川内康範と川端康成2008年04月10日

 川内康範さんが亡くなった。川内康範という姓名は、わが人生の初期段階に刷り込まれた姓名の一つだ。小学生の頃、「月光仮面」を毎週わくわくしながらリアルタイムで観ていたからだ。冒頭のタイトル画面に白い毛筆体で表示される「川内康範」という作者名はやけに目だっていた。わが世代にとって「月光仮面」は特別に懐かしいテレビ番組だった。
 その後、大人の週刊誌のややエッチそうな連載小説の作者名や歌謡曲の作詞家名に「川内康範」という名を見かけた時も、多少の違和感をおぼえつつも「あっ、月光仮面の人だ」とうれしくなった。
 川端康成の名を知ったのがいつだったかは記憶にないが、「月光仮面」を観ていた頃に近かったと思う。川端康成が高名な小説家だとの認識はあったので、この二つの姓名の近似は気になり、子供心に次のようなことを考えていた。
 「川内康範という名は川端康成にならって付けたペンネームではなかろうか。しかし、月光仮面の原作と純文学ではあまりにかけ離れているなあ。川端康成は川内康範という人を知っているのだろうか?」

 時が経過し、私が大学生だった1971年、川端康成と川内康範を目撃したことがある。都知事選の時だ。現職の美濃部亮吉(革新系)に対して保守系は秦野章(前・警視総監)を担ぎ出した。ノーベル文学賞を受賞していた川端康成は秦野章の応援団になった。
 都知事選の最終日というのは盛り上がるもので、新宿の街頭は大群衆で埋まっていた。そんな中、秦野陣営では羽織袴姿の川端康成が応援に駆けつけ、その川端康成を肩車で背負って群集の中を練り歩いていたのが川内康範だった。
 ・・・この光景、私の記憶の中にはあるのだが、事実だったかどうかを確認しようとネットで少し調べてみたが、わからなかった。
 川内康範と川端康成の関係の記録はどこかにあるのだろうか。