「攘夷」と「文明開化」を再考する2011年09月03日

『幕末・維新:シリーズ日本近現代史(1)』(井上勝生/岩波新書)、『攘夷の幕末史』(町田明広/講談社現代新書)
◎政局でなく大局で幕末を見る

 幕末とは、さまざまな対立があちこちで頻発した政局の連続だった。それぞれに対立の理由はあったのだろうが、現在の目からは対立軸がわかりにくいケースも多い。
 政局とは、当事者にはそれなりの意味があっても部外者には理解しがたいものである。ささいな違いに見えることが当事者には大きな違いだったり、まったく考えの違う者同士が手を組んだり、何でもありなのが政局だ。今回の首相交代にしても、後世の歴史家から見れば、この時期に菅首相から野田首相に交代した理由はわかりにくいだろう。
 理念や政治哲学とは無関係に、人間集団の微妙な力学で状況が動くのが政局である。

 とは言っても、幕末史を政局の連続と眺めているだけでは歴史変動の実相は見えてこない。次の2冊は、幕末史をある程度は大局的に眺める一助になる。

『幕末・維新:シリーズ日本近現代史(1)』(井上勝生/岩波新書)
『攘夷の幕末史』(町田明広/講談社現代新書)

 2冊とも比較的新しい新書本で、東アジアの中の日本という視点で幕末維新を解説している。

◎幕府の外交と江戸社会を評価

 井上勝生氏の『幕末・維新』は江戸幕府の外交や内政を再評価し、江戸社会を成熟した柔軟な仕組みの社会だったと高く評価している。
 たとえば、江戸幕府は一揆を厳禁したり弾圧していたのではない。一揆を訴願や献策として受け容れる仕組みがあり、それによって「柔軟性のある支配」を維持していたそうだ。
 また、ペリー来航以前から幕府はかなり詳しい欧米情報を収集していて、それらの情報をふまえて、ペリーやハリスを相手に堂々とした外交を展開していた。
 ハリスが総領事として来日し、アメリカとの条約の利点を2時間にわたった大演説したときも、幕府側はメキシコ、トルコ、ヨーロッパなどでの事例に基づいてハリスの偽言を指摘・証明している。幕府には外交の力量があったのだ。

 井上勝生氏は、幕末の幕府の外交、つまりは修好通商条約の締結などを現実的で合理的だったと評価し、それに対する朝廷の対応を批判している。孝明天皇の「攘夷」は、非合理な神国思想と大国主義思想に基づいた冒険的すぎる考えだとしている。
 いたって常識的で妥当な見方だと思う。しかし、同時代の人々がそうは考えなかったので、幕末は動乱の時代になってしまった。

◎文明開化とは何か

 動乱の果てに幕府は瓦解し、明治政府が誕生する。明治政府は「旧来の陋習を破る」とし、「文明開化」を標榜する。しかし、江戸社会がすでに成熟した文明社会だったとすれば「開化」などは不要だったのだ。

 この点に対する著者の指摘は鋭くて面白い。

 「旧来の陋習」という言葉は、江戸社会を前近代的で未開な社会とする見方だ。欧米が未開に対してもっていた差別的な見方の引きうつしである。井上勝生氏は、旧幕府はそのような欧米の未開観を受け容れなかったが、明治新政府は、欧米中心の「未開と文明」の見方にみずから同調したと指摘している。鋭い見解だ。

 薩摩藩や長州藩では、藩政改革が進んでいたとは言え、その社会は江戸に比べて柔軟制や成熟度が低かったので、薩長の幹部たちは文明開化が必要と考えた、という見方も成り立つかもしれないが。

 また、著者は「明治政府は、かつては黙認されていた一揆そのもをいっさい容赦しないという強硬方針に大きく転換した」と指摘し、「激化した民衆運動を抑え込むことこそ、明治政府の文明開化の中心線の一つだった。」と述べている。文明開化とは柔軟な社会から硬直した社会への移行だったのだろうか。

◎みんな攘夷だった

 現実的で合理的だった幕府が瓦解し、非合理な神国思想と大国主義思想に基づいた攘夷派が天皇をかついで権力を奪取する。井上勝生氏によれば、それが明治維新であり、薩長によるあらたな天皇制近代国家の誕生である。

 しかし、薩長だけが攘夷派ではない。町田明広氏の『攘夷の幕末史』は、あの頃は日本人の全員が「攘夷」だったと述べた本だ。
 確かに尊王攘夷は当時の誰もが口にするスローガンだった。幕末の政争を「攘夷 vs. 開国」とか「尊王攘夷 vs. 公武合体」と見るのは単純すぎて、その視点からはわかりにくい情景も多い。全員が攘夷で、その攘夷の中身についていろいろな意見があった、と考える方がすっきりしそうだ。

 そもそも、幕末とは政治理念の争いではなく、過激度競争や主導権奪取の権謀・クーデターの時代だった。争点と思想には齟齬があったと思われる。

◎大攘夷と小攘夷

 町田明広氏によれば、そもそも日本の攘夷思想は遣唐使廃止の頃から発生した「東夷の小帝国」主義であり、中国に倣った「華夷思想」である。近代風に言うなら、海外侵略を射程にいれた帝国主義思想である。

 幕末に外国と通商条約を締結してからは、攘夷熱が急速に高まっていく。条約反対が攘夷派で条約賛成が反攘夷(開国)派のように見えるが、開国派=反攘夷派ではない。開国派の人々は、攘夷のためには国力を高めなければならないので、まずは開国しなければならないと考えていたのだ。

 現状の武装では負けるので、通商条約締結で利益を蓄えて武装を整えてから攘夷をしようというのが「大攘夷」で、通商条約をすぐに破棄しろというのが「小攘夷」である。
 前者については、そんな迂遠な道をとってまで、なぜ「攘夷」をするのかという気がするが、それは現代人の感覚で、当時の人々にとって「海外侵略」は当然の目標だったのかもしれない。

◎征韓論とそれからの攘夷

 中学や高校の歴史の授業で「征韓論」に接したとき、違和感があった。西郷隆盛や板垣退助は「征韓論」が否認されたので下野し、一方は西南戦争を起こし、一方は自由民権運動を始めたという物語への違和感である。
 「征韓論」とは簡単に言えば韓国を軍事的に攻撃しようという議論で、戦後民主主義の世界で育った子供には、否認されて当然のトンデモナイ暴論に見えたのだ。

 『幕末・維新』や『攘夷の幕末史』にも、征韓論への言及がある。当時の人々にとって、征韓論が当然の課題のように見えるのは、それが攘夷思想=帝国主義思想の一環だったからだろう。
 欧米がアジアに進出してきた時代である幕末は、帝国主義が始まる時代でもあった。かなりの海外情報が入ってきていた日本にも、そういう時代の空気が伝わってきていたに違いない。
 幕末とは、日本が藩を超えた「国家」を意識せざるを得なくなった時代であり、ナショナリズムが発生した時代である。そして、同時代の当然の趨勢として海外侵略の気分までもが湧き出た時代だったようだ。開明的な人ほど、海外からの侵略を防ぐには、侵略される前に侵略して覇権を確立するのが上策だと考えたのかもしれない。そんな時代の空気を表す合言葉が攘夷である。

 その攘夷思想は日清戦争、日露戦争のバックボーンであり、太平洋戦争にまで突き進む。『攘夷の幕末史』は以下のセンテンスで終わっている。
「先の未曾有の大戦も、つまりは、幕末の呪縛によるものだ。」

 現代のわれわれは、その呪縛から完全に解放されているのだろうか。

『ローマ人の物語』の文庫版、ついに完結2011年09月07日

『ローマ人の物語(1)~(43)』(塩野七生/新潮文庫)
 新潮文庫版の『ローマ人の物語』(塩野七生)が完結した。ハードカバーの単行本全15巻が文庫では43冊になった。単行本版は2006年に完結しているが、私は文庫版で読んできた。2011年9月刊行の41、42、43冊目『ローマ世界の終焉』を読み、やっと、この長い物語を読み終えた。

 読み始めたのは、文庫版の16冊目が刊行されていた2004年だった。単行本の『ローマ人の物語』が刊行され始めた頃、書店の店頭で眺めることはあったが、自分には縁のない本だと思い、敬遠していた。しかし、文庫版を読んでいた知人から本書の面白さを聞いたのがきっかけで読み始めた。

 読み始めると、引きこまれてしまった。既刊分の文庫本を一気に読み終えてからは、毎年9月に刊行される続刊が待ち通しかった。単行本が先行しているから、そちらに乗り換えてもよかったのだが、その気にはならなかった。

 文庫版の『ローマ人の物語』の特長は、1冊の薄さにある。単行本1巻を2~4冊に分割していて、1冊200頁前後だ。近年、製本糊の向上のせいか、分厚い文庫本が増えている。立方体のような文庫本もある。しかし、混んだ電車の中でも気軽に読むには、文庫本は薄いに限る。
 薄い文庫本は、物理的に軽いというメリットに加えて、1冊を読了したというささやかな達成感を頻繁に体験できるという効用もある。『ローマ人の物語』のような延々と続く歴史物語では、この小さな達成感がメリハリになる。
 
 そんなわけで、単行本に乗り換えずに文庫本で年1巻(文庫本で数冊)のペースで読み続けた。昨年の9月、『キリストの勝利』(38、39、40)を読了したとき、最終巻を待つ1年は長いなあと思った。で、最終巻が出るまでの1年の間にギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読んでおこうと考え、ちくま学芸文庫版の全10巻を入手した。しかし、1巻目の前半で止まったままウカウカと時は過ぎていった。1年は短い。

 塩野七生氏の『ローマ人の物語』の魅力は、語り口の軽快さにある。学者の文章ではなく作家の文章だ。この語り口が、薄くて瀟洒な文庫本にマッチしている。ハードカバーの単行本だと、私は本書を読了できなかったかもしれない。

 著者が15年かけて書いた長大な物語を7年かけて読んだわけだが、時間をかけてコマ切れで読んだせいか、あまり長さを感じなかった。退屈する部分はなく、43冊のほとんどを一気に読んだような気がする。

 本書はおよそ1千年のローマ史であり、ローマの黎明期からローマ帝国の滅亡までを描いている。「ローマ人の物語」というタイトルが示すように、それぞれの時代の人物に光をあてて描いた人物論的な大歴史物語だ。
 古代史の本ではあるが、はるか昔の遠い国の人々の話という気がしない。登場人物の多くが、わたしたちの同時代人のように感じられる。物語のあちこちに散りばめられた塩野七生氏の感慨やつぶやきの多くは、そのまま現代日本への警句になっている。
 
 読みようによっては、かなり教訓的な内容とも言える。しかし、それが鼻につくわけでもイヤミでもなく、現代日本の男たちを叱咤激励しているように感じられる。ある週刊誌である女流流行作家が「団塊世代の男が読む女流作家は塩野七生さんだけ」とボヤいていたが、むべなるかなである。
 塩野七生氏の歯切れのいい指摘が、私たち団塊世代の男性を惹きつける魅力をもっているのは確かだ。

 何はともあれ、この著作が存在しなければ、私が古代ローマ史の面白さに惹かれることはなかっただろう。塩野七生氏へ感謝。

神戸文学館の小松左京展を見た2011年09月12日

 所用で関西に行ったので、足を伸ばして小松左京展を見てきた。
 小松左京展は、JR灘駅から徒歩10分弱の神戸文学館で開催されている。開催期間は2011年7月22日から9月25日まで。小松左京展開催中の7月26日に小松左京氏は亡くなった。

 東京からは遠いので、小松左京展に行くことは考えていなかった。たまたま関西に行くことになり、チラシを確認するとまだ開催中なので、見に行くことにしたのだ。

 私は関西での居住経験はなく、JR灘駅で下車したのも初めてだった。知らない町をのんびりと歩くのは、何となくワクワクして気分が高まる。

 日曜日の午前中のせいか人通りはまばらだ。駅前の坂道を上がって行き、小さな動物園を左折してしばらく行くと、神戸文学館にたどりついた。赤煉瓦に三角屋根の瀟洒な建物だ。いかにも神戸風である。ひっそりとたたずんでいて看板も目立たない。教会を思わせる大きな木製のドアを自ら開けて館内に入る。だれもいない。受付もない。館内はさほど広くはない。

 小松左京展は入場無料だ。展示ゾーンの一角が小松左京展になっていた。さほど大規模な展示ではない。生原稿、ノート、古い掲載誌などとともに、パネル写真が何枚も展示されていた。

 やがて、私以外にも何人かの入場者がやって来たが、館内は静かだ。ふと、西東三鬼の『神戸』を思い出した。第二次大戦下の神戸のホテルの浮世離れした不思議な世界を連想したのだ。神戸文学館の常設展示ゾーンには神戸に多少でもゆかりのある文学者を紹介していたが、西東三鬼はなかったような気がする。私の見落としかもしれないが・・・

 この不思議な雰囲気の空間で開催されている小松左京展で私が最も面白く思ったのは、昔のSF作家クラブの記念写真だ。温泉旅行の写真で、旅館の「歓迎 日本SFサッカークラブ様」という大きな看板を真ん中に若い作家たちが写っている。

 「日本SF作家クラブ」を「日本SFサッカークラブ」と勘違いされたという有名なエピソードは、何度か読んだことがある。だが、現物の写真を見たのは初めてで、その看板の大きさと迫力に圧倒され、笑いがこみあげてきた。
 それにしても、この写真に写っている日本SF作家第1世代の人々(小松左京、星新一、筒井康隆、光瀬龍、眉村卓、豊田有恒・・・)は、みんな本当に若い。サッカー選手には見えないが、日本SFの青年期を彷彿させる。こんな写真を、静かな浮世離れした空間で眺めていると、タイムスリップ感覚におそわれる。

 神戸文学館を出て、だらだらとした坂道をJR灘駅に向かって下っていくとき、筒井康隆氏の短編「平行世界」が頭に浮かんだ。阪神地域と思われる坂道の町が同じ地形が無限に連続する異世界に変貌する印象深い小説だ。
 小松左京氏の小説ではなく筒井康隆氏の小説が頭に浮かんだのは故人に申し訳ない気もするが、小松左京展に触発されて頭がSFモードになっていたのだ。おそらく、本日は小松左京氏の四十九日だと思う。あらためて合掌。

脱原発は文明論である2011年09月21日

『福島の原発事故をめぐって:いくつか学び考えたこと』(山本義隆/みすず書房/2011.8.25)、『原発社会からの離脱:自然エネルギーと共同体自治に向けて』(宮台真司・飯田哲也/講談社現代新書/2011.6.20)
『福島の原発事故をめぐって:いくつか学び考えたこと』(山本義隆/みすず書房/2011.8.25)
『原発社会からの離脱:自然エネルギーと共同体自治に向けて』(宮台真司・飯田哲也/講談社現代新書/2011.6.20)

◎元・東大全共闘代表の著作

 書店の店頭で『福島の原発事故をめぐって』が目に止まった。かつての全共闘運動のシンボルでもあった東大全共闘代表・山本義隆氏の著作だからだ。
 予備校教師を続けている山本義隆氏が在野の研究者として物理学の本を多数執筆していることは知っていた。毎日出版文化賞や大仏次郎賞などを受賞した『磁力と重力の発見(全3巻)』は数年前に読んだ。しかし、本書を目にしたとき、意外な感じがした。時事的・社会的テーマの本に思えたからだ。
 山本氏の身の処し方は、ある意味でストイックである。著作は物理学や物理学思想に関するものだけで、全共闘運動や自身に関しては何も語らず、外国旅行もしていない。そんな彼が社会へのメッセージ性のある本を公にするのは『知性の叛乱』(1969.6.15/前衛社)以来ではなかろうか。

 そんな思いが脳裏をよぎり本書を購入した。薄い本なので一気に読了できた。タイトルの通り、福島の原発事故について考察し、かなり根源的に脱原発を説いた内容だった。

 本書を読んだのをきっかけに、脱原発の根拠について少し勉強してみようと思い、『原発社会からの離脱』も読んだ。

◎私の考え

 私自身は、3.11以降、原発は止めるべきだと考えている。無毒化に何万年もかかる放射性廃棄物を作りだしてしまうという致命的な欠陥があるからだ。
 かつて、地球上には放射性物質が大量に存在していた。その放射性物質が長い時間をかけて崩壊し、放射線を出さない安定した物質になった。そして、地球上に多様な生物が発生したと考えられている。
 核分裂によってエネルギーを取りだすという技術は、現在の地救上から消滅した放射性物質を生成してしまう。この技術には、世界を生命発生以前の環境に変えてしまう危険性がある。対処不能な本質的に危険な技術だと思う。

 そんな考えを前提にこの二つの本を読んだ。
 
◎壮大で明快な論旨

 『福島の原発事故をめぐって』は薄い本だが論旨は壮大で明快だ。3つの章に分かれている。

 最初の章では、日本における原発開発の源流に「核兵器開発の潜在力を維持したい」という国策があったと指摘している。原子力の平和利用が国策であったのは間違いないが、その背景に外交政策・安全保障政策があったと考えるのは自然だと思える。

 第2の章では、原子核物理学という理論から原子核工学という技術に至る距離の大きさを述べ、放射性廃棄物を生成する原発は未完成の技術だと指摘している。当然の指摘だ。

 第1と第2の章は、原発批判の典型となる考察である。本書でユニークなのは「科学技術幻想とその破綻」というタイトルの第3の章である。この章で著者の真骨頂が発揮されている。
 福島原発事故を考察する科学史家・山本義隆氏の視野は16世紀文化革命・17世紀科学革命にまで遡る。そして、次のように科学技術幻想を断罪する。

 「福島原発の大事故は、自然に対して人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた」

 原発事故の淵源をガリレオやデカルトから出発した科学思想に求めるというのは、壮大で根源的な文明論的反省である。かつて、全共闘運動が「近代合理主義という強固な壁」を乗り越えようと苦闘した(と私は思う)ことを想起した。

◎元・原子力ムラ住人の興味深い考察と提言

 『福島の原発事故をめぐって』がアウトサイダーの学究が書斎で考察した静かな書だとするなら、『原発社会からの離脱』は政治経済や社会現象の現場に近い研究者二人が縦横無尽にしゃべり合ったにぎやか書である。

 おしゃべりな社会学者・宮台真司氏主導の本かなと思ったが、飯田哲也氏の主張や解説が中心の内容だった。宮台氏は聞き役兼コメンテータという役所だ。この二人は1959年生まれの同世代だそうだ。山本義隆氏より18歳若い。

 原発の技術的非合理性、社会的非合理性を論じた対談だが、自然エネルギーへのシフトが強調されている。
 本書には「知識社会」という言葉が頻出する。それはヨーロッパにはあるが日本では形成されていないものだそうだ。一言で言うと「ヨーロッパは進んでいる。日本は遅れている。」という内容である。北欧やドイツの紹介はあるが、原発国・フランスへの言及はない。本当のところはよくわからないが、著者たちのような見方もありうるだろうなという気はしてくる。

 山本義隆氏は原発開発の源流に核兵器開発の潜在力維持の考えがあったとしているが、宮台氏は「核武装うんぬんは政治オンチの戯言」と述べている。脱原発思想から左翼的硬直性を排除したいという考えだろう。眺めている時間の違いもありそうだ。

 また、二人とも地球温暖化懐疑論を非知的な考えとして退けている。反原発の広瀬隆氏との大きな違いだ。私は、地球温暖化論は原発推進のための陰謀だとまでは思わないが、電力会社が原発推進のために温暖化論を政治的に利用したのは確かだと思う。原発と温暖化論は検証すべきテーマの一つだ。

 飯田哲也氏は3.11以降テレビでよく見るが、本書によって経歴などを初めて知り、興味深い人物だと思った。原子核工学を専攻し、神戸製鋼で原発関連の仕事に従事し、電力中央研究所でIAEA関連の業務に携わっていたそうだ。いわゆる「原子力ムラ」出身者で、現在は環境エネルギー政策研究所所長である。かなり幅の広い人物のようだ。

 本書で面白いのは、飯田氏の語る原子力ムラや日本の官僚たちの生々しい実態である。確かに、何とかしなければ日本はダメになると思えてくる。
 本書は、原発推進の社会を形成してきた日本の官僚制や政治経済などの問題点を指摘するだけでなく、それを打開する方策も述べている。打開策実施のキーワードは経済合理性の導入である。
 と書くと、かなり現実的な提言の書のように思えるが、必ずしもそうとは言い切れない。社会が変わるには、それを構成する一人ひとりの意識が変わらなければならいという点も指摘されていて、かなり文明論的でもある。
 そこに、山本義隆氏の考察と通底するものを感じた。

私が『小説 琉球処分』を読んだ3つのきっかけ2011年09月28日

『小説 琉球処分(上)(下)』(大城立裕/講談社文庫)
 大城立裕氏の『小説 琉球処分(上)(下)』(講談社文庫)を読んだ。この小説を読むには、次の3つのきっかけがあった。

(1) 今年の春、沖縄旅行をした時、那覇の書店で「菅首相が読んだ」という手書きビラを添えて本書が平積みになっているのを見て、沖縄史を知るためにも読んでおこうかなと思った(旅行の荷物になるので購入せず、帰京後しばらくして入手)。

(2) 東日本大震災を契機に、歴史変動への関心から幕末維新史の本を読むようになり、明治の「琉球処分」に関する記述に遭遇するたびに、未読のこの小説が気になった。

(3) 幕末維新の時代の琉球王国を扱ったNHK BS時代劇『テンペスト』の最終回を見て、積んだままのこの小説を読まねばと急かされる気分になった。

 読み始めると面白くて、一気に読み終えた。フィクションの部分があるとしても、歴史を短時間で体験したような気分になれるのは歴史小説の魅力だ。

 『小説 琉球処分』が出版されたのは1968年、私が大学生の頃だ。その当時から本書の存在は知っていた。タイトルが印象的だったからだ。「琉球処分」という言葉に接したのは、その時が初めてだった。当時の多くの日本人が、そうだったのではないかと思う。

 40年以上前のその頃、沖縄はパスポートがなければ行くことができない遠い地だった。1ドル360円の当時、パスポートを持っている人は少なく、海外旅行は夢だった。
 そして、「米国帝国主義」に占拠された沖縄は「奪還」の対象であり、学生運動のホットな政治テーマのひとつだった。
 いま思えば不思議な気もするが、沖縄とは米国から「解放」しなければならない虐げられた地域という気分が強かった。日本が琉球王国を併合した歴史がある、という認識はあまりなかった。

 だから、「琉球処分」という言葉に接して少し驚いたのだと思う。私たち団塊世代は高校の日本史でも琉球処分について教わっていない、と思う(昔の教科書を確認していないので不確実だが、同世代の友人数人も同意見)。当時の沖縄は「日本」史から抜け落ちていたのだろうか。

 現在の高校日本史の教科書には「琉球処分」という言葉が出ている。また、倅が使った中学社会の教科書(平成5年版)を見ると、これにも琉球が沖縄県になる経緯の記述があった。教わってこなかったのはわれわれの世代だけかと、軽いショックを覚えた。

 そんなことを考えたのは、菅直人前首相も私たちとほぼ同じ世代だからだ。この文庫本のオビには次のように書いてある。

 「数日前から『琉球処分』という本を読んでいるが、沖縄の歴史を私なりに理解を深めていこうと思っている」内閣総理大臣 菅直人 

 この文庫本には佐藤優氏の解説が載っていて、これが面白い。オビにあるコメントについての言及もある。首相が『琉球処分』を読んでいると発言したのがきっかけで、古書市場で『小説 琉球処分』の価格が高騰し、急遽、講談社文庫版(本書)が刊行されたようだ。
 『小説 琉球処分』は明治政府による「琉球王国→琉球藩→沖縄県」への移行を描いている。佐藤優氏は、この琉球処分がその後も2回反復されていると指摘している。1回目は1972年の沖縄返還であり、2回目は鳩山首相時代から迷走を始めて現在も継続中の普天間問題だという。傾聴に値する指摘だ。この3つの琉球処分は国家と地域のコミュニケーション不全の問題でもあり、安易な解決が難しい問題だ。

 『小説 琉球処分』を読んで、あらためて感じたのは、ちょっと変に聞こえるかもしれないが「国際化」ということであり、「日本も決して特殊な国ではなく、多くの異国と似たような課題を抱えているのだなあ」という感慨だ。

 民族的には沖縄人もヤマト人も同じ日本民族である。だから、琉球処分を民族問題と捉えるのは間違いかもしれないが、多くの国が抱える民族問題に似た要素もあったと思う。
 世界のあちこちに民族問題、宗教問題、部族問題などが存在し、民族自決主義が正解でないことはもはや明らかである。わが日本は単一民族国家なので、多民族国家の情況を理解しにくと言われている。
 しかし、単一民族国家の安逸は幻想である。国境を越えたコミュニケーションの増大は、さまざまな軋轢を生じながらも、やがては国家の形を変えていくだろう。本書を読み終えて、そんな未来の国家の形を望見したい気分になった。