生き延びている「第二芸術」と「モーロク俳句」2010年07月07日

『モーロク俳句ますます盛ん --- 俳句百年の遊び』(坪内稔典/岩波書店)
 坪内稔典氏の『モーロク俳句ますます盛ん --- 俳句百年の遊び』という俳句本が桑原武夫学芸賞を受賞、という新聞記事には少し驚いた。

 私は桑原武夫には好感をもっている。明晰で視野が広く洒脱な知性は魅力的で、講演を聞きに行ったこともある。俳句はまっとうな文学ではなく、菊作りのような芸事であるという趣旨の「第二芸術 --- 現代俳句について」にも共感した。

 「第二芸術」を読んだ頃、私は現代俳句にはほとんど関心がなかった。その後、妙な行きがかりで人に勧められるままに少し俳句を作るようになった。俳句の本も数十冊は読んだ。俳句の面白さは多少わかってきたが、「第二芸術」への共感は持続している。

 俳句を作り始めた直後に「三月の甘納豆のうふふふふ」の坪内稔典氏の名を知った。『風呂で読む俳句入門』『俳句とユーモア』などの著作も読んだ。氏の不可思議な俳句も面白いと思っている。

 俳句の面白さがわかるような気がすると同時に、ほとんど俳句否定に近い「第二芸術」にも共感するのは矛盾だろうか。「第一芸術」ではなく「第二芸術」としての俳句の面白さがわかるのだ、といえば矛盾ではなくなる。しかし、俳句の文学性(=第一芸術性)を追求する考え方も少なくはなく、簡単には割り切れない。

 桑原武夫と現代俳句はいまだに「倶に天を戴かず」の宿敵同士だと感じていたので、桑原武夫の名を冠した賞が俳句関連の本に与えられるのはブラックユーモアのように思えた。
 もちろん、この賞は天界の桑原氏が授賞作を決めたのではなく、選考委員たち(梅原猛、杉本秀太郎、鶴見俊輔、山田慶兒)が授賞作を決めたのだから、桑原氏が転向したわけではない。とは言っても、選考委員たちは桑原武夫の業績をふまえて選考に臨んでいるはずだ。

 どんな経緯で坪内稔典氏の著作が桑原武夫学芸賞を受賞したのか興味がわいた。そこで、受賞作『モーロク俳句ますます盛ん』を読み、続いて桑原武夫学芸賞の選評を読んだ。
 その結果、今回の授賞のキーワードがまさに「第二芸術」だったとわかった。『モーロク俳句ますます盛ん』は俳句史的俳句論がメインの本で、「戦後俳句のゆくえ」という章で「第二芸術」論への俳句の世界の対応をかなり丁寧に論じている。選者たちは、この論評に反応し、坪内稔典氏の著作は桑原武夫の「第二芸術」を評価したうえで新たな俳句を展望している、と捉えたようだ。そう考えると、今回の授賞はきわめてオーソドックスな「桑原武夫学芸賞」ということになる。で、話はメデタシメデタシなのだが、私には何か腑に落ちないものが残る。
 
 坪内稔典氏の俳句の捉え方や現代俳句への批評には共感できる点が多いが、わかりにくい点もある。表面的には、俳句を「遊び」と見ることで「第二芸術」であることを受け容れ、桑原説を評価しているように見えるかもしれない。しかし、そんな単純な話ではない。やはり、坪内稔典氏も多くの真面目な俳句作者と同じように俳句の文学性(=第一芸術性)を追求しているようでもあり、その意味では決して桑原説を認めているわけではなく、衝突しているようにさえ思える。そこらへんをこの賞の選考委員たちはどうとらえているのか、よくわからない。モーロクした同士の誤解に基づく授賞のようにも思えてくる。

 この本については、あらためて考えてみたい。