興福寺仏頭(山田寺仏頭)は魅力的だった2013年10月24日

 東京藝術大学大学美術館で開催されている「国宝興福寺仏頭展」に行ってきた。
 仏像にさほど興味があるわけではないが、中学生の頃、教科書でこの仏頭の写真を観て強い印象を受けた。遠くを見るような穏やか表情に惹かれたのは確かだが、頭部だけが焼け残った破損仏だという点が興味深かった。

 と言っても、わざわざ奈良にまで観に行こうと思うこともなく数十年が経ち、64歳になった。で、今回の「国宝興福寺仏頭展」に足を伸ばし、期待以上の満足を得た。

 最近、有名作品の美術展は平日でも混雑していて、ゆったりと作品を観る雰囲気ではなく、うんざりすることが多い(私のようなリタイアした団塊世代のせいかもしれないので文句は言いにくいが…)。だが、「国宝興福寺仏頭展」は懸念したほどには混雑していなかった。

 もちろん、混雑していないだけで満足したのではない。展示場の雰囲気がとてもよかったのだ。かなり広い空間に十二神像を配し、その奥の中央に仏頭を置いた展示は、よく工夫されている。仏頭を取り巻く空間そのものが巨大な造形で、その中に身を置いて古代を体感している気分になれる。

 仏頭そのものも当然ながら魅力的だった。360度どこからでも観ることができるのも感動だ。写真では観たことがなかった後頭部の大きな陥没には息を呑んだ。欠損のある左耳の部分が火災で歪んでしまっていることも、今回はじめて知った。
 端正な顔立ちの背後にある陥没や歪みがこの仏頭に悠久の時間を刻印し、独特の魅力を醸し出している。実物を観てあらためてそれを確認できたのが、大きな満足を得た理由である。

 なお、蛇足ではあるが「国宝興福寺仏頭展」という表記にかすかな疑問を感じた。中学生の時には「興福寺仏頭」と記憶したが、高校生の時に日本史の教師から「あれは山田寺仏頭である」と訂正されたような気がする。
 昭和になって再発見されたこの仏頭は、遠い昔、興福寺の僧が山田寺から掠奪して来たものだ。周知の史実だが、現在、「興福寺仏頭」と「山田寺仏頭」のどちらの表記が正しいとされているのだろうか。展示会の主催者が興福寺だから「国宝興福寺仏頭展」になったのか、それとは関係なく「興福寺仏頭」がやはり一般的なのか。

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