脱北映画『クロッシング』を観て『凍土の共和国』を再読した2010年05月15日

『凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行』(金元祚/亜紀書房)、『クロッシング』(キム・テギュン監督)
 北朝鮮を舞台にした韓国映画『クロッシング』は見ごたえがある、というか身につまされる映画だ。脱北を余儀なくされた家族を描いたフィクションだが、限りなく現実に近い北朝鮮の苛酷な状況を描いている。だから、この現状を何とかできないのか、という焦燥で身につまされるのだ。

 最近では北朝鮮の実態を隠し撮りしたビデオ映像がテレビで放映されることも少なくないが、この映画のように収容所国家・北朝鮮の庶民をリアルに表現したフィクション映像を観るのは初めてだ。数多くの脱北者からの取材に基づいて制作したそうだから、現実はこの映画の世界と同じように、あるはそれ以上にひどいのだろう。

 『クロッシング』を観て感じた焦燥感から、四半世紀前に『凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行』を読んだときの衝撃と焦燥感がよみがえってきた。
 この本は、かつての「帰国運動」で北朝鮮に帰国した兄と姉に会うために訪朝した在日朝鮮人の著者が匿名で発表した手記である。『凍土の共和国』が発行されたのは1984年、いまから26年前だ。
 発行当時に本書を読んだ私は、「帰国運動」で祖国に帰った在日朝鮮人の悲惨な状況と北朝鮮という監視国家についての生々しい報告に衝撃を受けた。

 1960年代初頭、多くの在日の人々が「地上の楽園」への希望に惹かれて北朝鮮に帰って行った。「帰国運動」のことは、私もかすかに憶えている。部外者の子供だった私でさえ、何か輝かしい素敵なことのように感じたような気がする。当時話題になった吉永小百合主演の『キューポラのある町』にも北朝鮮に帰国する在日の家族が描かれている。
 しかし、あの「帰国運動」で帰国した人々は、帰国直後から絶望の淵に落とされていたということを本書で知った。それ以前から、北朝鮮は何となくヘンな国だなとは感じていたが、これほどひどいとは思っていなかった。当時、本書の内容を「ウソだ」と非難する声もあったようだが、私にはとてもウソとは思えなかった。

 『クロッシング』を観たのをきっかけに、26年ぶりに『凍土の共和国』を引っ張り出した。パラパラめくっているうちに、つい引き込まれて一気に再読してしまった。そして、この26年間に状況がますます悪化していることを思い、ため息が出てきた。

 本書が書かれたのは金日成の時代で、その頃から彼の地で「息子の金正日は最悪」とささやかれていたようだ。あの頃は、金日成が亡くなれば状況は変わるのでは、という気もしていた。しかし、そうはならなかった。

 著者は訪朝中、二十数年前に帰国した朝鮮高校時代の同級生B君に再会し、監視の目を盗んで本音で語り合ったあと、次のように書いている。
「B君、どのようなことをしても耐えて生き抜け! 狂気の時代は遠くない将来に終わる。必ず終わる」
 それから26年、B君の「帰国」からだと約50年、狂気の時代はまだ続いている。焦燥で身につまされているだけでは、何も変わらない。