変容説との議論活発に」という見出しの記事だった。西ローマ帝国の衰亡に関する最近のいろいろな学説を紹介し、「(ローマ帝国の)衰亡をめぐる議論は、現在の国際情勢を考える上でも参考になりそうだ」としていた。

 本書のオビには「歴史学の最新の成果が描き出す21世紀の帝国衰亡史」とあり。興味をそそられる。

 まず、本書によって認識を新たにしたのは、歴史解釈は時代の産物だということだ。解釈者の生きている時代状況が歴史の見方に反映されるのは、考えてみれば当然のことではある。「歴史に学ぶ」「歴史を学ぶ」ことの面白さと微妙さを感じる。

 というわけで、2013年5月に出版された本書は、現代のわれわれの時代状況を反映した帝国衰亡史である。

◎寛大で流動性が高く、国境の曖昧な帝国

 著者は、ローマ帝国を「地中海帝国」と見るのではなく、アルプス以北の広大な帝国領(辺境)にウエイトを置いた「大河と森」の帝国と見なければならないという。この地域が帝国の帰趨を決める舞台だったからだ。

 この地域におけるローマ帝国の境界は大河や防壁だが、それは軍事境界線ではなかったらしい。考古学的裏付けによれば、これらの境界を越えて多くの人や物が往来しており、境界地帯はさまざまな人が混ざって生活するゾーンだったようだ。ローマ帝国とは「国境線なき帝国」だったのだ。

 また、最盛期の帝国を担っていた「ローマ人」そのものも曖昧な存在だった。「ローマ人」とは部族や民族の名称ではない。「ローマ人」になるには、出自は関係ない。ローマ国家の約束ごとに従い、その伝統と習慣を尊敬する者なら誰であろうと「ローマ人」になれたのだ。
 また、ローマ帝国は身分制の社会だったが、その身分も固定的ではなく、社会的流動性は高かった。

 そんなローマ帝国は強力な軍隊によって維持されていた。だが、ローマ帝国を国家として実質化させていたのは軍隊そのものではなく、「ローマ人である」という兵士たちの自己認識だった、と著者は指摘する。本書のポイントである。

◎「ゲルマン民族」は存在しなかった

 ローマ帝国の衰亡といえば、ゲルマン民族の大移動が思い浮かぶが、「ゲルマン民族」というくくり方には問題があるそうだ。「ローマ人」が特定の民族を示さないとの同様に、「ゲルマン人」「ゲルマン民族」という呼称で固定的な集団を特定することはできないらしい。
 そもそも、当時のローマ人の間には「民族」という区別の観念が存在しなかった。敵対する人々を「蛮族」と見なす意識があっただけだ。
 「民族」へのこだわりが発生したのは近代になってからである。

 ローマ人が蛮族に悩まされたのは確かだが、「ローマ人」になってしまう蛮族も多かった。蛮族出身の将軍は多く、皇帝になった者もいる。ローマ帝国はコントロールされたフロンティアの新たな活力によって隆盛を維持していた。「ローマ人」というアイデンティティが、排除ではなく統合の機能を果たしていたのだ。

◎アイデンティティの変質と「排他的ローマ主義」の発生

 隆盛を維持していたローマ帝国は、フン人に追われたゴート族の侵入をきっかけに変質していく。
 統治能力の衰えた皇帝がフロンティアを放置して現地まかせにし、「ローマ人」だった地方有力者が下層農民を支配下におくことで独立意識がめばえる。そして、「ローマ人である」という自己認識は薄れていく。
 また、ゴート族の侵入によって外部部族出の人々への嫌悪感がローマに広がり、キリスト教の国教化によって非キリスト教徒を排斥する動きが出てくる。そして、「排他的ローマ主義」ともいうべき偏狭な保守思潮が発生する。
 著者はこの時代の様子を次のように述べている。

〔四世紀の後半、諸部族の移動や攻勢を前に「ローマ人」のアイデンティティは危機に瀕し、ついに変質した。そして、新たに登場した「ローマ」を高くかかげる思潮は、外国人嫌いをともなう、排斥の思想だった。つまり、国家の「統合」ではなく「差別」と「排斥」のイデオロギーである。これを私は「排他的ローマ主義」と呼んだが、この思想は、軍事力で実質的に国家を支えている人々を「野蛮」と軽蔑し、「他者」として排除する偏狭な性格のものであった。この「排他的ローマ主義」に帝国政治の担い手が乗っかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。国家は魅力と威信を失い、「尊敬されない国」へと転落していく〕

 この一節を読んで、現代のわれわれの世界のアレコレを連想する人は多いだろう。

 著者によれば、ローマ帝国は370年代中頃までは劣勢ではなかった。それが、5世紀初めには実質的に滅亡してしまう。数百年の繁栄を誇った帝国はわずか30年で滅んでいったのである。
 著者は、ローマ帝国は外敵に倒されたのでなく、自壊したのだと述べている。

 「自分はローマ人だ」と自己認識する人がいなくなると、ローマという帝国は霧消する。当然とも言える。それが、悲しむべきことなのか、喜ばしいことなのかは、よくわからない。

『おおづちメモリアル』で少年時代へタイムスリップ2014年07月23日

『おおづちメモリアル』(榊原隆介/作品社/2008.3)
◎少年時代の情景が甦ってくる

 『おおづちメモリアル』(榊原隆介/作品社)という小説を読み、懐かしさに泣けて、思い出ポロポロ状態になった。
 舞台は岡山県玉野市、時代は昭和35年、主人公は小学生、私の少年時代とそっくり重なっている。小説を読み進めながら、記憶の底から遠い昔の情景が少しずつ浮きあがってくるゾクゾク感を味わった。

 この小説のことは、当ブログにいただいた コメント で知った。玉野市のことを書いたところ、「通りすがり」の同郷の方から紹介されたのだ。

 『おおづちメモリアル』は第九回 岡山・吉備の国「内田百閒文学賞」受賞作で、出版されたのは6年前だ。著者の榊原隆介氏は略歴によれば昭和23年生まれ、私と同い年である。

 小説は昭和35年夏の渋川海水浴場から始まる。私は子供の頃、夏休みにはほぼ毎日のように渋川海水浴場に通っていたから、一気に小説の世界に引き込まれた。

 明晰で素直な語り口の少年小説で、主人公の晋介は著者を投影した人物だと思われる。昭和35年夏、晋介は小学5年生である。著者と同じ昭和23年生まれの私は昭和35年夏には小学6年生だったので、1年の違いが少し気になった。

 タイトルの「おおづち」は海岸からよく見える三角形の無人島で、私もこの島を眺めながら育ってきた。数年前に亡くなった父が撮りためた写真にもおおづちが写っているものが何枚かあった。その中の1枚を掲載した。

 小説の舞台や出来事は、私の記憶につながる部分もあるし、知らない部分もある。
 渋川海水浴場に「黒い花びら」の水原弘が来たエピソードは記憶にない(地元に宮城まり子が来た記憶はある)。
 この小説のシンボルである「おおづち」が火事になったことはかすかに憶えているが、燃える様子は目撃していない。

 ・・・そんなことを書き連ねるとキリがないのだが、晋介の通う小学校は、私の通った第二日比小学校(渋川海水浴場に一番近い小学校)とは違うと感じた。読了後、小説の記述と地図を照らし合わせて、晋介が通っていたのは隣りの日比小学校だと推定できた。近所とも言えるが別の地区なので微妙に体験が異なっているのかもしれないと思った。

◎50年前の記憶を探る

 この小説を読み終えてしばらく経って、ふと気付いた。小学校は違っていても、私と晋介は中学は同じだったはずだ。小学生を主人公にした小説なので中学までは思いいたらなかった。日比小と第二日比小の卒業生はすべて日比中学に進学することになっていたのだ。

 そう思って、あらためて著者の「榊原隆介」という名を眺めた。知らない名前だ。だが、気になるので、本棚の奥から中学の卒業アルバムを引っ張り出して調べてみると、別のクラスに「榊原隆介」がいた。もちろん写真もある。著者はこの写真の少年だと推察される。

 その少年の写真をしばらく眺めたが記憶は甦ってこない。われわれは団塊世代で、中学は10クラスあり、1クラスは50人以上だった。五百数十人の同学年をすべてを憶えているわけではない。

 とは言っても、卒業アルバムの3年生の時は別のクラスでも、1年か2年で同じクラスだった可能性はなくもない。

 そんなことを考えていると、50年という時間の彼方から「サカキバラ」とう名とともに、教師と生徒のある会話シーンがぼんやりと浮かび上がってきた。教師は中学の数学教師だった。以下のような会話だ。
 教師「サカキとは、神さまにそなえる木のことだ」
 生徒「せんせい、それはチャチャキです」
 教師「では、おまえはチャチャキバラなのか」

 この記憶が事実なら、私は榊原氏と同じクラスだったことになる。
 そんなかすかな記憶をふまえて、あらためて卒業写真の榊原隆介少年を眺めていると、知った顔のようにも思えてきた。

 65年も人生をやっていると、自分の記憶力のあやふやさは自覚しているし、記憶の捏造があることもわかっている。卒業写真を凝視しながら記憶の捏造が始まっているのかもしれない。