歴史の勉強の難しさと面白さが伝わってくる『学校で習わない日本の近代史』2010年12月21日

『学校で習わない日本の近代史:なぜ戦争は起こるのか』(横内則之/文芸社/2010.8.15)
 『学校で習わない日本の近代史:なぜ戦争は起こるのか』(横内則之/文芸社/2010.8.15)を読んだ。「あとがき」で著者は「私は、専門家ではなく、浅学菲才の一介の歴史好きにすぎない」と述べている。これは謙遜で、該博な知識と知見に基づいた読みでのある本だった。
 巻末の著者プロフィールによれば、横内氏は1945年生まれ、トヨタ自動車に長く奉職し、トヨタ紡績の専務取締役、常勤監査役を歴任し2008年6月に退任している。

 そして、退任の3カ月後の2008年9月から4カ月間「地球1周の船旅」に参加している。実は私もこの船旅、つまり「第63回ピースボート地球一周の船旅」に参加した。ついでに言えば、私は著者より2歳下だが、著者と同じように2008年6月に仕事をやめ、その3カ月後に乗船した。
 そんなわけで、乗船中に著者の顔と名前は存知あげていたが、お話しをする機会はなかった。乗船中に知り合った別の人からのメールで、横内氏が本書を上梓したことを知った。

 著者が「はじめに」に書いているように、本書はピースボートの船内で著者が開設した自主企画講座『日本の近代(明治維新から東京裁判まで)』で12回にわたって話した内容を元にしている。
 ピースボート(著者は本書において「ピースボート」という言葉を使わず「地球1周の船旅」で通している)の乗客の約半数は20~30歳代の若者(あとの半分は中高年)で、この自主講座は「日本史をきちんと学んでいないであろう若者たち」を対象に開いたようだ。

 私は、船内で『日本の近代』という自主講座が開かれていることは知っていたが、一度も参加しなかった。今から思えば、残念なことをしたと悔やんでいる。
 この自主講座に参加しなかった理由の一つは、ピースボート・シンパによる進歩的文化人的・戦後民主主義擁護的な内容だろうと思って敬遠したのだ。やがて、参加した人の話から、そういう内容ではないということが分かった。ラバウル寄港の前に船上で開催された「戦没者慰霊祭」の仕掛け人が横内氏であることも聞いていた。しかし、船上で「お勉強」するのが億劫なこともあり、この講座に参加することはなかった。

 この講座の最終回のタイトルは「なぜ戦争は起こるのか」だった。参加した知人に「で、結論はどうだったんですか」と尋ねると「戦争はなくならない、という話だった」という答えが返ってきた。「戦争をなくそう」という理念をもっていると思われるピースボートの船内の自主講座でそんな結論を話すとは面白いなと思った。
 その知人は同時に「横内さんは、何であんなによく知っているのだろう。歴史資料にもずいぶん詳しい」と感心していた。

 ……そんな、ささやかな体験をふまえて本書を読んだ。
 明治維新からサンフランシスコ講和条約に至るまでの歴史をていねいに解説すると同時に、さまざまな歴史事項への著者の評価も織り込まれている。私の知人が著者の該博な知識と知見に感心したのも納得できる。また、今回の船旅も含めて、著者が歴史的な場所を訪れたときの感想や、著者のビジネスマンとしての見聞に基づいた感想なども挿入されていて興味深い。

 本書は10章で構成されている。各章末に「まとめ」というタイトルの箇条書きの要約が載っているのが親切でうれしい。
 第4章「第一次世界大戦と大正デモクラシー」の末尾には以下のような一節もある。
 「これ(社会主義思想、国家改造論、軍部主導の国家総動員体制の準備などの風潮)に対し、政治が本来の役割を果さず、無為無策を続ける内に、国民に政治不信がつのり、昭和の動乱の芽が育まれていった。平成の今日と、どこか似通ったところの多い時代であった。」
 
 私にとって、本書によって蒙を啓かれた気分になった事象がたくさんあった。いちいち挙げると煩雑になるので個別事象の紹介はしない。歴史的事象の背景にはさまざまな力学がはたらいていて、歴史を知るということは一筋縄ではいかないということを、本書のさまざまな事例からあらためて認識した。
 歴史とは常に勝者の視点で語られるものだから、歴史の実相を捉えるのは簡単ではない、ということは分かっているつもりだったが、本書を読みながら「歴史の勉強の難しさと面白さ」を感じることができた。

 私たちが過去の歴史を振り返るとき、すでにその後の展開を知っているので結果論から眺めることができる。日中戦争や太平洋戦争も、敗戦で終わることを知ったうえで、当時の事項を眺めることになる。だが、結果を知っているからと言って歴史を正しく評価できるわけではない。
 歴史上の人々の言動や行動についても、だれが正しくてだれが間違っているかの評価は人によって異なるだろう。「歴史が評価してくれる」という言葉もあるが、時間が経過したからと言って、評価が簡単に定まるわけではない。

 結局のところ、歴史を勉強するということは、歴史を掘り下げていくことによって歴史の見方を更新し、現代につながるさまざまな事象への自分なりの捉え方を構築していくことになるのだと思う。より多くの国民が「歴史好き」にならなければ、国も社会も危うくなるだろう。
 本書には、そんなことを考えさせてくれる教育的な効果もあり、それが表題の「学校で習わない・・・」につながっているように思えた。

コメント

_ 横内則之 ― 2011年01月17日 00時00分

神登山様
 偶然、このブログを拝見いたしました。第63回ピースボートで御一緒だったとは奇遇でした。ご面識のないまま下船しましたことは誠に残念です。

 今日の混迷を見るにつけ、なぜ日本がこのように劣化したのかを鑑みると、その根源は、戦後の教育及び、55年体制による慣れ合い、無責任体制にある様に思います。それらは、あの悲惨な戦争の反動からきたものであり、戦後の民主国家、経済大国建設にそれなりの意義はありましたが、一方で、国民の精神、倫理観を著しく貶めてきたように思います。
 また、なぜあのような無謀な戦争(そう思っていた軍の要人は多数いた)をしたのか、その原因を自ら深く総括することなく、単に軍部を悪者にして一億総免罪を得るがごとき安易なやり方で誤魔化してきたために、占領政策に唯々諾々と従い、戦後60年にもなっていまだに自立できないでいるのは、まさに我々自身の問題であると言うしかありません。 
 軍隊が悪いから、軍隊と戦争を放棄するという論理は、あまりにも幼稚で、例えば、車は事故を起こすから(現に、走る凶器と言われた時代があった)車を廃止せよというに等しい。軍隊も、車もそれ自体が悪ではなく、それを使うのは人間であり、人事、組織、教育、ルール、仕組みこそ改善されるべきことです。車については、その後、安全教育、インフラの整備、技術的改良などを行い、事故は、当時の半数以下となり、世界で一番事故率の小さい国になっております。

 今必要なことは、憲法9条を早く改正し、国民に自立心と責任感を植え付けることと、教育基本法に謳われている徳目を、きっちりと家庭と学校で実践することであると思います。そのことを、これからの日本を背負う人たちにぜひ伝えたいと思い、船内講座を開き、この本を書きました。昨年の今ころ、難病で3カ月入院することになり、それこそ遺言のつもりで書きました。

 歴史についての評価は人さまざまで良いが、まずは事実はどうであったのかを知ることこそ肝要であり、この本がその一助になって欲しいと願っています。

 また、御縁があればどこかでお会いできるかと思います。貴台のますますの御健勝を祈念いたしております。

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